いぬいにけり

猫のテブクロ

 一九九三年の八月、名古屋の社宅から日進に戸建てを構えて越したのは犬を飼うためであった。そもそもは社宅に住んでいられる年数の限界に近かったという事情もあったのだが、そこに犬を飼いたいという父の長年の願いも加わり、我が家は郊外に住むことになった。
 犬はダルメシアンで、生まれて二週間程度の痩せっぽちだった。痩せているのは生まれたばかりというだけでなく、親と離され狭い檻に閉じ込められていたのと、周りの犬の喚くのに囲まれていた状況がいけなかったようだ。今にも死んでしまうのではないかと思われるほどに細っていた。
 一応は名前の付いた犬種であったが、血統を疑うほどの安値で買ってきたらしい。この種の目印である黒い斑点が少なく、豆大福と疑うくらい白が勝ってる印象だったので評価が低かったのかもしれない。またそれとは別に、すぐに死んでしまいそうだから、という理由もあったのだろう。投げ売りである。
 四月のある土曜日、己(おれ)が帰ると家の中がやけに静かで、その静けさの中を奥の間に行くよう母は無言で促してきた。両親の寝所である和室に入ると父親が畳の上であぐらをかいており、その脚の上でやつれた子犬が震えながら眠っていた。父は静かに私を見上げて笑んだが、己には可愛いとかいうより、間もなくの死がそこに横たわっているよう感じられて、何やら怖い気持ちがした。
 犬は母の好きだった俳優から頂戴してケビンと名付けられた。己ははじめのうち名前で呼ぶことができず、「犬」と呼んでいた気がする。それはきっと親のことを「あの人」とか「おじさん」「おばさん」と呼ぶのと似たような感覚で、素直に愛情を向けられない頑なさの表れであったのだろうと思う。当時の己は中学一年で、思春期に踏み込んだところだった。
 生まれたときの境遇がそうさせたのか、ケビンは臆病な犬だった。しかし、弱い犬ほどよく吠えると言うけれど、やたら騒いだり噛み付いたりもせず、温和とも言い換えられる性格だった。これは新居で生活するに当たり良いことであったと今にして思う。
 越してきた頃、家の周りは空き地ばかりだったが、一年二年と経つうち、すぐにそこらは民家で埋め尽くされた。当時の父が四十代だったが、それくらいの働き盛りが次から次に家を建て、越してきたのだ。
 新興住宅地には犬が多い。父と同じようにそもそも犬を飼うことも含めて一軒家を選んだ家族もあるだろうし、防犯のためとかいう理由もある。しかし何より大きいのは、犬の世話をする体力も人手もあるということだろう。飼えるものなら犬を飼ってみたいと思ってる人は、潜在的にはとても多いことだろうと思う。そこに飼える条件が揃えば人は犬を飼うのである。
 住宅地が興れば人も増えるし、犬も増える。犬も大勢が近くに寄って暮らしていると社会のようなものが出来るらしく、そこで生きるのに彼の柔らかな物腰は重宝だったと思う。犬の社会で生きてないので分からないが、人の身から眺めていてそのように感じた。
 一方で、ダルメシアンという種は群れで馬車を囲んで並走する護衛犬という役目を持っていたらしいので、走るのを好むところがあった。主に世話をしていた母では手に負えなかったようだが、己や兄が散歩に連れて行くときは付き合える限り走ってやっていた。躾としては走ることを覚えさせない方がいいらしいが、元来走るよう作られた犬に走るなというのは酷であろうと思う。
 そういえば散歩をしていると知らない人から声をかけられることがしばしばあった。立ち止まるとケビンに挨拶して去っていく。彼は人間の己よりも、人の社会の近所付き合いに長けていたようだった。
 大阪の大学に進学が決まって、己は日進の家を出ることになった。卒業後は東京で就職したので、大学以降は長期休暇で帰省した折くらいしか彼を見なかったし、また離れて暮らしてるときに思い出すこともなかった。
