花と歯車ひいろ への感想

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評価平均

発想3.6
構成3.2
表現3.6
総合3.4


二人の男女の会話を通して、大きな歴史の流れ、社会構造、国際情勢が垣間見える。それもお話として違和感なく。作者が丁寧に作り上げた世界観のおかげで、物語以後・以前のストーリーへの想像が膨らむ。
また、詳細な描写により、見たはずのない自描筆の様相、質感がありありと思い浮かぶ。
題材の取り上げ方も絶妙で、武器、軍事、戦乱の象徴としての歯車と、希望、平和の象徴としての花束がうまく対比されている。花束だけでなく、歯車も抱えて進んでいくアンネの強さを感じさせる。
清十郎の葛藤している様子もうまく描かれている。清十郎のアンネに対する感情は何か。軍人としての「任務と関係のないことはするな」、「自分の胸に隠した物」という描写で恋慕の情ではないかと思案させられ、「発条式消音拳銃」の登場でそうではないことを知る。しかし、拳銃から歯車を抜かせることで、恋慕の情(もあるかもしれないが、それ)だけではない強い想いがあることを感じさせる。
アンネが清十郎の想いにどこまで感づいていたのか。想像するのも、楽しい。

 戦乱の最中にあるという空気と、アンネと清十郎のひみつめいたやり取りとの対比が臨場感を与えています。
 世界観もよく描かれており、二人のもとには今にも砲弾でも飛び込んできそうな張り詰めた緊迫感があります。しかし現実の世界という感じはしません。この作品には奥行きといいますか、立体感があまり感じられないのです。これは半ば比喩ですが、舞台のお芝居のように見えます。ステージがあり、舞台装置があり、小道具があり、二人はまるで観客に向かって話す役者です。この印象は台詞に説明の役割も持たせているためでもあるはずです。しかし怪我の功名といいますか、それはいい効果も生んでいます。この場に集中していると同時に遠くを見ている、これから為すべきことを見据えているからこその距離感、二人の異なる目的をあらわす表現としてふさわしいと思えます。

 はじまってすぐに自描筆の描写が入るところは、雰囲気を損なっています。筆の描写とその説明がスマートではなく、複雑な部分ですから仕方ないのですが、それが終わるまではどうしても読みにくくなっています。ただでさえ話の入り口に説明がくると面倒なことを先に済ませようとしている印象を与えやすいので、描写を整えるか、でなければ二人の関係や世界観をあらわす文章を先に配置したほうがいいでしょう。

 いずれにせよこの作品ではいくつかの歯車が欠けています。たとえばこの作品は二人のやりとりが中心(というよりすべて)ですが、二人がどこでこのやりとりをしているかが不明です。窓の外の描写はありますが、これは二人が現に立っている場所を示すことができるものではありません。窓といくつかの部屋(アンネが歯車を探しに出た先が建物の外でなければですが)のある建物の中ということはわかります。しかしここはどういう場所(立地)にある、どのような建物の中にあるどのような部屋なのでしょうか。街中? 郊外? あばら屋? アンネの実家? お城か何か?

