僕の願う終焉日光一 への感想

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評価平均

発想3.1
構成2.9
表現3.4
総合3.1


小学校の頃流行った科学漫画のことを思い出した。
赤色巨星、白色矮星なんて単語も
その時に仕入れたような覚えがある。
地球最後の日と題された漫画には
膨張する太陽に飲み込まれる地球が描かれており
逃れ得ない運命というものに子どもごころに恐怖を覚えた。
漫画の中で解説の博士が
「50億年先の話じゃがな」
などと言って、なーんだという空気になる内容だったが
いつか必ず訪れるであろう終末の光景は
私の中に焼き付いて消えることはなかった。

あれから何年が経ったのか。
今はやはり、そんな先のことを憂慮するまでもなく
人類などとっくに滅んでいるだろうとか
そもそも寿命がねとか予想するくらい
穿ったものの見方をするようにはなったが
果たしてやはりあのとき感じた果ての無い空虚感のようなものは
私の中に残っている。
しかしだからこそ、意識して頭から追いやり
今に集中することも大事なのだと思うのだ。
そういう訳だから、飲み会の場所をどこにするかで
頭を悩ませている今日の私は正しく生をまっとうしていると言える。

まぁ、だからという訳ではないが、
太陽さんにそこまで肩入れしてもらうような理由もない一人類としては
正直「僕と僕の好きな人々に関係のないところでならいくらでも好きにしてください」と思うばかりである。

これはもしかして太陽と月の悲恋物? スケール大きい擬人化ですね。けれど太陽から見た月はいつもまん丸に輝いているから、違うかもしれませんけど。恋い焦がれる「僕」の熱い思いが伝わってきました。

 さて、「僕」にとっての世界は果たして人類だけと考えてしまっていいのかどうか……「僕」が人類を滅ぼすことを「世界を滅ぼすこと」と表現するかどうか……人間である私たちにとっては、たしかに人類のいること、人類のいる場所が世界であるのですが、その論理で言えば、「僕」の世界は幾千億の恒星が広がる全宇宙ということになりはしないでしょうか。
 それでも、一度の触れ合いで「彼女」を飲みこんでしまってからの絶望的な孤独は、たしかに世界の終焉と言えるほどかもしれません。

 「僕」と「彼女」の正体を考えながら読むのが楽しかったです。種明かしのタイミングもちょうど良く、ラストを気持ちよく迎えられました。そして、いつもながら細やかな表現の美しさ、「僕」が恋い焦がれていたり焦れていたり燃えていたり明るかったりするので、種明かしを迎えてからの二度目も楽しく読めました。
 あと、作者名がぴったりですよね。この作品のために考えたペンネームだと勘ぐりそうになります。

言葉を発している「方位」には惹かれるものがあります。イメージとしては、深夜、インターネットの個人配信サイトで、誰にも言えないでいるけれども密かに好んでいる配信者の配信を、その他の一切の音を遮断してそれのみに従事する、その間は何も考えずひたすらそれに耳を傾ける。でいつ終わったとも知れないまま、イヤホンを耳から外して画面を閉じ、その時の心地良さを忘れないうちに眠りにつく……といったところです。無性(無償)の声の響き自体、それに秘められた意図がどうであれ、一貫して楽し気で、その分には聞いていて何の支障もない。いずれはその声の誘惑から解放され、朝、あらゆる人生の輝く世界に自分もまた自らを輝かせに向かう、ということを逆に予期させているという点も、僕にとっては良い印象として映りました。

ひとりになるのに、そんな事するなんて彼はどうかしてますねえ。
彼女に触れる一瞬のために、この先ずっと寂しくなるのは、人ごとながらせつないなと思いました。
あと、最後まで、正体を書かないで終わったのがお洒落だなあとか、的はずれなコトも思ったりしています。

 こわい。
 天体に見立てていますがそういうことはどうでもよく、全編にわたって展開されている偏執的で利己的な論理は、異常犯罪者のそれと似ています。肥大化した自我、万能感、自己陶酔感、そして「彼女」の心情を徹底して自分に都合良く解釈し、己の欲望完遂のために理不尽を押しとおす。ヤバイぜこいつ……などと思ったんですが、他の方の感想を見ると誰もそんなふうには読んでないみたいで、私のこころは濁っているのかも、と不安になってしまいました。でもこれが正直な感想なのでご容赦を。

