介護プランB若見明日葉 への感想

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評価平均

発想3.6
構成3.4
表現3.5
総合3.2


 ものの本で読んだところでは、大切な人を失うという喪失体験、その喪失感が十年もの長きに渡って残るということはあまりないそうです。意外なことですが、よほど劇的な別れでもない限り、統計的にはほとんどが数年で回復しているのです。もちろんここで「回復」とは故人をきれいさっぱり忘れられるということではありません。それでも日常を生きていくことができるということです。
 もっとも朋美を決断させた原因は、喪失感を埋めることよりも、後悔を生き直すことよりも、おそらくずっと複雑な矛盾したものであるはずです。喪失感、何もできなかったという自責の念、それとも母という呪縛からの解放。「自分の残る日々へ踏み出せる」。ただし母がいまわの際に語ったやさしい思い出は、朋美にとっての救いになるか、それとも新たな軛となるか、なんとも言えませんが。

 設定は不足なく書かれており、特筆すべきは常に抑えた調子を保ち、むしろ余分に書きすぎていないところです。提示する情報の選択によってゆるぎない説得力を獲得し、同時にあらゆるものが「機械式」であることに必然性が与えられています。そしてこの「介護プランB」まで含めて、我々の世界ではまだ実現されていないような便利な道具や進化した技術ですら、必ずしも我々に幸福をもたらすものではないのかもしれないという可能性についても暗示されているのです。たとえば「認知症の特効薬は進行を遅らせる効果はあるが、人間の老化を止めるわけではなく~」というような記述にそれがうかがえます。

 プランBというからには少なくとも別のプランがひとつはあることがわかりますが、作中ではまるで触れられていません。Bがあるなら少なくともAがあるはずです、安易に名付けられたランチタイムの日替わり定食にすら。
 ここから読み取れるものがあるとすればそれは朋美がBを「選択した」ということですが、なぜ別のプランを選ばなかったのか、興味深いところです。選ばれなかったプランについて作者に詳しく教えていただきたいということではありません。人間というものの存在がそこに表現されているとすれば、読者は銘々その空白に自ずから意味を産み出していくでしょうから。

個人的に身近な題材なので、切ない気持ちになりながら読みました。これだけ進歩してたら、天ぷらの味を忠実に再現した介護食があればいいなあ、とか、これだけ介護者の負担が軽減されているのに、社会システムは変わらずに介護に向き合う時間を確保しながら働くことは難しいのかな、とか。細部まで描写がゆき渡っているからこそ、この世界のいろいろがより知りたくなる作品でした。面白かったですし、作者さんの優しさがあらわれていると思いました。好きです。

お母さんのことを老母と描写しているあたり、どこか無機質な印象を受けて展開が予想出来たのですがとても楽しめました。認知症の描写がリアルだけど、このお母さんのしくみならではの穏やかさで実際こうはいかないよなあとか思ったりします。ファンタジーとリアルの境目がぼやけているところが好みです。

 死後十年が経っていた。最後に明かされる事実は、朋美すらもようやく気づいたかのようにさりげなく立ちあがります。冒頭の「画面で見慣れていた相貌だが」の描写と相まって、この時間と実感の大きなずれがとてもグッときます。朋美は十年間、母と交わしたテレビ通話かなにかの記憶を、ずーっと薄れさせずに抱いていたわけで、辛い。その辛さを思い知った時に、その辛さが介護プランBによって解消された時に、もう語るべきことはありませんと、物語はそのまま幕を閉じて、グッときた感じが余韻としてそのまま残るのがとてもよかったです。
 実際問題としては、どれほど精巧なAIだろうと遺族の慰めになるかどうかは分かりません。どれほどひっくり返しても死は本質的には巻き戻すことが不可能だということは、ほとんどの人が感じていることだと思います。しかしその上で、朋美にとってはこのプランが救いになったのだと感じました。たぶん、朋美が母を介護プランBによって蘇らせるという話全体と、母が迷子になった朋美を探すというエピソードに、巻き戻らないはずのものが巻き戻ったという共通点を読み取れるからなのだと思います。母が「嬉しくって嬉しくって」というのと同じくらい、朋美にも安堵の感情があっただろうと推測できました。

読み手に考えさせる作品だと思います。
今、VRとか凄いみたいだから、映像が残っていれば体感くらいならできそうだな、と。
死んだ人に会える、みたいな。
介護を理由に休職、それも続けられず退職、貯金は無くなり、生活保護の申請もおりず、親子心中とかあるじゃない。介護の政治的制度でプランBを使わないような未来がいいとも思うし、でもニーズが合えばビジネスとしてすごく成功しそうだとも思う。
介護者を助けるロボットの開発にもっともっと期待したいですね。
色々考えちゃった。

「実に母の死後十年が経っていた。」という最後の一行が重い。

二周目に読むと冒頭の記述が久しぶりに母と対面する娘ではなく
母と良く似た何かと対面する女性の描写になるのが興味深い。
種明かしが最後にくる構成で途中何の伏線も無いのは少し寂しい。

果たして「最期の時に表れた母の思い出」は
介護プランBによる演出だったのか。
本人ではないAIを介護することにより朋美の後悔は払拭されるのか。
自分ならどうなのか。

年末は実家に帰って親孝行をしようと思った。

社会派のSFとして読むと、いろいろと考えてしまいますね。考える小説は好きです。
あ、今気づいたんですが、作者名は「明日は我が身」のもじりなんですかね?