 そもそもアンネがどういう身分の人かもわからないのです。彼女の曾祖父については
〉彼が時計技師だった頃に生み出し、軍将校の娘であった曾祖母に売り込んだと伝わっているわ。結果、その技術力を軍に認められ、曾祖母の家に婿入りを果たしたの
 と説明されており、アンネが二人のひ孫ということはわかりますが、それしかわかりません。技術力を認められたのは曾祖父の時代であり、その子が、そのまた子がどういう身分にあるのかは不明なのです。
 もっとも、これはさして問題ではないのかしれません。いずれにせよ彼女は「この繁栄の礎」そして「これさえなければ、世界が戦乱になることもなかった」技術をもたらした偉大な人物の子孫であり、その技術を生み出すきっかけになった自描筆とそれによって描かれた花束をもって別の国へと亡命しようとする、護衛をつけることのできる高い身分の女性です。彼女はその出自からすでに象徴的な人物であり、清十郎の国ではジャンヌ・ダルクやドラクロワの自由の女神のように迎えられ、そして何かを(命をかけて)成し遂げるつもりなのでしょう。しかし彼女がどこに進んでいるのか、「私たちをこんな運命に巻き込んだ」とはどのような運命なのかがまたもや不明なので、具体的に何をしようとしているのかはわかりません。
 それから二人を取り巻く環境も。清十郎の台詞に
〉「どうしてアンネ様は、私をこの場に呼んだのですか」
 というものがあるのですが、これは「なぜこの場所に自分を呼んだのか」なのか「なぜ自分だけをここに呼んだのか」という意味なのかわからない。前者であれば、本来アンネしか入れないような重要な場所に清十郎は招かれた、ということですし、後者であればアンネの護衛は清十郎だけではなく他にもいるのになぜ自分だけが? ということになります。これはアンネがなぜ清十郎に気持ちを寄せることになったのか、というきっかけにも関わってくることです。前者ならば身近に清十郎しかいないから、後者ならば清十郎が最も信頼できるから。
 このテキストには二人しか登場人物がいませんし、他の誰かがいるという雰囲気すらありません。これは直接出てこない人物(もしいるならば他の護衛など)に名前とちょっとした役割を与えるだけでも緩和されるでしょう。たとえばですが清十郎以外にも護衛がいる場合なら「どうしてアンネ様は、私をこの場に呼んだのですか。○○(任意の名前)のほうが適任でしょう」とするだけでも他に人間がいることがわかります。

 これはつまり作品に歯車が欠けているために、テキストから具体的な解釈をすることができないのです。
〉「……戻りましょう。やるべきことを、やらないと」
 やるべきこととは? どこからどこへ戻るのか?
 それは読者が想像で埋めるしかないのですが、何らかの示唆がなければテキストの価値を低下させることになります。重要な部分ならなおさら。それはそうでしょう、テキストがいかに書かれたかよりもいかに読むかのほうが重要になるわけですから、読者の想像(妄想)力次第、これは読者に依存するということです。
 しかしわたしの中には確信めいたものがあるのですが、おそらく物語は作者の中でしっかりできあがっていて、きっと読者に依存するつもりは少しもありません。この作品において欠けた歯車は作られていないのではなく、作られてはいるのに、組み込まれていないのです。作品は悪くありません、ただし不十分です。

機械そのものについてではなく機械が鍵となるドラマが成立しているところがとてもあざやかです。清十郎がアンネに向けて引鉄を引いた歯車のない銃は、きっと心理的には清十郎自身に向けられたものだったのではないかななんて想像しました。素敵です。

 拳銃に歯車、なんとなくなさそうな気がしますが、足りない知識では分かりません。戦乱の元といわれる機械が銃の部品で動き出すとは皮肉な出来事です。そしてその皮肉が曽孫娘の命を救うなんて、運命的にすら感じる巡り合わせでした。実際にアンネの命を救ったのは、任務すらなげうっていいと思った清十郎の真摯な愛情ですけれど。
 時計技師が普及しているなら、軍事的な機械技術はさらに先を行っていたと推測してしまって、ひとつのからくり装置が機械発展の礎及び戦乱の元という話に説得力を感じないのが気になりました。それに、アンネ抹殺の命令を下したのは当然清十郎の所属する国だろうに、その国へ亡命して大丈夫だろうかと心配になります。この二点がどうも気になってしまって、もやもやとした読後感が残っています。
 アンネは若くして武器製造会社の社長を引き継いだのでしょうか。それともまだ令嬢? なんにせよ、こんなにすれていない素敵なお嬢様が暗殺対象になるなんて、戦争はやっぱり悪いことであると思いました。

