高橋猫のテブクロ への感想

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評価平均

発想3.2
構成3.9
表現4.2
総合3.8


面白いエッセイの特徴というのは幾つかあると思っていて、例えば普通の人には経験できないような物ごとに飛び込んでいく人の体験記とか、本人はそうでもなくても周りになぜか面白い人が集まるタイプの実録ネタとか。なんでもない日常を書いてるのに、語り口が面白くて引き込まれるというのも、面白いエッセイの特徴だと思います。そしてこれはそういうタイプの、なんでもない日常のあれこれなんだけどなんだか読んでいて心地がいい類のエッセイなのだと思います。
二編とも高橋という名の友人に絡んだあれこれに思いを巡らせた話ですが、やはり「タイの宇宙要塞」が好きですね。思えば遠くに来たもんだと、しみじみするのかと思いきや、やっぱり男の子はいつまでも男の子なんだねぇ~というオチが秀逸です。
ガイヤーンが、食べてみたくなりました。

とても読みやすく、読んでいると落ち着けます。多分、全体を通して作品の記述が客観的であるためだと思われます。記述されている内容のほとんどが「事実」あるいは「事象」で構成されており、一人称「己」による心情や推測・考えに触れる記述がほとんど無いのです。それでも筆者の言いたい事を全体からなんとなく掴めるしくみになっている部分は見習いたい手際です。多分、「たばこのみ」の後半で煙草に対する憎しみはどこからやってくるのか?みたいなことに言及する表現に違和感を感じたのは、それまで客観的であった筆者が急に顔を覗かせたせいではないかと思われます。
難点としては「何を表現したいのか」が明確になっていない事です。きづきや驚き、高揚感や解き明かしたくなるような謎といった、読み手を楽しませるための起伏のような工夫がほとんど無いということであり、そういう意味では言い方は悪いですが全く面白みがありません。とりもなおさず、私にとってこれは印象に残りにくいということでもあります。では、そのような文章が嫌いかというと嫌いではありません。どういう時に読みたくなる作品なのか、という事だと思います。私の場合は、何かの合間やひと息ついている時に何気なく読むような作品……というか文章だなという感じでした。
表現の技術や構成はうまいと思う反面、印象は弱いという意味で、他と何かを争うには向いていない作風なんじゃないかなと思います。

時間の流れが早いようでいて、ノスタルジックなゆっくりさもあります。
タバコをくゆらせながら、紙で読みたい作品でした。

思わず読み返してしまいました。二つの話がそれぞれに複雑な、いろいろなものを表現し、発しているような気がしたからです。「たばこのみ」は、前半の軽快さを生かし、後半に社会問題的なものを持ってこない方が良かったような気がします。 「タイの宇宙要塞」は、冒頭と結末をオバQで挟むというしっかりした構成になっていますが、この短い文章の中での表現という意味では、挟んでいるオバQの要素が、挟まれている部分にももう少し色濃く出ている方が面白い印象を受けやすくなるような気がしました。

渋いですねえ。追いやられるタバコの文化や大人になった旧友など、全体に漂う哀愁が丁寧な文章と相まって読んでいて心地よかったです。

自分が吸わないのもありますが、タバコには大人の嗜好品としての憧れみたいなものがあるのでその文化が消えていくのは寂しいですね。高校の頃から喫煙者だった高橋さんが家庭を持ったことでタバコを止める現実的で大人な判断と、そのあとのガイヤーンで子供のようにはしゃぐ高橋さんとの対比が味わい深かったです。

字数を気にせず書いたら、一夜限りの一時間ドラマになりそうっと思いました。
過ぎていく時間、移りゆく世の中、変わらない人々。なんかそんな感じ。
いいなあってものほどたくさんの感想は書けないのです。
☆だけいっぱいつけとこ。

「たばこのみ」と言う言い回しが、ちょっと古めかしくて良い。おそらく現在70才前後の人達がこういう言い方をふつうにしていたと思う。今は「喫煙者」が一般的。
 初老のカメラマンを真似て銘柄を変えたとあるが、当時二十代半ばの若者であった作者氏が、喫煙スタイルに「枯れや寂の赴き」を求めていたあたり、このサブタイトルになったのも道理だなあと妙に納得。若者が喫煙を始めるきっかけ及び銘柄の選択の動機として、俳優やロックスターのワイルドさにあやかってなどというのは一般的だと思うが、こういう理由は初耳であった。軽薄には違いないにしても、目指す方向が浮ついていないことがおもしろい。

 二本目はタイトルの高橋氏が登場。
 宇宙要塞ガイヤーンについては、元ネタがあるのだろうか。ちょっと調べてみてもよく分からなかった。しかし語感はすごく良い。ガイヤーンって、何となく中二心を刺激するひびきを有している。

