颯爽不当風来坊はじめ への感想

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評価平均

発想3.6
構成3.3
表現3.6
総合3.4


運の悪い人あるあるで
おみくじで大吉を一向ひかないだとか
あみだやくじびきではかならず「はずれ」をひくだとか
取らぬ狸の皮算用して期待値との落差でより深く落ち込むだとか
あるある。あるわーと思いながら読んだ。
ビンゴしかりくじびきしかり目の前で繰り広げられる抽選の何が嫌かって
自分がはずれたあとに他の人があたったりするのが見えてしまうところだ。
さては、あのあたりは自分のはずれがあったが故に
残りの中からあたりを引く確率があがったおかげでは
などと邪推してしまって、自分のみみっちさが露呈してしまうから。

「金輪際この風車には触れぬと心に誓った幼きぼくである。」
との表現が小賢しいなかに可愛げがあって好き。

あたらない、あたりというのも悪くはないと思うのだが、
主人公の心は晴れたのだかどうなのだか。

なんだか四角い印象。

前半の切ないまでの外れ人生の後、どんな当たりがくるかと思いましたら、風になってしまいましたか。なぜ風?しかもファンタジーな世界で相変わらず運命に翻弄されて気の毒。風……風当たり?

テーマに真摯に向かった作品だという印象です。
描写が結構引き込まれました。
読後に爽快感があって良かったと思います。

 子供のころ、大人のニヤニヤ笑い、薄笑い、半笑いがイヤでした。大人は自分の悪意やさげすみなど子供には見透かせないと高をくくっているのか、それともそういう感情を理解しないと思っていたのかもしれないけど、しっかりいたたまれなくされてたわけで。
 この一等には、何も得るものがなかったという失望と同時に、ただ幸運を喜んだだけで、それを嘲笑されるというオマケがついていました。物質的には0でも精神的にはマイナスもマイナス。
 だから後半の風になってからの描写はとてもおもしろくて、前半の「イヤな感じ」などそれこそどこ吹く風と吹き抜けてゆきます。どうせあたらないなら存在そのものが当たらなくなっちまえばいいとでも言うように。爽快でした。

 「ぼく」があまり風来坊というような性格ではないかな、と思っていたら、まさかの展開。風になってからの七五調もテンポよくかっこいいので、もっと風を体験する時間を長く書いてほしかったとまで思いました。

 お地蔵さんが罰を当てるというのは、そもそもが救いの菩薩である地蔵菩薩であることを考えると微妙なのですが、この場合せめて罰でもあたりたいと本人が願っている分、難しいところですね。ニヤニヤと、というのがどうも悪意に思えて仕方ありませんが、風になっていろいろ当たることができるなら、「ぼく」は救われたと考えてもいいのかもしれません。風当たりの強い風にならないことを祈るばかりです。

 一等(赤)あたり、の記述を見た瞬間に噴きだしてしまいました。なにももらえなかったあとのあたりを巡る文章は、連想ゲームじみて楽しく、それに巻き込まれるようにして読み終わりました。音の心地良さと清々しさが残る。そんな話でした。

 本筋があってそれに沿って進んではいくけれど、あちこち寄り道しながら小品的に描かれていて、ラストは安部公房ふう。『棒』とかそこらへん。さらに過去の経験が挟まれているのも後半に活きているのかフエラムネのくだりがなんとなくノスタルジック。
 文体自在展開自在、しかし意味不明というほどの衒いは感じられず心地よく読めた。

前半の、現実に足をつけたような話から、突然終わりの漢文や詩のような、そして風になるというファンタジー要素が現れ、チグハグな感じがしました。
昨今は末等でポケチがもらえるのはまだいい方で、何ももらえないことも多いので、花粉症の身で5等のポケチはとても嬉しいものです。

これでもかと言うくらいにお題消化でお見事でした。
後半の部分は事実ではなくて、この男の心象風景だろう常孝。
風になりたい。消え去りたい。そんぐらいショックだったって事でしょう。
ギャンブラーなら何度か経験あるはず。すってんてんにされたときのあの気持ち。
ばかっ!ばかっ!いい加減に目を覚ませ!穴があったら入りたい!
・・・でもあたい、そんなあんたが憎めへん。悲しい色やね・・・。

