ゐかろす 上

小林某

――こちらは、中央管制局です……ハリケーン・エカチェリーナは間もなく第二三地区を通過いたします……本日は、なるべく外出を避けて、風乗りなどは絶対になさいませんよう……

「おあつらえむきだろ。ここは広い高台になってるし、誰も寄りつかないんだ。ここには大きなマンションが建つはずだったんだけど、都市計画が頓挫して、そのまま忘れられちゃったんだよ」
 タラは口いっぱいにためたヨダレをしぶきにして飛ばしながらしゃべっている。タラ、というのはタラコ唇からとったあだ名だ。普段は大人しい服装だが、今日はエルヴィスふうのいかすジャケツで決めている。
「単純に台風がすごいからだよ。ここに来るまでだって誰もいなかったでしょ」
 京野が腕組をして言った。腰まである長い黒髪と短いスカートが印象的、ルックスまずまずといったところだが、およそ女らしさというものがなく、粗野で皮肉屋でおっかない。しかし確かに今日外に出るやつはよほどのバカだけだ。
 そのバカの筆頭が『ゐかろす』を引きずってやってきた。全身を黒革でつつみ、安全ピンや鋲をあしらっている。要するに、よくいるパンクかぶれだ。
「パーンクロックが歌っているんだぜー……ぜぇ、ぜぇ、おいお前ら少しは手伝えよ……」
 歌っているのはぼくらのバンドのトップ・ナンバー『パンクロックのテーマ』。曲を作ったのはぼくだが、大それたバンド名と恥ずかしい歌詞をつけたのはこいつだ。こんなことで息が切れているくらいだから声量は大したものではないがそれを補って余りある勢いがある。というよりそれしかない。
「製作を手伝わなかったんだからな、それくらいやってくれなきゃ。だいたい、お前が飛ぶんだし」
「もう着いちゃったからいいけどよ……しかしタラもひどいがお前のそのかっこう、さらにひどいな。短パンによれたTシャツ、黄色い帽子って? さらにランドセルに縦笛までつっこんで……」
「おい、気安く触るな! ここにはな、曾祖父の代から受け継がれた伝統工具が入っているんだ」
「そんな大事なもんランドセルに入れてくるなよ……」
「ステージ用にあつらえた衣装だ。どうだ、パンクロックだろ」
「いやあ、ちょっとジャンルがちがくないかな……」
「なんだって……パンクロックは自由! 常識をぶち壊せ! これは『パンクロック』の伝説的ボーカル加藤の言だったはずだ。違うか?」
「ち、ちがくないぜ! そうさ、自由こそパンクロック……パンクロックイコール自由! しかしだからと言ってこんな小学生みたいな……いやでも姉さん、これは本人が好きでやっていることなわけで……」
 悩み始めた加藤を放置して、ぼくは『ゐかろす』を見つめる。『ゐかろす』 の翼は一般に売られている風乗り凧を基礎に、大型にして丈夫な帆布に貼り直したもので、要するに大したことはしていない。ただみんなで手作りをしたという実感があればよかったし、機能的に充実させるよりも派手にするのが目的なのだ。だからデザインだけは凝りたいというので、タラと京野がアヒルの羽を縫い付けた。どうせすぐに引きちぎられてしまうだろうしさほど凝ってもないが、あまり早く仕上げても盛り上がりに欠けるし、ぼくはぼくでやることがあったから好きにやらせておいた。

