高橋

猫のテブクロ

 「たばこのみ」

 己(おれ)は元来嫌煙家だ。喘息持ちの父の遺伝からか、環七と環八に挟まれた世田谷という土地で生まれ育ったためか、己もまた呼吸に難があったのと、嗅覚が敏感で微かな匂いでも気になってしまう質のためだ。
 小学三年で名古屋に越してきた頃から付き合いのある高橋という男がいて、彼は彼で父親がヘビースモーカーだったせいか、己の知る限りでも高校の頃には既に喫煙の習慣を持っていた。彼の父はピースの缶を食卓脇に常備する、絵に描いたような愛煙親父であったが、さすがに十代の彼はピースをやるほどではなく、キャスターの赤いマイルド5ミリを吸っていた。一緒に食事などした後で一服する様を快くは思っていなかったが、それでも友人の愛用品ということで、煙草全般を嫌いつつ赤いキャスターに少しく好感を持っていたのは自分でも不思議な感情であった。
 二十四で東京の会社に就職して最初の夏に一週間ほどの沖縄出張があり、帰ってくると己の机の上に未開封の赤いキャスターがあった。誰かが己の隣近所の人と話すために腰掛け、そのまま置き忘れていったのであろう。忘れ物の付箋を貼って落とし主が現れるのを待ったが誰も取りに来なかったので、それなら自分で吸ってみようと思いついた。
 そのときが初めての喫煙でもなかったし、特別の感慨があったか覚えていない。慣れないことだから吸い方がよく分からなかったのではないか。最初はその吸い方を身に付ける過程を楽しんでいたようにも思うが、やがて仕事で付き合う人たちの喫煙の様を見るのも楽しみとなった。仕事の場は基本的に緊張感を伴うものだが、煙草に火を点けると大体どの人も多かれ少なかれ緩むのである。
 赤のキャスターマイルドから始まった己の喫煙は、ほどなくして贔屓をひとつ上の7ミリのキャスターに変えた。当時は7ミリが緑だったが、後にはメンソールにその色を譲って7ミリは金になった。しかし両方ともに不人気のためか、今なお緑も金も見かけることはまずない。知名度は低かったが、人にやると大抵うまいと言って喜ばれた。そうした反応は我がことのように嬉しかった。
 ホープに乗り換えたのは軽薄な理由で、ある初老のカメラマンが吸っている姿を見て真似したくなったのだ。白髪交じりの職人が寸詰まりの紙巻きから紫煙を燻らす様に、枯れや寂(さび)の趣を感じたのだ。慢性胃炎を患っていたので、しばらく吸っていたら頻繁にえずくようになった。
 その職場を辞して名古屋に帰ってきたら、高橋は茶色のキャスタースーパーマイルド3ミリを吸っていた。帰ってきてしばらくは己も7ミリを時々吸っていたが、上述のような親父の家だったので自然と吸わなくなった。
 去年、ついに高橋が結婚して、嫁の勧めに従い禁煙を始めたそうだ。喫煙による肺の汚染が抜けるには吸ってたのと同じくらいの時間が要ると聞く。人生の半分は吸い続けてきた彼から脂(やに)を抜くのは難しいことだろう。
 実家に帰ってしばらくの後、東京に行く用事で新幹線に乗ったら、車内の喫煙ブースの禍々しさに仰(ぎょう)としたことがあった。立ち小便でもするように横列を組んだ男たちが次々とニコチンを補給していく様は、およそ嗜好品の快楽とはかけ離れた図に見えた。
 かつて秋葉原からまっすぐ末広町へと歩いた中央通の左側にうなぎの寝床のような喫煙所があり、奥の煙草屋では珍しい洋煙草や葉巻などを売っていた。先日その辺りを歩いたのだが、そんな場所があった形跡すら見て取れないほど変わり果てていた。何に変わっていたかは記憶に残っていないので、よほどつまらない場所になっているのだろう。
 己の目の届く範囲から煙草や喫煙者が消えていく。敢えて自ら喫煙の許された場所に近づかない限り出会うことはないし、出会ったら出会ったで、少し前まで自分もやっていたことだろうに憎しみすら覚える。
 確かに煙草は臭いけれども、その憎しみは法や街や喫煙ブースに煽られ、膨れ上がったヒステリーではあるまいか。神経症患者の取り決めで、世の中の在りようが決められているのではないか。