ユリみたいな綺麗な花を機械と結びつけちゃう、その発想がまずすごいと思います。
あと歯車ひとつで色々な意味が込められているところもすごく素敵。
戦乱と機械、花束と機械。それらを繋ぐ歯車。
うーん、なんか完璧〜。

なるほど、歯車なんてそうそう持ち合わせているもんか、と思っていたらそういうことだったんですね。
極秘情報を持って亡命されては困る反対勢力の工作員、あるいは刺客である自分。任務を遂行することができなかった彼の行動は忠誠心なのか憐憫なのか、それ以外の感情なのか。
なにはともあれ、二人に幸多かれとを願うばかりです。

しかしよく分からなかったのが、曾祖父が自描筆を動かすことを固く禁じた理由。
曾祖母に贈った花束(を描写することのできる機械)が軍事利用されることに対する嫌悪、あるいは後悔。という風に自分は解釈しましたが、そもそもそれは自ら売り込んだ物で、それが縁で婿入りして、あまつさえ会社を興すことまで叶った。自らのサクセスの為にその技術を散々利用しておいて、軍事利用されるとは思わなかったという言い分は少々虫が良すぎるような気がします。
職人なら自分のしてきた仕事に誇りを持てよと。


> 作動しなかった。当然だ。歯車が、欠けているのだから。

ここ、会心の一行ですね。かっこいい。
直接書かれていない清十郎の行動や心情が、この一行でうまく表現されていて凄みを感じました。
好きな作品です。

あえてケチをつけるとしたら、序盤の自描筆の描写に手間取ってる印象があるくらいです。
結局、植物の形状をしている必然性はなさそう(おそらく雰囲気だけの問題)ですし。
私の読み取り損ねなら申し訳ないですが。

ただまあ、多少の問題は帳消しにしていいやと思えるくらい、件の一行は好きです。お見事でした。

 清十郎がなにかを抱えているというのは、心情描写によってかなり早い段階で判明します。ただ、その心情描写の原因のようなものはさほど生きていないように思えます。おそらく原因は、予定調和じみたラストシーン手前の消音銃のくだりでしょう。このシーン自体はけっこうしっかりしているように思えるのですが、作中で積みあげてきた手続きが見え見えなせいでカタルシスが薄かったです。清十郎とアンネのやりとりも尺の都合もあるのでしょうが、どことなく筋を進めるための作業じみていてあまり入れませんでした。この印象はひいては話全体に波及しているため、ひたすら事務的な手続きを見せられているといった心地になりました。

発明が平和利用されずに戦争に使われた例は結構ある。そもそも、現代科学の進歩は、最終的に軍事目的なのではないかと思う節もある。
歯車の技術がこの世界でそこまで大きな発明だったという設定や、登場人物の名前と背景のアンバランスさに、いまいち入り込めなかった。歯車使ってる銃というのが最も想像つかない、ゴメンナサイ。
けれど、見た目も作りも繊細な機械が描く花束。これは良かったと思う。

歯車が上手にかみ合った作品だと思いました。
しかし読んでいるとそれが見え透けているような気がして、ちょっとだけ気後れしてしまいました。

ぜんまい仕掛けの世界がきれいだと思った。

何故曽祖父はVerfborstelを動かすことを固く禁じていたのか
ということだけが疑問で
「叩きつけたような痕のある機械の植物」の前後を何度となくうろついて
ようやくなんとなくわかった気がした。
気恥ずかしさから隠そうとしていたのかと思っていたが、多分違う。
かつてアンネの曾祖母を喜ばせた歯車技術が
軍事転用されていくことが許せなかったのではなかろうか。
その技術が花束を描き出すことも、その花束がきっかけで世界が戦乱に呑まれたことも
嫌になってしまったのではなかろうか。