 ぼくたちは高校生のときから一緒にバンドを組んできた。地元ではそこそこ名前も知られていて、数える程度だが有名なハコで演奏したこともある。でも高校を卒業すると、みんなばらばらになってしまった。プロとして食べて行く自信はなかったし、それぞれの進路があった、というよくある話だ。大学に行ったドラムのタラとは時々連絡はとっていたものの、会うには休みも時間もかみ合わなかった。京野はファッション系の専門学校に通い新しくバンドを組んでギターを続けていたが、合コンだの飲み会だの関係ないイベントのほうが中心になっているのが面倒だとかで練習にはほとんど参加していないらしい。タラとは家が近いので出くわすこともあったが、オウとかヨオとか挨拶を交わす程度でそれもしばらくするとどちらからともなくやめてしまったのだとか。ボーカルの加藤は埼玉地区の最大手さきたま百貨店に就職してそれっきりだったが、卒業から二年ほどしていきなり連絡があった。会社勤めで少しは大人になったかと思っていたが喋ってみると相変わらずのバカで、雑誌『バンドやるのぜ!』に「当方ボーカル 埼玉地区で活動できる方」で全パートのメンバー募集をかけたところひとりの応募もなかったため、辞表に「埼玉は不毛の地」としたためて地元に帰ってきてしまったのだという。 それでもいちおう世間体を気にするところがあるのか、本当は半年もしないうちに辞めていたらしい。今は実家に戻り、ときどき日雇いの仕事をしているそうだ。
 加藤は一度繋がると何度も何度も連絡してきた。聞いてみるとタラや京野とも連絡をとっているという。だったら久しぶりにみんなで会ってみようということになり、地元の黒木屋で飲むことになった。そこで加藤がライブをやってみないかと言い出したのだ。でもタラはまったく叩いていないから自信がないというし、京野は「興味ないけどどうしてもっていうなら」などとツンデレしているし、下戸の加藤は言い出しっぺのくせにさっさと寝てしまったので、一番適当に聞いていたはずのぼくが二人を説得する形になった。説得といっても「やってもいいよ」と言っただけだが、タラも京野も待ってましたとばかりに食いついてきた。
 ぼくは実家の工場で働いている。でも親父が元気で継ぐのはまだまだだし、半端に余裕のある日々に不満があるわけではないもののなんとなく退屈していた。みんなもそれぞれの生活に煮えきらないものを感じていたのかもしれない。要するにパーッと騒ぎたかったわけだ。
 ライブの日取りが決まると宣伝をしようということになった。そこに「観測史上最大風速」という、いまいちピンとこないがいかにもすごそうなハリケーン・エカチェリーナのニュースが入ってきた。自然が引き起こす災害というのは恐ろしいものだが、なぜか心躍るところもある。みんなすっかり盛り上がってしまって、空高くからチラシを撒こうということになった。こうしてはじまったのがゐかろす計画だ。

「ずいぶん風が強くなってきた……」
 タラが風にふらつきながら言った。エカチェリーナはすでに見えるところまで来ていて、あらゆるものを巻き込んで大きくどす黒くなっている。京野は腕組みのまま黙ってつま先をトントンやっているが、さっさとやれと目が言っている。加藤はまっすぐに立ち、両手を広げて装着させてもらうのを待っていた。
「乗るしかない、このビッグウェーブに!」
 こんなやつがリーダーとは。
「ばかいえ、ちゃんと助走をつけてタイミングを合わせてやらないと、つけたとたんにすっ飛ばされて地面に激突してお陀仏だよ。まずはへりのほうに行ってだな、それから……」
 誰も聞いていなかった。タラは加藤の腰にくくりつけた四本の筒の蓋を念入りに指差し確認している。これは高校の卒業証書が入っていた筒で、今はチラシに入れ替えてある。京野はひそかに興奮しているのか口をすぼめて鼻の穴をふくらませていた。まあいいか、どうせ死ぬのは加藤だ。風に飛ばされそうになりながらもなんとか『ゐかろす』を背負わせてやった。
 管制局がまた何か放送をやっている、帝国所有地の看板が痙攣している、数百メートル先でエカチェリーナがその猛威をふるっているのだ。みんな口をあけて圧倒されている、タラのタラコは青ざめている、京野はスカートをおさえている、加藤の脳裏を思い出が走馬灯のように駆けめぐる、ぼくは帽子を吹きとばされ、前髪に目を叩かれながら現実を見つめている、『ゐかろす』の翼が風に捕まり、加藤がものすごい勢いで回転しながら飛んでいくのを。
「うわぁー、パンクロ……」
 羽は思った通りあっという間に吹きちらされ、禿げあがった翼がふるえながら上昇していった。第一段階はまずまず成功と言っていいだろう。たぶん。

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