 「タイの宇宙要塞」

 藤子・F・不二雄に『劇画・オバQ』という傑作読み切りがある。(何故かSF短篇集に収録されている)
 オバケのQ太郎のその後を描いた話で、大人になり結婚もした正ちゃんの家に突然Q太郎がやってくる。かつての仲間を呼び集めて語り合ううち、少年の頃の夢を取り戻そうと盛り上がるが、泥酔から覚めた正ちゃんは妻の妊娠を知らされて歓喜し、意気揚々と勤めに出かけていく。
 見送ったQ太郎は、「正ちゃんに子どもができた、ってことは、正ちゃんはもう子どもじゃない、ってことだな」とつぶやき飛び去っていく。

 小学三年に上がる春に名古屋に越して来て、そこで同じ学級だった経緯から今も付き合いの続いている高橋という男がいる。昨年結婚し、その式が己の参列した初めての結婚式となった。初めての披露宴で友人代表のスピーチを任されたので大いにへどもどした。
 九月に式があり、その年の暮れに他の友人も呼んで酒の席があった。式まで数年ほど誰とも会っていなかったので、久方ぶりの内輪の席は劇画・オバQのようでもあった。
 年明けてからまた半年ほど連絡を取っていなかったのだが、彼の式でも同席した平井とつい先日会う機会があり、その場で高橋の話になった。平井もまた、ついに結婚するという不意打ちの札を切り出してきたのだけれど、秋に行う式に高橋と彼の嫁を呼ぼうとしたところ、出産予定日の前月なので嫁は難しいという答えであったという話のほうが、平井には悪いのだけれど、驚きがあった。
 何せ己にはそんな知らせなど全く届いてなかったので、折を作って「平井方面から耳にしたのだが何やら目出度いことがあったらしいではないか」と持ちかけてみたところ、この度の会食という運びとなった。
 何か食べたいものはあるか、と尋ねられたので、蒸し鶏の載ってる米飯が食べたい、と返した。では店を指定しろということだったので急いで探したところ、名古屋にはスコンターというタイ料理店が何軒か散在しているらしいと分かった。名城線の彼と鶴舞線の己、双方にとって行きやすい大須の店舗を選んで昨日会ってきた。
 名城線と鶴舞線が直角に交差する上前津駅の鶴舞線側、西端の出口から上ると目の前に∪FJがある。その脇の道からアーケード街に入るすぐ手前、昔は早川書店というエロ本屋であった今は金券ショップの向かいに、大須では珍しいメイド喫茶があり、その二階を見上げると窓に「タイ料理」と書かれている。そこがスコンターカフェである。堂々と書いてあるのに今まで気づかなかったのは、大須のほとんどの店が一階で完結してるためであろう。ここでは人の目は水平より上に向くことはないのだ。
 己の方が早く着きすぎたのもあったが、高橋は東別院まで乗り過ごしてしまった、と言って少し遅れて来た。店に入って品書きを見ると、果たして蒸し鶏を載せた米飯の写真があった。己は、このカオマンガイというのが食いたかったのだ、と彼に写真を示した。有名な料理なので図を見れば彼も理解したようで、シンガポールのチキンライスってやつか、と頷いた。それは中国では海南鶏飯と言ったり東南アジアでは国ごとに別の名前があったりするのだが、要するに同じものであるらしい。どこにでもあるとも言えそうだが、普遍的なうまさがあるとも言えるだろう。
 ガパオってのも有名だよな、と高橋が隣の写真を指した。ガパオもうまいし小松未可子はパッタイが好きなんだよ、と己は更にその下の焼きそばの写真を指した。
 宇宙要塞みたいな名前のやつ何て言ったっけ、とふいに高橋が切り出した。タイ料理における宇宙要塞とは一体、とふたりで品書きを順に見て行くと、急に彼が發(はつ)とした調子で大きな声を上げ、一つを指し示した。
「ガイヤーンだ! 宇宙要塞ガイヤーン!」
 満面に笑みを湛えた高橋と相対して己は、戸惑うのと同時に脱力して、その焼鳥の写真を見ながら笑ってしまった。
 旧交の友に子が出来ると聞き、冒頭に挙げた劇画・オバQの結びを思い出したりもしたのだが、では目の前の男を、もう子どもじゃない、と言い切れるだろうか。
 すぐには答えの出ない疑問を鶏飯とともに胃の腑に落としこみつつ己は、
「ガイってのは鶏肉のことなんだねえ」
と言った。

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