独身男とガラス玉珠烏 への感想

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評価平均

発想3.1
構成3.6
表現3.6
総合3.5


プラネタリウムが連想された。

「両手を広げて下半分を包める程度」
という表現を両腕で抱える程度と読み解き、
随分大きな玉の入る本棚もあったもんだな。
しかし大きな地球儀だけが占領しているような部屋は
案外簡素で極端な感じがしていいのかもしれない。
と思った。二度目に読んでてのひら大のことだと思い至り
ああ、なんだそうか。と思い直した。

中盤までの解毒段階と
中盤以降の生活が整っていく様子が理想的でいい。
丁度疲れていたのでとても癒された気がして気に入った。

まぁ、とりあえずガス爆発してくれれば文句は言わない。

文章のトーンと設定が効いている。

不思議なガラス玉から料理作り、さらにラブストーリーとなって予想の斜め上な展開でした。星のごとき銀砂の光る藍玉はとても好みですが、アイテムとしてもう一つ活躍するエピソードが欲しかったかなと思いました。

 冒頭、ガラス玉にどんどん魅入られていく様子から、これはホラーかなと思ったのですが然にあらず、ラブロマンスでしたね。ラブストーリーというよりラブロマンス。(意味は同じだけど、ロマンスのほうが甘さ重視という感じがするので)
 読後、冷静になってみると、とんとん拍子に行きすぎてるなと思うのですが、読んでるときは気になりませんでした。文章のリズムがいいのかしらと何度か読んでみて、関係あるのかどうかわかりませんが、この作品は一人称の視点で書かれてますが「私」や「ぼく」「おれ」といった人称が文中に一度も登場しないことに気づきまして、こういう文章を読んだことがなかったので、とてもふしぎな感じがしました。

 綺麗でいい話だった気がします。別段、主張があるわけではなく緩やかに進んでいく作中の時間にずっと身を任せていたい気分になりました。それだけとんとん拍子に話が進んでいって、なんか幸せっぽくなって終わる。ただ、そうやって幸福に浸ったあと、冷静に思い返してみると、あまりにも全ての物事が上手く行き過ぎているな、という点に気付きました。そうなると、ガラス玉からはじまる全ての展開が、途端に嘘っぽく見えはじめます。別段現実感にこだわりすぎる必要なんてないと思うのですが、シュチュエーションがどこにでもある日常の端っこにある非日常みたいな感じなので、都合が良過ぎると没入間が遮られる気がしました。その印象は、前述したとんとん拍子さによってより強まります。なにはともあれ、とりあえず幸せになれそうで良かったな、というのが素直な感想でした。

不思議な、人を幸せにするガラス玉。
恋愛系の幸せを表すのにピンクやバラ色がよく使われますが、濃紺なんですね。
消えたガラス玉は、今度はどこへ出現するのでしょうか。

 降って湧いたような話。なぜだか送られてきたガラス玉をなぜだかいたく気に入り、なぜだかやめていた自炊をなぜだか再開し、それまでさほど関わりのなかった(とは書いていないが、親密ではなかっただろう)女子となぜだか急接近、村上春樹の前半部分って感じだ。

 見つめることをご褒美とでも思っていたようなガラス玉への興味は料理の再開によって途切れ、ガラス玉は出てこないどころかほとんど顧みられることもない。しかしなぜだか再び、彼女と親密になるきっかけとしてあらわれる。なぜだかぐるぐるしたり光ったりした末になくなってしまう。
 彼女との仲がもう少し進展したら料理に対する興味も同じように失せて、彼女に対する興味も同様にいずれぐるぐるしたり光ったりした末に消えてしまうのだろうか。
 でも興味というのはそうしてつねにうつろうものでもあるだろうし、幸福というのはこうして降って沸くようなこともあるかもしれない。そういう狙いがあるのかどうかは知らないが、いずれにしても「雑貨」のようなおもしろさがあると感じた。終わりはふわっとしていてなんら意味がないし、ガラス玉はスノードームを思わせるし。
 雑貨というのは何の役にも立たない。言ってしまえば無駄なものだ。そのわりにけっこう高いので、お財布的もあるがもっぱら無駄なものを楽しめる気持ちの余裕を持てなければ購入しない。ぼくにとっては購入することがもう快挙であって、雑貨が好きだという人は趣味がいいなと遠目に思う。ぼくは自分には買わないがおくりものとしてなら買うことがある。
 雑貨というのは余裕の象徴だと思う。そして雑貨というのは、はじめは自分へのご褒美的に購入してウキウキとただ眺めたりしていたとしても、そのうち部屋の背景になってしまう。繰り返しになるがそういう狙いがある作品なのかどうかはわからない。スノードームを思い浮かべて勝手にノスタルジックになっているだけかもしれない。

