色恋珍話

立直一発自摸平和

「なあ、彼女すごく素敵だろう?」
「あー、あの娘がねぇ」
 僕の問いかけに友人は退屈そうにつぶやきコーヒーに口を付けた。
 神保町にある小さな喫茶店だった。彼女の席はオープンキッチンのカウンターの一番奥と決まっている。僕らは店の端にあるテーブル席に陣取り、彼女の様子をうかがっていた。
「なあ、もっとよくみてくれよ」
 興味なさそうに窓の外に顔を向けている友人の頭を両手でつかみ、無理やり彼女のほうに向ける。
「痛い、痛い。わかったから、そんなに乱暴にしないでくれよ。ただでさえ君は馬鹿力なんだから」
 もやしのように痩せ細った友人だが、相談相手としてはなかなか頼りになる人間である。大学で知り合ったのだが、友人の洞察力と判断力には色々助けられている。これで怠け癖と無神経と妄想癖さえなんとかしてくれたら最高だが、完璧な人間なんていないのだから仕方ない。
「一か月くらい前から、よく見るんだ。黒髪が素敵だろ?」
「さぁね。それよりナポリタンはまだかなぁ」
 冷たい友人だ。僕は相談する相手を間違えたかな、と軽く後悔しつつ彼女を見る。今時珍しいおかっぱ頭に黒縁眼鏡。あか抜けないが清純で優しそうな印象を受ける。彼女は今日も席に紅茶と文庫本を置いている。
「本が好きな人なんだよ。毎日同じ席で紅茶の香りを楽しみながら本を開いてさ。読む本は決まって同じ本。きっと純文学ってやつだろうぜ。どこか別次元の人って感じだろう」
「お待たせしました」
 渋い声。口髭のマスターがナポリタンを運んできたのだ。ほんのりと漂う湯気とともに、トマトソースの香りがしてきて食欲をそそる。
「あばたも笑窪。いや、類は友を呼ぶかな」
 友人はパスタを受け取りながらいった。
「なんだい? 急に」
「べつに。確かに君みたいな運動バカからすれば、純文学なんて別次元の趣味だろうねぇ。いや本当、神保町なんて文化的な町にある喫茶店に君が通っているとは、それ自体奇跡みたいなものだと思うよ」
 この友人の歯に衣着せぬところが好きなのだが、時々こいつと友達を続けられている自分を褒めてやりたくなる。付き合うようになって数年になるが、この友人から僕以外の人間と遊んだという話を聞いたことがない。北海道から出てきてたということだったが、友達も作れず、大学とバイト以外は家で引きこもって、つまりはそういうやつなのだろう。
「……神保町周辺にはさ、古本屋だけじゃなくてスポーツ用品店が多く並んでいるんだよ。先輩から今シーズンスキーにいこうといわれていて、道具の下見にね」
「なるほど。納得したよ。しかし本当にいい店を見つけたね。ナポリタンがすごく美味しいし、小ぢんまりしていて居心地がいい。店員はさっきのマスター一人きりなのかい?」
「ああ、そうだよ。ダンディーでかっこいいよね」
 店内はテーブル席が三つとカウンターしかない。カウンター席は四つで彼女だけが座っている。彼女の前には小さな厨房。そして店内を観葉植物で二分し、彼女がいるのは喫煙席、僕らがいるのが禁煙席となっている。
 カチャカチャと食器の音。聞いているのかいないのか、美味い、美味いとナポリタンを懸命になって頬張る友人の口の周りはソースで汚れていた。
「ああ、もう。ガキじゃあるまいし」
 僕は紙ナプキンをとるとぐいぐいと友人の口の周りを拭いてやる。
「ははは。悪いね」
「別にいいよ。弟がいるから慣れているし。五歳のね」
 軽く嫌味を言ったつもりだが、暖簾に腕押し。友人は全く意に介せず再びナポリタンを頬張っている。どうやら今回は相談相手を間違ったらしい。
 と、そこで彼女が咳き込んだ。後ろの席の男の吸い始めたタバコの煙が、彼女のほうへといったらしい。
「まったく。これだから喫煙者は嫌いなんだ。もっと人の迷惑を考えてほしいよ」
「ふぅ……。君ね、一つ忠告するけど、物事ってのはもっと広い視野で見たほうがいいよ」
「どういうことだい?」
「まぁ、端的に言うとさ、彼女は諦めた方がいいよ」
 友人は僕にフォークを向け、いった。例によって口の周りがソースでべちゃべちゃだからまったく様になっていない。
「な、なにをいうんだ。酷いじゃないか」
「ふん! 私より君の方が酷いさ。あの喫煙者はちゃんと喫煙席でタバコを吸っているんだぜ? むしろ悪いのは喫煙席に座っている彼女のほうじゃないか」
 友人のフォークは喫煙者の男から彼女に向けられる。
「そ、そうかもしれないけどさ、だからってなんで僕が彼女を諦めないといけないのさ」
「恋は盲目だね。ここまでいってもわからないか。なあ、一つ聞くがなぜ煙草を吸わない彼女はいつも喫煙席にいるのかな?」
 僕は突然の質問にとまどった。確かに彼女は煙草を吸わないのにいつも喫煙席に座っている。
「答えは一目瞭然だぜ。彼女は紅茶の香りなんて楽しんでない。だって彼女が好きな席は様々な匂いのする厨房の前だ。それに本だって開いているが、全然読んでない。だって一か月だぜ。読むペースは人それぞれだけど一冊読むのに一か月はないだろう。彼女は君と同じで清純なのだろうね。よく見なよ。彼女の視線の先をさ」
 僕は唾を飲んで彼女を見た。視線は……。

 あばたも笑窪、類は友を呼ぶ。友人の言葉を反芻する。
 彼女の目は僕と同じ恋する人の目だった。まさか彼女があの髭のマスターに片思いだったとは。
「まぁまぁ、気を落とすなよ。君に色恋沙汰は似合わないって」
 追加で注文したコーヒーを飲みながら、友人はすっかり上機嫌になっていた。
「どうやっても元気なんかでないさ……」
 彼女と出会ってから一か月。毎日のように神保町まで通った時間も金も馬鹿に出来ない。
「おお、そうだ。そろそろ君の相談事を解決しようじゃないか」
「相談事?」
 何を言っているのだろう。相談ならもうとっくに解決してくれた。決して僕の望まない方向に、だが。
「隠すなよ。今日はスキー道具を買いに来たのだろう。任せてくれよ。ほかのスポーツはからきしだが、スキーだけは北国出身者として君の力になれるだろうさ。ま、まぁ、君がどうしてもというのなら私が今シーズンの初めにつきあってあげてもだな……」
 何を照れているのか、いつもは憎たらしいくらいズケズケとものをいう友人の口調が、だんだんと歯切れが悪くなっていく。
「いや、スキーは先輩といくから別に……」
「ああ! せっかく雪山に行くんだから温泉は必要だな。二人でどこか風光明媚なひなびた温泉旅館にでもいって、旅の疲れを癒すなんてこともいいなぁ。ふふふ、どこがいいかなぁ。やはりオーソドックスに新潟か、雪質を考えて東北方面まで足を延ばすか……」
 ダメだ。先ほど僕に忠告した広い視野とやらはどこへ行ったのか。全然聞く耳を持ってもらえそうにない。
「さあ、善は急げだ。早く買い物へと行こうじゃないか」
 強引に手を引く友人に連れられて、僕はおそらく最後に来ることになるであろう喫茶店を後にした。

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