「劇画・オバQ」は誰も不幸になっていない。むしろ正ちゃんはハッピーだ。ではなぜQちゃんは寂しそうなつぶやきを残して去って行くのか。(嫁に邪険にされたことを抜きにしても)
 一方でこの「高橋」は、友が相変わらず友であったことに拍子抜けし、安堵し、だが何かを予感している。
 言うなればそれは、移ろいの岐路。
 だからこの「高橋」のあとに「いぬいにけり」を読むのが正しいのだと思う。

 読ませていただきましたので、評価は致しませんがコメントを書かせていただきます。
 自分の成長を、そして「高橋」の成長を、特に大人ってことを煙草とタイ料理に照らし合わせているのかなと。名古屋の描写に思い当たる節があり、妙にリアルな想いがしました。
 楽しい読書の時間をありがとうございました。

 『いぬいにけり』を先に読んだが、たぶん多くの読者にとってこちらのほうがコメントのしやすい作品だろう。内容的に。

 こういった文体(形式)のおもしろさというのは、ひとつには内容とのギャップが生むものだ。古い文体は古い内容を書くときに用いるのと、こうして現在の自分について書くのとではかなり違ってくる。現在のことを古い文体であらわすにはそれがある程度以上自分のものになっていないとできない。「自家薬籠中の物」としなければならない、ということだが、今自分の書いている感想にはそぐわない感じがする。
 ただ今回投稿された両方の作品、とくにこちらで感じたのは、丁寧にやるあまり文体を作りすぎたのではないかということだ。前回の作品『徒歩徒歩』でも書いたけれど、あれは文体がだんだん崩れていくグラデーションになっていた。だんだん崩れていくこと自体に効果があるのかどうかはわからないが、軽く文体を着崩すくらいのほうが粋な感じはするのだろう。

 駅前の描写はまず俯瞰になっていて、それからアーケード街を横目に見つつ店に近づいていく、短いセンテンスで舞台をすっかり紹介してしまうカメラワークだ。彼の文章には意味のないようなところに何気なく表現を織り込む細やかさがあるから、ゆっくり読んだほうがおもしろい。

> 名城線と鶴舞線が直角に交差する上前津駅の鶴舞線側、西端の出口から上ると目の前に∪FJがある。その脇の道からアーケード街に入るすぐ手前、昔は早川書店というエロ本屋であった今は金券ショップの向かいに、大須では珍しいメイド喫茶があり、その二階を見上げると窓に「タイ料理」と書かれている。そこがスコンターカフェである。

位置関係がミステリ作品みたいに詳細に記述されたので、これから殺人事件でも始まるのかと思いました。
金券ショップの店員が目撃者兼容疑者で、真犯人はメイド。

という冗談はさておき、指摘したいのは「寄り道の必然性」です。

建物の位置関係は作品のテーマと深く関わる部分ではないはずで、いわば「寄り道」と呼ぶべきところだと思います。
寄り道そのものが面白い書き手もいますけど、基本的には省いて構わないはずです。
「町の雰囲気を描くために必要な寄り道だ」という考え方も一応あるとは思いますが、「雰囲気を描きたいんだとしたら、もっと効果的な表現があるんじゃないか」とも同時に思います。

具体的には指摘しませんが、同様の箇所が他にもいくつかあります。
主題自体は面白いのに、このあたりが足を引っ張っていて、今ひとつ好きになれません。
とはいえ、この「寄り道」を楽しめる読み手の方もいるようなので、単に私の好き嫌いの問題にすぎないのかもしれません。

時間の流れがやわらかい。たしかに煙草の箱の色ってパーソナルカラーだなー。二本のエピソードとも、どこにでもあるような話なんだけど、表現と構成が良くて自分も思わず懐古する良作だった。

うーん。なんだろう。この心地よい小説は。
派手なストーリー展開はないのだけど、どんどん読めてしまう。

ガイヤーンは木曜日のフルットですよね。
石黒正数先生の漫画面白いですよね。
日常の中に非日常があって、面白く話が進んでいく。
そういえばこの作品とどことなく雰囲気が似ているかも。

自分からこの小説に何か言えることはないかなぁ・・・。
これはもうこれで完成されているような気がします。

かきわすれた。

「ええ、ええ」

宇宙洋裁ガイヤーン!
あいかわらずすらりと読めるいいエッセイ。
エッセイストを目指して欲しいです(マジで

秋葉原の鰻の寝床のような、タバコ屋、懐かしいですね。
いまも、同じ場所にタバコ屋が有って、もう鰻の寝床みたいじゃなく、すごく綺麗に改装されています。なんと二階もある。

相変わらず丁寧な文章を書くなあ。
今回は二本だてということですが、前回ほどのインパクトは受けなかったというのが正直な感想。
おれが見落としただけかもしれないけれど、前半と後半に「高橋」以外の繋がりがもう一つ欲しかったな。
とはいえ読物としてはとても面白かったです。