申し訳ないですが、ちょっと入り込めなかったです。自分がまだ両親を喪っていない未熟者だからかもしれませんけど、このプランにあまり価値を感じていません。20年後くらいに読むと刺さるのかもな、とぼんやり想像するくらいです。

という立場からの発言なので読み流していただいて構いませんが、この作品、「実は○○だった」の構成にする必要あったのかな、と疑問に感じています。
最初から虚構であることを示した上で、虚構の母に対する朋美の心情を描いたほうが面白そうな気がしています。

自己満足かつ空疎なプランだなぁ、としみじみ…。
孤食や孤独死が問題化している昨今、こういうプランは出てきてもおかしくないかもしれない。
でも個人的には節度節度の法事をしっかりしとけばそれで良いのではないか、とも思うのであった。
機械式というテーマにおいてのこの着眼点は優れたものがあると感じます。ただ、それを受け入れる・受け入れられない、かはまた別の問題。

ケアマネがケアするのはもはや介護の必要な老人ではなく、遺族のほうなのですね。
期間が決まっていれば、痴呆の進む様子も冷静に受け止められるのかもしれません。そもそも葬儀というものは故人のためではなく、遺族の心の整理のために行うものだと、そんな話も思い出しました。
プランBということは、Aとかスペシャルとかオプションとかあるのでしょう。機械というテーマより、介護のあり方について考えさせられる作品でした。

テーマ:機械式から、この発想は全く浮かばなかったため、興味深く読ませていただきました。
朋美が母親を介護する姿はとても現実感があって、それが最後の種明かしの部分での言いようのない悲しさに繋がっていると感じ、とても良かったです。

しかし、最後の退職年齢の描写によって、ちょっと現実感が出過ぎてしまっている気がします。介護プランBを通した娘から母への関係やふれあいへの葛藤という所へ焦点化できる物語が、現実への問題提起の要素を含んでしまい、ちぐはぐというか、少し散らかってしまっている印象を受けてしまいました。

 ただただどんよりとする話だなと。最後の一文なんかは特にそうで、元々暗めな作中世界の出来事により色濃い影を落としています。最期の時に現れた母の思い出が『本人の死ぬ数年前の記憶や状態保存し再現する精巧なAI』によるものだとわかった瞬間、朋美にとっては慰めになったのは理解できていても、読者であるこちらはなんともいえない辛さを覚えました。嫌だなぁと思いながら何度か読み返して、やっぱり嫌だなぁうんざりするなぁと思いつつ読み終わりました。嫌いじゃなんですけど、辛かったです。

 冒頭はお葬式の場面かと思いましたが、これは介護プランBを起動させたときの場面なのですね。なぜか介護プランBとは、バーチャルリアリティによる疑似体験なんだと思いこんでました。冒頭と最終段落を何度か読みなおして、衰えゆく母をリアルに演じるロボットとの介護生活だと気づいて、なんだかすごいなと思いました。 
 やさしい話のような、そうではなくある種のアイロニーをこめた話のような……。この時代ではもう「親孝行 したいときには 親はなし」などと言わないのでしょう。誰のために何を為すかということを考えさせられました。

 ものすごく違和感がありました。
 通読一回目は「あぁ、なるほど」と思いましたが、通読二回目に「あれ?」と感じて、いざコメントを書こうと三回目を読んだ時にその思いは確信に至りました。
 序章と終章はなるほど、テーマの機械式を取り込んでSFな話になっていますが、本編が、多少未来的な記述もあるけれど、「現状の介護」を書いただけだと気付きました。
 記憶を移植したAIロボットというのなら、もっとスマートな、いや、スマート過ぎてキレイ過ぎる思い出になっちゃった、みたいな「介護プラン」を描くべきではないだろうのか。そんな風に感じました。
 文章は非常に読みやすくて分かりやすくて素晴らしいのですが、ボクはアイディアの消化部分でつまずいてしまいました。

お葬式って、遺された人達の為のものだよなぁ、とつくづく思うので、将来こんなサービスができるかもしれませんね。
読んでいてなんとなくいい話過ぎるなぁと思ってたので、最後のオチにむしろ納得感がありました。お母さんが昔の話を懐かしく語るのは、介護者がカタルシスを得るためのサービスだったのかなと思いました。

よくこの題材で書けるなぁと感嘆してしまった。
ところどころに介護の負担を減らすワードが出てきてはいるが、人間性に変化はないし、そもそもこの介護プランBというシステムそのものが近未来でも人間というものは変わらないのだなと思わせてくれる。
最後の部分を蛇足的に感じていたけど、現代に対する問いかけというのはこの物語に必要なことなのかもしれない。

遺族のための介護プランってことでしょうか。なんだかこれはひどく残酷なものに感じました。自分よがりなものでありつつ救いがない。心にざらりとなるものが残りました

終わりや期限がみえてる介護って、ある意味理想たなー。それがないからモニョモニョ。

母と娘の物語は、第5回イベントの『レースの境界』が頭に浮かびました。あれを僕は優れた作品の一つと数えるのですが、今作にも、作者名は違えどそうした「近さ」「親しさ」みたいなものが溢れている気がします。この手のテーマは好むと好まざるとにかかわらずこうした筆致になってしまうのかもしれません。主人公の話していた相手が実は妄想によるものだった……というオチのついた作品は数えられないくらいあるでしょうが、当作品では「機械式」というテーマの下、これを科学技術に基づいた根拠ある出来事として、その幻想的な性格を地に引きずり降ろしているところが興味深いです。どちらにしても、人間の認識が人間を人間足らしめているという人間物語には違いありませんが、何度も語られるだけあって、その年季の入り方にはやはり並々ならぬものがあります。

難しい題材を上手く書ききっていると思いました。
ただこの文字数だと、朋美と母への感情移入が追いつかず、消化不良気味に終わってしまった感が否めません。
もう少し長い文章か、掌編に適したモチーフで読んでみたいです。