 二〇〇八年の六月、仕事を辞めて東京から引き揚げてくると、既に実家に彼の姿はなかった。前年の五月に死んだのである。犬で十五歳まで生きたというのはなかなか長命であったらしい。
 おそらくは己が家を出る辺りで彼の肉体的な成長は峠を迎え、己の見なくなった頃から緩やかな下りに入っていたのではないかと思う。例えば冬に帰省すると、彼は己や他の家族のお古のセーターを何重にも着込んで寒さをしのいでいた。もちろんそれは親がさせていたのだが、そういうところにも老いの影が落ちていたように思う。元々老け顔というか翁的な面差しだったけれど、その頃の彼は殊更に骨筋張って見えた気がする。老いた彼と散歩に行ったこともあったが、もう走ることもなかったし、かつての半分も歩かぬうちに家に帰りたがった。
 己は見ていないが、最終的には後ろ足が立たず、ずっと尻もちをついたような格好になって、歩くこと自体ができなかったらしい。春ではあったがやはり家族の服を重ね着して、カーペットの上で震えながら時折苦しむような素振りを見せ、やがて死んでいったのだそうだ。己の弟として家にやってきた彼は、いつの間にか己を越して老夫となり、そして死んで、いなくなってしまった。
 実家に帰ってきてしばらく経った頃、家の門扉の前で知らない老婦人に声をかけられた。あなたこの家の息子さんかね、ずいぶん大きくなったねえ、時々ケビンちゃん連れて散歩しとったのを見かけたわ。そう言って去っていくのを見送ると、すぐ二軒先の家の住人であったらしい。
 帰ってきてからの近所の話をすると、まず子どもの気配がしなくなった。ここらに家を建てた世代が初老に入り、その子らも己と同じくらいと考えると、大方は家を出たのだろうし、むしろ子を生んでいたとしてもおかしくない。この街に残っているのはほとんどが老人なのだ。
 同じように、犬の姿も見かけなくなった。かつては朝やら夕方になると犬を連れて散歩してる人の姿をよく見かけたが、今では人が一人で散歩してるだけで、連れ添う犬の姿はほとんど見かけなくなった。先に飼える条件が揃えば人は犬を飼うものだと書いたが、つまりはその条件が崩れてしまったのだ。人手はなくなり、世話するだけの体力もなくなってしまったので、飼おうにも飼えないのである。
 少し前、裏の通りに並ぶ内の一軒に二匹の犬がいることに気づいた。一匹はジャックラッセルテリアで、己も好きなので覚えているのだけど、もう一匹は興味のない種だったので忘れてしまった。今ここらの人が飼うならこのくらいの小型犬だよなあと思う。少し前まで親父は死ぬ前にドーベルマンを飼いたい、と冗談のように言っていたが、実際死の影が近づいてきた最近はそれも言わなくなった。
 今年六月、父の体に病が見つかった。それはもう手術もできないほどに進行していて、直ちに死ぬというわけではないが、残された生は決して多くはないと思われる。
 物は壊れる、人は死ぬ。犬もまた同様に死ぬ。かつてこの街に集まった多くの命は、それぞれ居を移したり、限られた時間の終わりを迎えたりして、去っていった。
 この街は今、黄昏の中にある。名古屋近郊という立地なので新しく入ってくる世帯もあるだろうけれど、それよりもやがて来る夜のため、就寝の準備を整えている家の方がずっと多いことと思われる。
 思い返すと、ケビンは己だけでなく、主である父の生も飛び越えて天寿を全うし、家族の誰より先に死んでいった。犬は人の生活に寄り添って立ち、やがて倒れる姿を見せることで、避けられぬ終わりのあることを気づかせてくれる存在なのかもしれない。
 今日も、明日も、人の棲家に犬は訪れ、あるいはそこを去っていく。

http://akgk24p.tumblr.com/post/95371513327

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