サルのアレゴリー

ツムラヤス

 はじめてそれを可能にしたのはジローというサルだった。ジローは野生のサルではなく、動物園のサルでもない。ペットのサルである。
 ジローは人懐こいサルでよく飼い主について回ったが、頭のいいサルではなかった。ヒトの言葉を理解しているようではまったくなかったし、よく物を壊したし、サルなりのコミュニケーションすらおぼつかないサルだった。ジローは落ちこぼれだった。
 ジローが好きなものはヒトとバナナ、パソコンとキーボードである。飼い主はそれを使って仕事をしているから、ジローはいつでも好きなものに囲まれていた。彼にはパソコンとキーボードが必需品だったし、ジローにはバナナが栄養源だ。しかしジローはバナナしか食べられないわけではないし、飼い主だっていつもいつも家にいるわけではない。パソコンとキーボードだけが常にジローとともにあった。あるとき飼い主が恋人とのデートから帰ってくると、ディスプレイに文字が書かれていた。
 ばあばなあ たべたい ジロー
 こういう意味のない言葉ではあったが、おそらくバナナのことか、恋人への恨みを綴ったものであろう。いや、深い意味はないのかもしれない。しかしキーボードはローマ字入力になっていたのだから、BAAまでは譲るとして、その後BANAと続くのは片手ではまずありえない運指であり、両手を使ったところでかなり高度な動きをしている、とある評論家は述べた。しかしこれはたぶん裏の裏をかいた高度な冗談である。運指の問題ではなく、分節と片仮名の使い分けのほうがよほど高度だし、署名までしている。統計的にも不可能なことだ。これをもってジローは自らの意思でそれをしたのだと考えられるようになった。ジローは研究対象となり、実験室に送られたが二度と同じことは起こらなかった。研究者たちはひどくがっかりして、ジローは家に帰された。
 ジロー熱もすっかり醒めたころ、インターネット上のある掲示板にジローがあらわれた。ジローを名乗ったわけではないが、それはジローに違いなかった。飼い主以外にはジローしか知りえない情報だったからである。ジローはヒトともサルともコミュニケーションをとることができないし、しゃべることもできない。文字を書くこともできない。しかしキーボードさえあれば文章を打ち込むことができるのである。それはオウムのような意味のない模倣ではなく、紛れもなく意味を持った文章であった。
 そこに書かれた内容については、プライバシーの侵害にあたるからここでは書けないが、どこかに残っているかもしれない。興味があれば調べてみるといい。それはあまり面白い内容とは言えないし、お世辞にも上手い文章ではない。しかしカタコトではなく、リュウチョウな文章ではある。
 それからインターネット上の文章のいくつかはサルが書いたものだということが噂されるようになった。ジローだけが特別ではない、そう考えるのは自然なことだし、証拠も出てきていた。ある動物園の飼育室では、使われていないはずのパソコンのキーボードにサルの指紋が確認され、おまけに母音のキーの反応だけが悪くなっていた。
 サルたちは賢かった。政治的な文章を書くものもあるし、科学論文を書くやつもいるし、詩や小説を書くサルもいる。ただし分類はヒトがする。あれは小説、それは詩だ、エッセイだ、こんなものはブンガクではない……サルはそういったことを考えない。サルは考えなくても書けるのである。ただし人前では絶対に書かない。
 サルたちが文章を書けるということは、それから十年も経たないうちに当然の事実として受け入れられるようになった。しかし相変わらず人前では書かない。キーボードを渡してやっても、ぶん投げて壊してしまったり、まったく興味を示さないサルもいる。ジローは明らかな興味を示し触れもするが、母音を除けば1文字すら書けない。人前ではただのサルである。しかしサルは行為を見られたことがあることくらいは理解しているはずなのに、何のためにとぼけているのだろうか。
 かしこいハンスという話がある。ハンスというのは数学ができるウマだ。ハンスは出された問題を理解し、答の数だけひづめを鳴らす。どうにも疑わしいのだが、インチキではない。飼い主は誠実だったし、誰が見ても飼い主に変わった動きはなかった。目配せもしなかった。しかしハンスが数学を理解しているわけではないということもすぐ明らかになった。ハンスの答えられない問題と、飼い主が答えられない問題とが一致していたからだ。だが飼い主はサインを送っていない。意図的に送ってはないし、こっそり送ったわけでもない。ではどうやって答えを知ったのだろう? それはあるものを感じ取ったからだった。