 ある程度、ネタを呑みこんでから読むと、一文一文が笑えて仕方が無かったです。ともすれば、やや装飾過剰気味の文体も、スケールの大きな話に合っていました。起こっていることを冷静に見てみるとまったく洒落にならないのですが、読んでいると笑えてしまうのは、『僕』の内面描写と起こっている出来事を照らし合わせた際に発生するおかしさゆえでしょう。こうした笑い的なところから離れて読んでみると、やはり、最後辺りの文章から発せられる寂しさみたいなものが印象深いでしょうか。『僕』だけが、ぽつんと残される感じ。経過を追っていくと、この結果は全て『僕』の自業自得なのですが、逆に結果だけをみれば、とても綺麗な終わり方だったんじゃないでしょうか。

必然の「当たり」前ってことですね。
誰も傷つけないこと。清いことを「愛」と名付けて尊ぶが、実際はどうなんだろう。
周囲はおろか自分の身を燃やすような想いはなんと呼べばいいのか。
この自分語り調の物語を読んで、そんな疑問を感じました。アモーレ。
すこしクドいが嫌いじゃないゼ!


はじめ読んだときは中二病をこじらせたおっさんがダークサイドに落ちていく妄想をしている話だと勝手に思い込んでしまいました。読み直しましたが、あまり魅力を感じませんでした。

太陽と月の恋物語でしょうかねえ。
それ自体はロマンチックで良いと思います。けれど、太陽が月のような小さいもの(太陽を平均的な日本人男性と仮定すると、相手は4mmくらい?)をそこまで特別な恋愛の対象として見れるのかなあとか、「世界を焼き尽くすための計画を進めていった」って、主旨変わっちゃってるよなあとか、そんなどうでもよいことが気になって物語に集中できませんでした。
そんな雑念を抜きにすれば、良くできたおとぎ話だと思いました。

>それは、とても甘く、穏やかな日々の積み重ねだった。ずっと続くと、僕らは何の疑いもなく信じていて、それは確かに実感を持って僕らに降り注いでいた。

という箇所が引っかかる。降り注ぐという対象が穏やかな日々にあることは理解できるが、その日々は降り注いでくるという。
人間誰しも、日常でふと立ち止まった時、幸不幸を感じることはあるだろう。しかし、あえて降り注ぐとはどういうことか。
幸不幸を感じるという時、感じるのは内側である。外側に感じさせられる、ともいえる。多くは目の前で起きた現象、特に街の中においては直立した視界の中に現れるものを対象とする。
しかし、この物語を語らんとする『僕』は、頭の上から降ってくるものとしてとらえている。内外の実感を先の例と共通するとしても、それは上からやってくる。そしてそれを疑いもなく信じている。つまり彼は空を見ていない。視界に捉えずして実感している。



「途方もないくらい昔、僕が生まれて」「人々が騒ぐ」「白い肌」「人類は滅亡するけれど」「僕がいなければ、世界は維持できない」などなど
太陽と月をイメージすることはたやすいが、お互いを追いかけ合う姿が描写されていることから、自然先に挙げた言葉は天動説モデルを採用している。地動説モデルでは追いかけっこはできないのだ。
ちなみに「角度によって変わる表情」とあるように自転と公転を認めているように思われるが、アンティキティラ島の機械が月の満ち欠けをはじき出すことを可能にしていたことが推定されていたことから、角度=満ち欠けであるならば、これは天動説モデルをより強固にするものである。
だが、「かつて人々に神と崇められたこともあるのだ。」という太陽信仰を想起させる一文が、天動説に疑問をもたらす。太陽信仰ゆえ、古くから地動説モデルを採用する文化も存在するからである。
ここに矛盾がある。そして相反するモデルが『僕』を突き動かす動機として、また行為を行う自己の正当化のために用いられている。
「神と崇められた」存在が人類の知を援用している。知を知らねば援用はできない。『僕』は人間を観察している。その証左として、冒頭の段落があり、また地動説天動説両方の知識を有している。『僕』は「誰にも相談なんてできなかった」が、人間を観察することは可能だったのだ。
そもそも僕という言葉自体が、人間の言葉である。『僕』は『僕』として存在していたのではなく、人間を観察した結果として『僕』を発見したのではないか。
こう考えると、これは単に擬人化された星の物語ではなく、自意識の存在を想定した、一つの可能性の話となる。
『僕』は長いこと人間の存在を観察し、人間の発展によって知識を蓄積し、自意識を得るに至たった存在である。そして『彼女』を発見する。