わあ。最初は日常のお話しだとおもってたのに、どんどん純文学なにおいに。
さいごの方は梶井基次郎を勝手に思い出しました。梶井基次郎、よく知らないのですが。
普通のヒトが、高尚にグラデーションされていってるようにもおもえて、面白かったです。こんな『一等』ちょっといいなあ。

なんというかある意味ではすごく嫌な話だと思うのですが、示唆していることがよく分からずアイデアだけで終わってしまったように感じました。なんというか不思議な感じでした。

 一等の「あたり」に当選し、商品が単なる「あたり」だけで商品も何もないというくだりに思わず笑ってしまったが、それが後半とどう繋がるのかがよく分からなかった。何かの比喩があるのだろうか。

「オジさんが、ハハハと笑ったのでぼくもつられて笑った」とか、「ぼくは状況がうまく飲み込めなくて~。助けを求めるようにして母親の方を見た」とか、子供のころの思い出がものすごく泣けるじゃないか。しかも大人になっても「何かの冗談だと思い、ぼくも笑い返した」と同じことを繰り返していて「ぼく」のトラウマの程を思い知らされる。そして追い打ちをかけるように、せっかくあたったのに何もあたらない「あたり」。もうやめたげて!ってなったところで一転、まさかのポエム。うんポエムだなこれは、まごうことなきポエム。リズムが良い。
評価は難しいけど、嫌いじゃないぜ!

お地蔵さんの罰が当たって風になったのか、その前の、福引を引いた時点でもう何かおかしかったのか、因果関係がよく分からず戸惑いました。こういう不条理な展開も嫌いではないのですが、後半唐突に風になって(死んで?)終わり。というのは、自分の中でうまく消化できませんでした。
ただ、文章の雰囲気は良かったので、櫻井孝宏さん辺りの声でひたすら早口で読まれたら面白そうだなって思いました。

日常的(?)な状況から、話の進むにつれて溶けていなくなってしまう文章の奔流は、「ama-tuyu」に近い気がします。ただあちらは開始早々すでに超的状況が展開されており、終盤はそれをさらに超えた境地に達するのであり、そこではもはや言葉自体しか残っておらず、観念的ですらない、無性の世界であるのに対し、今回のものは超的状況に留まっている、という印象を受けます(状況を合理的に想像できてしまう、という意味で)。現象との融合、今回は風でしたが、それは「ことばむしばみて」を彷彿とさせます。段落の制限上、最後が綺麗に纏まり過ぎてしまう、というところは仕方のないことですが、それはそれで良い締まりになるので、ここでは問われるべきものではないでしょうね。いずれにせよ今回も、テクストの快楽といったものを思い出させてくれる良き作品でした。この度は有難う御座いました。

ほんとに自分でもなんでこんな細かいところが気になるんだろうと思うのですが、思考の流れに脈絡がないなあと読んでしまったのですよね。たとえば、『ぼくは幼い時分から一度も、何かにあたった経験がないことを不意に思い出した』ってくだりなんですけど、それって不意に思い出すものかなあと。自分がクジ運悪いって感じてる人なら、多分ギャンブル性があるものに行き当たる度に、「おれってクジ運ないからなあ」ってすぐに連想してしまうほど気にしてると思うんですよ。または今クジ運ないことに気づいたって場合、今までの経験を連想したその帰結としての「おれクジ運ないじゃん」なので、『思い出した』より『思い至った』のほうが適切な気がします。細かいことで申し訳ないんですけど、全体的にそんな違和感が多かったです。
狙ってやってたならごめんなさい。

何にもあたらないってすごい。
この世の当たるもの全てにあたらない。
風になるのではなく、火になれたら、誰かがあたりにきてくれたかもしれないのになあ。
虚しい。

わたし、パチスロ打ちなんですが、ぼくが「全然あたらん」と捨てた台が次に座った人でおおあたり、フィーバーして倉が建つほど出たり、隣に座ってる人がフリーズ(めちゃくちゃいっぱい出るおおあたり)引いたりと、まぁ、運ってあるよねと思いました。

さて、本作、リズムがとにかくいいですね。とても小気味好い。好感が持てる作品でした

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