少年の永遠もじぴったん への感想

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評価平均

発想4.1
構成3.4
表現3.6
総合3.6


面白かったです。「少年」という記号についての話なのかと思ったらそうではなかった。少年という言葉のチョイスには何か意味があるのでしょうか。文字をくっつけることに魅入られた"少年"が、文中で韻に触れてはいるものの、言葉の意味についてあまり興味を持っていなかったように感じられ、そこがとても気になります。

感想に困る……というのは良い意味で、あまり読んだことのない新しいタイプの小説だからです。感覚や思考に訴えてくる作品でした。自分も文字の威力というものに注目してきましたが、ここにでてくる言葉の羅列はその威力に加えて激しい疾走感、そしてどこか空中分解しそうな危うさがあるように感じられ、感じられというのはつまり認識しきれないものが感覚にまだ残っており、どうにも手強い作品であるということは間違いありません。

固有名詞を語られない少年の特性とはなにか?

星新一の『神』というSSを考えました。永遠に存在するとはつまり、永遠に存在しないことである。肉体としての少年はどこかに消えましたが、文字は「着々と残されている」。おそらく永遠に続くのでしょう。永遠に文字の羅列が生成されるということはつまり、あらゆる組み合わせの生成を期待させるのですが、疑問だったのはその残された文字の法則性で、一見ランダムに見えながら、どこかしら傾向があるように感じられ、それは何だろうと考えました。
この場合は、「少年」という概念が持つ純粋性などの一連の属性、もっと分解すれば言葉を扱う者が感じる「快・不快」の法則、つまり一種の美的感覚によってチョイスされているのかなと推測しました。
そうだとすれば、この文字群は「詩」にはなりますが、どうしたって「物語」とか「思想」にはならないでしょう。近いものにはなるかもしれませんが、そういうものにおのずからがなるとすれば少年は「不快」に感じるはずです。
しかしそれはぜんぜん問題ではなく、重要なのは「少年」は生まれた時から「少年」という範疇にある、ということです。つまり「少年」は今後「青年」や「中年」や「老年」になりません。ちなみに「永遠」ですので本質的には死にません。「死後何年」ということにはならない。「少年」は「少年」です。
自分が期待(予感)したのは、少年が何らかのプロセスを経て「永遠に生成する無限可能性」そのものになることでした。この問題を徹底していけばそうなると考えるからです(ちなみにいわゆる「神」ではありません)。そのためには「少年」がどうにかして「無限」になったりするなどの変化(成長ではない)が必要ですが、そうではなく「少年」は「永遠」に「少年」に留まったまま、生成し続けるということになっています。それだと生成され続けるものも永遠に美的感覚の範疇に留まります(ここで言っている美とは、誰が見ても美しいものということではなく、あるスタイルにあっているかかどうかを判断する価値観です)。
そもそもなぜ「少年」のままでは駄目なのか、というと駄目ではなく、話としては面白いのですが、ただ単に「無限」の「永遠」でなければ、言葉だけに考えても、「可能性」の問題が不徹底になってしまうと考えるからです。ですのでこの作品自体としては見事に思います。そしてこの作品が提示した問題については検討が必要に考えます。

この作品自体が様々な可能性をはらんでいると思いました。面白い!

 最終的に「少年の永遠」としか言えないような内容でした。
「彼はずっとある行為に夢中になっていた。~」からの連想ゲーム及び緩やかな発想の飛躍、それによる言葉の連なりの誕生過程は、一読者であるこちらの頭の中を通して爆発的にイメージを広げていき、軽い目眩のような感覚を起こさせました。それは、町中に記される言葉の数々を読んだ際も同様で、腑に落ちるところと落ちないところが同居している様は、気持ち良かったり首を捻ったり、立ち眩みのような感覚に襲われたりといった渦の中に巻き込まれた気がしました。
 少年が家から出ていなくなった年齢が中学卒業時なのもいかにも少年といった感じで、その時点での少年そのものを保存しているような印象を与えました。そうして姿を消したことによって、少年の姿はいなくなった時点に固定され「永遠の少年」になり、その少年がなんらかの方法で延々(作中での終わりが見えない以上、正しく永遠と表現してしまってもいいかもしれません)と出現させている様は、タイトル通り「少年の永遠」であるように思えます。それは塩の一粒一粒を辿った結果が「少年の永遠」という文字を描かなくてもやはり「少年の永遠」のように思えるのです。姿を消そうと消すまいと少年(あるいは結局払われなかった少年の霊)は少年としてのいとなみをこれからも延々(永遠?)と続けていくのかなぁ、とぼんやり思いました。面白かったです。

「母親の産道」で引っかかってしまいまして。産道というからには母親のもの以外であるはずがなく、産道を通して子を産み落とした存在はもれなく母親であるわけです。ですから「父親の産道」とか「少年の産道」なんてありえない。今のところ、日本では。(海外では代理母の存在が認められていますが、やはりあくまで「母」です)
という御託をいきなりすみません。
それより少年です。
彼は中学を卒業したとき、両親に20万円で見捨てられてしまいます。15才。法的には少なくともあと5年ほど少年でいられます。男はいつまでも少年の心を宿しているとか認めません。作者さんも認めなかったようです。
とすると彼は永遠になるしかなかった。しかし永遠普遍だと神様になってしまいます。だから故郷の町限定の偏在なのでしょう。それにしたって霊媒師に払えるわけがない。少年の永遠は永遠なので永遠に続く。続くから永遠なのであり、永遠であるなら終わりはない。

しかし永遠に始まりはある。彼が産道で引っかからなくてよかった。


途中までとても楽しく読んでいたのですが、少年脳内の抽象表現が増えるあたりから目が滑り始める。ボリュームの問題で、抽象表現には適度な量というのがあるのだと思う。咀嚼できる程度に小出しにしてもらいたかった。もちろんこちらの頭の問題で、難なく理解できる人にはなんの問題にもならないんでしょうが。

ただただ不思議な話、という印象。

冒頭で激しく興味を惹かれた「産声を上げるよりも先に自分は少年だという感覚が雄叫びをあげた」という一文は、彼の特質・特性の説明以上の深掘りはされず、《さか上がり途上、蹴り上げた炎天に靴を残して居残り授業》などといった意味をなさない言葉の塊がこれでもかというほど羅列されているのをみて、この無秩序な言葉の羅列を列挙するがために書かれた作品なのかなと得心させられた。
作り手としてこれを考えている時間は有意義だったんだろうなと想像するけれど、読んでいて楽しかったかと問われれば何とも言えない。

一粒一粒をたどって、読めたかどうかは定かではないのに《少年の永遠》とはいったいどこから出てきたのやら…。

なにをどうしてこの発想に至ったのかが不思議でしょうがない(褒めてます)。冒頭の「少年! 少年!」というところから言いようのない気持ち悪さ(褒めてます)。
彼は評価されていないようですけど、認知特性のようなものなんでしょうかね。彼と同じようにこの作品に対する評価というのはひどく難しいけれど、好きか嫌いかで言えば好き。投票は別にして。この手の話って文章で読んでこそかなって思っていたけど、これは漫画で読んでみたい。アニメではないな、静止画として送りたいなと、新たに感覚をもらった気がしました。