これは縁とか因果の物語ですかね。
観葉植物を買ったら、置場所がしっくりこなくて部屋の模様替えを始めたら、読み忘れてた雑誌が出てきて・・・。
連鎖的に物事が進んでいって、意外な発見、出会いがある。
ガラス玉が何かって訳じゃないんでしょうが、物語をミステリアスに味付けするスパイスになってますね。
おもしろかったです。

いいなあ。この玉がとてつもなく欲しいです。
あ、でもちょっと怖いかもですね。
なんとなく、食べることをキチンとすると、ヒトとしてキラキラしてくるって思ってるので、勝手にうなづいたりしました。
玉が無くなってしまったのは、幸せの、めでたしめでたしだったらいいなあ。
このままずっと落とし穴なく、幸せに過ごしてもらいたいです。

大変失礼だとは思うんですけど、トルマリンの広告を思い出してしまいました。なにかと意味を求めてしまうのも良くないですが、根拠のない不思議や転機を小道具まかせにしている感じがして疑問でした。

 中盤から後半にかけての、春子とのやり取りがオッサンの心を強く揺さぶりました。「えぇ話や」の一言に尽きます。僕も「幸せのコスモスグラスボール」が欲しいです。

ふとしたきっかけで置物を手に入れたことで、ダイエット・安眠・健康的な食習慣・偏食の克服、そしてかけがえのないパートナーを得る。些細なきっかけでいろいろなことが好転し、ささやかとはいえない程の大きな幸せを掴む。その流れが無理なく自然に受け入れられる。ただの置物も心持ち次第で輝いても見えるし、同時に、どれほど輝いていても所詮は置物、もっと大切なものを得ればその輝きはあっさりと失われる。それが当たり前だし、それでいいと思います。読んでいて優しい気持になれました。

一つ気になったのは、「大きさは両手を広げて下半分を包める程度」というところ。ずいぶんとでかいな……。

これけっこう好きです。ガラス玉の正体がなんなのか、作中で明言されてはいないのだけど、その役割は全体を通してなんとなく伝わって来ます。この匙加減がとても良いなと思いました。
持ち主に幸せをもたらすガラス玉は、持ち主の心を反映するように輝き、やがて目的を果たして消えていくというわけですね。
女の子の行動に若干の御都合主義的な面を感じさせるものの、これもガラス玉の作用なのかなと納得させられるので、小道具が使い方が上手いなと思いました。

文章だけを鑑みれば、地に足の着いた堅実な様子なのですが、そこで語られているものは、艶めかしいほどのロマンスであり、そのアンバランスさが何とも言えぬ侘しさを醸し出しています。ここまできっちり分断され、きっちり接合されているのも珍しい。ただ、或いは狙ってやっていることなのかもしれませんが、語り手の立場から見た高野春子が美化され過ぎているきらいがある。現実で起きる可能性にあるという余地はあるにしろ、小説としては流行らない気もする。習作、もしくはパロディという位置づけがあらかじめ確定していたらば、こちらとしても準備は整いますが、そういう事情が明らかでない以上、まっさらな状態で立ち向かう他なく、本気なのかそうでないのか、よくわからない気持ちのまま読まざるを得ないところがあると思います。

星空といえば冬の方が星は綺麗に見えるわけですけど、「夏の星空」としたことに何か意味はあったのでしょうか。夏ゆえの特徴と何かかかっているのかなとか、冬ほどではないけどそこそこ綺麗な星空という意味かなとか、いろいろ考えたんですけど、どうもいちばんしっくりくるのは、語感で選んだんだろうなってところです。
何か他の意図があったなら聞いてみたいところです。
なんの苦労もなく彼女できて良かったっすね。という読後感でした。

ガラス玉ひとつから、こんなに生活が変わる広げ方がいいなあと思います。
ガラス玉をずっと見ていたいから、生活を捨ててしまうあと、ちゃんと質のいい生活を送り、いい彼女まで。
最後、ガラス玉は消えてしまうけれど。いいじゃない。ね。

あっまーい/////
よんでて、ちょっとこっぱずかしくなりました

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