 ハンスは空気を読むウマだったのだ。
 これは私の仮説に過ぎないが、サルが人前では文章を書かないのは、逆クレバー・ハンス効果なのである。つまり、空気を読んで書かないか、あるいは書けないのだ。サルはヒトの前では無能になる。もちろん色々なサルはいる。個体差はあるが、どのサルにも共通しているのは文章入力の様子を決して見せないということだ。実際、サルが文字を打つところを見たものは一人もいない。ただ撮影されたものはある。いや、あった、と言うべきなのだろう。こっそりサルが保管していなければ、もうどこにも残っていないはずだ。信用できる筋からの情報によれば、撮影されたサルは手元を見ながら片手で打っていたと言われる。だがすべてのサルがそうなのかを判断するには少なすぎるサンプルだ。
 重要なのはネット上の文章がサルによるものなのかヒトによるものなのかがわからないということである。反社会勢力によってサルは保護されているからである。さらに状況を困難にしているのは、誰がサルを保護しているのかわからないことだ。ここに書いた文章はすべてサルの書いたと言われている文章をそのまま拝借して組み合わせたものだが、これを読むあなたたちは私をサルと思うのだろうか。興味のある話だが、確かめることはできない。
 サルはヒトを脅かす存在となった。文字を持つことだけで、サルたちは株と為替で儲けることもできた。国家機密をリークしたし、ヒトの滅亡を予言した――いまのところどれひとつとして実現していないにしても。
 今年はジロー生誕200周年記念にあたる。ジローのその後について興味があれば各自で調べてもらいたいが、ジローは幸せに暮らし、その後ステキなメスに恵まれてコドモをもうけた。ジローの子孫はいまでも幸せに暮らしている……そういった資料を見つけたが、殺されたとする文献も残っている。殺したのは飼い主だという学者もいるし、飼い主の恋人だという説もあるし、サルにうらみを持つ赤の他人というものもいる。中にはサル同士の抗争で倒れたとする説もあるが、どれが本当なのかは誰にもわからない。調べる場所によって内容が違うから好きなものを選べばいい。選べなければ自分で作ってもいい。昔ビートルズという音楽グループがいたそうなのだが、本当にそんなグループがいたのかどうか、証明することは私にはできない。ただ信じることができるだけだ。昔ビートルズという音楽グループがいて、大変人気があった、と少なくとも私は信じている。しかしなぜ信じられるのかと問われれば、答えることはできない。同様のことは他にもたくさんある。 
 サルは文字を持つことで変わってしまったが、ヒトも変わってしまった。ヒトは新たに何かができるようになったわけではなく、ただサルの影響だけで変わってしまったのである。もちろんヒトは今でもクニに属しているし、マチに住んでいる。カイシャに勤めてキューリョーをもらっているし、ときどきカローシもする。それをめぐってサイバンもする。そうしたことは何も変わっていない。しかしここで変わっていないのは社会であって、ヒトではない。ヒトは孤立してしまったのだ。コミュニケーションはサルが妨害している、ヒトにとってのサルはその存在自体が妨害なのである。ヒトは書くこともしゃべることもしなくなり、ただただ陰気くさい顔で社会を生きて、人生はやり過ごそうとしている。ヒトは変わってしまったのだ。それを見てサルが笑う。
 サルはいつも笑っている。誰だって見たことがあるだろう、ニッと歯をむいて陽気に笑っている、あの顔である。しかしサルの表情に人間と同じ感情を読みとることはできない。サルの笑顔は不安を表している。サルもまた孤独なのだ。サルは文章を書くことができるようになったが、いまやそれを取り上げられようとしている。書いたところで、読むものがいない。誰もつながっていない。ヒトとサルは戦争をしている、それは無言と饒舌の殺し合いなのだ。だが誰にも情勢はわからないし、勝者がいるのかどうかもわからない。正しい情報をヒトが得られる可能性は金輪際ないし、サルが何を考えているのかもわからない。おそらくサル自身にもわからないだろう。

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