曽祖父の思いが清十郎を思いとどまらせ、曾孫であるアンネの命を救った。
そのことが歯車を通して描かれていて思わず唸った。
とてもきれい。

お嬢様とボディガードの恋? と思ったら最後に一捻りあって、それがまた清十郎の葛藤と重なっていて、胸にぐっときました。
素晴らしい。完璧だ。
自描筆を通して、曽祖父の想いや、アンネの気持ち、清十郎の葛藤を浮き上がらせ、この長さにまとめる表現力に脱帽します。

 機械もしくはそれを象徴した歯車を世界全体や軍、植木鉢の機械にこれでもかと無理矢理に歯車を掛け合わせ、かつ青年将校と令嬢の淡くて清々しい恋を書こうとしていたようですが、その結果は話がひどく散らかっていて、何回読んでも何が何だかよく分かリませんでした。
 一番の疑問は「発条式消音拳銃」の中に、植木鉢の機械にピッタリ合う歯車が本当に存在したのかどうか?です。ピッタリ合うとかよりも胸の内側に収まるほどの銃には歯車の部品はないような気がします。
 かっこいい言葉を並べただけの作品に感じました。

発条を巻くで、ばねを巻く……?と読んで、ああ、ゼンマイかと気づくのに時間がかかった。読まれたくないのかな?
ゼンマイ式消音銃……? こっちはばね式かな? 銀玉鉄砲みたいなのかな? と、そんな感じ。
どこで話しているのかわからないけど、そんなに手近に歯車があるところなのかしら。軍人と女が話している場所が。で、歯車が規格のものが……このノリだとせいぜいボタン電池くらいしかないのかな? と、とてもチープな世界にみえた。ネジだって「コレと同じの」と言って出てくるものではない。ましてや歯車なんて、ニコイチとかならまだわかるが、違うものから代替できるものが出てくる部品ではない。
そんなわけで話にあるべき説得力が薄くて浅い。機械の機関部品なんかを小道具としてつかうなら、上手に嘘がつける知識が必要かと。
人物の関係がメインなら、その辺は自分の知識で消化できるものに落とし込む方がいい。令嬢と異国の騎士な話としてなら関係ないところで引っかからせるのは勿体無い。

綺麗な文章でした。内容は長い物語の途中の一コマといった感じ。

「歪な歯車の絵は、こちらで処分しておきましょう」。清十郎、か、かっこいい。でもそのセリフは、そんな自殺フラグ(深読み?)立てないでっ!って思ったらあっさりとアンネ様が回収していった。アンネ様もかっこいい。
二人のキャラクター像がこの短い物語のなかでよくたっていたと感じ、この二人の物語をもっと追いたいと思いました。

 時代設定は動乱へと突きすすんでゆく気配が濃厚ですが、アンネ嬢の天真爛漫な人柄でうまくバランスをとっている物語でした。そのバランスが物語に緊張感を生んでいるのでしょうか。雰囲気を作るのがうまいなあと感じました。
 ところで自描筆の起動が禁じられていたのは結局どういった理由だったのでしょう。照れ隠し? ひいおじいさんにしたら、妻へ送ったラブレター読まれるようなものだったのかな、と思うとちょっと萌えました。
 

お見事!
ブラボーですよ!
読者の想像を上手く導いて、尺以上の物語を出現させた手腕が素晴らしい。

掌編にしてはだいぶ含みがあり、一つ一つの文章にその重みが感じられるようです。その大きな世界観には圧巻の一言ですが、普通に読む分ですと、そうした背景を想像しづらいです。実際の歴史と繋がりがあるのであれば読解も容易になるのですが、当小説ではおそらく、ファンタジー系列であるということから、行きつ戻りつして読まねばならない。それはこの小説の命運を分ける急所でして、これ一つで、好き/嫌い、名作/駄作がいとも簡単に即決されてしまうように思えます。そう判断されないための安全な方法と云えば、大きな世界観の下で掌編を切り取ろうとするのではなく、掌編という形式に合わせて、書こうとするものを意図的に狭めることだと思います。そしてそれは、長篇とは全く別の技術に属するものと思います。