そう考えると不思議なもので、『僕』が非常に幼く感じる。少なくとも若い。思春期辺りの感性である。あらゆる知識を摂取したはずの存在が、なぜここまで幼いのか。
それは『僕』が絶対に見ようとしない存在にあるのではないか。
「神と崇められた」という言葉そのものにも現れているが、『僕』には神という自覚はない。どこまでも『僕』である。だが、『僕』は神という概念を知っている。そして、神として崇められた彼ならば、人類がどうやって彼を見ていたか知っている。しかし『僕』は“上を見ようとしていない”。「実感」を与えてくれる対象を見ようとしない。それは私が疑問に思った箇所そのものである。
本当の神なのか、それとも宇宙意思なのかはわからないが、『僕』はその存在を知覚している。そして見ようとしない。目を背けているといっていい(横にあるもの下にあるもの(例えば地球)を見ることはできる)。恐れているかはわからないが、意識してしまうと、この物語の中で行われている行為を否定される、そう考えている。
だから一つの手段として幼児退行を選んだのではないか。わからない存在になろうとする。『僕』の誕生である。


こう見てくると面白いもので、「我思う、故に我あり」として自分を獲得したものが、思うが行為により上位存在や既に存在する自分を発見し、「我あり、故に我思う」的な転換を図り、実存主義に向かった西洋哲学をなぞっているようだ。
幼児退行と理からの逸脱はアンガージュマンだった訳だ。

 中二そして童貞ーーそれくらいピュア。
 ここで他の作品に触れてしまって申し訳ないけど『メッセージ』でも思い出したのはひとりぼっち惑星。こちらはそのプレリュード。どうしようもなく時代に呑みこまれながら諦観している人。

 ただ彼は「火」を扱えて世界を滅ぼしたことだけは分かるけれど……彼は何者なのだろう。そして彼女は誰なのだろう。最後までそんなジレンマに悩まされて読み終えた。

語り手の僕が何者なのかを、ずっと考えながら読んでました。テロリスト? コンピューターネットワーク? 核爆弾? 世界を終わらせないと触れ合えない彼女ってなんだろうか、とか。
たぶん、答えは読者それぞれの想像の中にあって、特に正解不正解というものもないのでしょう。
私は、この「僕」は太陽で「彼女」は地球かなぁって、なんとなく思いました。それにしてはところどころ矛盾が生じる気もするので、たぶん合ってないのでしょうけど、まぁ、いいです。
そんなイメージでした。

僕さんがもう、我慢できませんって言うなら、もう世界はどうしようもない。
僕さんがいなければ生きられないし。
むしろ世界に対して羨ましい気持ちでいたでしょう。
世界の周りをくるくる追いかけてる彼女でもあるのだから。
そんな奴の周りじゃなくて、もう、こっち来てよー!
ハグ=あたるということなのかな…。
こんな擬人化大好きです。すごく私の好みでした!

太陽と月のお話でしょうか。
恋い焦がれていたのに、完全孤独になるのが幸福という気持ちはよく分からないけれど、本人が望んだことならハッピーエンドなのでしょう。

>近くにいた水銀と黄金を殺し、そして今、地平と死の接吻をして殺してここに来た。
>僕に比べれば本当に小さく華奢な彼女の表面にようやく僕は触れる。白く冷たく、そして繊細なその肌に、闇に光る女神だった彼女に。抵抗はなかった。彼女は僕の燃える想いをただ静かに受け入れていた。

このくだり、「僕」は太陽で、「彼女」は月で、移動中に水星と金星と地球を呑み込んだと理解しましたが、合ってますかね?
誤読でしたらすみません。

上記の理解のまま他のところを読むと、攻撃が効かないくだりなどは納得できますが、そもそも「僕」の視点で地球人類を気にするのか? 「僕」にとっての「世界」って、もっと大きなものを指すべきでは? という疑問が生じます。
地球人類を認識できるなら、動物や昆虫などの種族も認識できるはずなのに、なぜ人類だけ特別視してるのか謎です。

誤読だったら恥ずかしいので、この辺でやめときます。
感想を一言で言えば「モヤっとしました」になります。

最終兵器彼女って漫画が昔あって、それがめちゃくちゃ好きで、それっぽいなぁと思いました。
最近はめっきりみなくなったセカイ系。ボクとカノジョの関係がセカイの命運を握っている。
異世界転生ものもいいけど、僕はこのセカイ系のというゼロ年代の亡霊も、やっぱり、好きだな。

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