色をつける

一兎

 彼女は読書の時間が減ったと感じた。それは部屋に未読の本が積まれている風景があまりに日常的になり、それがついに倒れたことではじめて意識された。
 彼女は床に落ちた本を一冊ずつ拾い上げる。そして、倒れないよう2列に分けて積み上げたが、本のタイトルも見なければ開くこともなかった。

 本を購入することで物欲は満たされても知識は増えない。彼女はなぜ、本を購入するもその本を未読のまま、ただ積み上げてきたのだろうか。
 それは彼女の本を購入する目的が物欲を満たすことであり、読むことではなかったからだ。本を所有することが目的であり、本を読むことで知識を増やそうとは思わなかった。

 彼女の夫である彼は、彼女に対し、本を読まないのであれば、本を購入する必要がないのではないかと訊ねた。それではお金の無駄ではないかと。すると彼女は言った。なぜ、本を読まなければならないのか、本は読まれなければ価値がないのかと。彼は彼女に反駁することも、彼女の価値観を質すこともしなかった。

――裁断された本、私はあれを正視に堪えない。

 彼女はある小説家のその言葉を、その感情を、理解することができるし、本は本であることに価値を見出すことができる。

 著述により生計を立てている人がいる。それに関わり生計を立てている人がいる。
 本は、出版業社、印刷業社、流通業者、販売業者、一般消費者の一連の消費活動を作り出し、それぞれの生計を支えている。
 よって、本が出版され、消費されることはそれだけで価値があり、本を購入することはこのサイクルを守り、成長させるための投資と言える。


 彼は音楽鑑賞の時間が減ったと感じた。それは部屋に未聴のCDが積まれている風景があまりに日常的になり、それがついに倒れたことではじめて意識された。
 彼は床に落ちたCDを一枚ずつ拾い上げる。そして、倒れないよう2列に分けて積み上げたが、CDのタイトルも見なければ開くこともなかった。

 CDを購入することで物欲は満たされても知識は増えない。彼はなぜ、CDを購入するもそのCDを未聴のまま、ただ積み上げてきたのだろうか。
 それは彼のCDを購入する目的が性欲を満たすことであり、聴くことではなかったからだ。CDに付属の握手券を入手することが目的であり、CDを聴くことで知識を増やそうとは思わなかった。

 彼の妻である彼女は、彼に対し、CDを聴かないのであれば、CDを購入する必要がないのではないかと訊ねた。それではお金の無駄ではないかと。すると彼は言った。なぜ、CDを聴かなければならないのか、CDは聴かれなければ価値がないのかと。彼女は彼に反駁することも、彼の価値観を質すこともしなかった。

 
 彼と彼女は結婚し、精神的なつながりによる物理的な触れ合いにより子を設けた。婚約指輪、結婚式、婚姻届、出生届、これらは全て精神的なつながりを物理的に視覚化した。子はその最たる象徴であり、彼と彼女に夫婦としての自覚と認識を与えた。

 知識や経験は目に見える形ではないとしてもそこに情報として存在する。情報は媒体を通じ、伝達可能な形態をとることができる。
 媒体は媒介するものであり、手段である。しかし、それ自体が実存することにより、価値を与えることができる。

 経済はあらゆる財に価値を与え、需要と供給による消費活動を促す。

 あなたは、情報を伝達したいのか、それともその行為により生計を立てたいのか。

 あなたは子を育てたいのか、それとも育てなければならないのか。


――自己表現などという身勝手なものが、人が期待するほど、そんなに有り難いものなんかであるはずがない。しかも有り難いものでなければならない義務だってない。様々な感情が人の顔の種類と同じく微妙な差異で存在しているように、多様な表現が存在して然るべきなのだ。それを許さず安易な感情移入や安手の感情移入とやらだけが小説だの文学だの物語だのといって罷り通る世の中には、心から吐き気がする。怒りを覚える。 


「グローバルとインターナショナルの違いは何かわかりますか?」

 もうこの質問にはうんざりしている。成長戦略のセミナーにいけば、グローバル、グローバルと嫌になるほど、聞かされる。どうしてこうも世界は狭くなってしまったのだろう。人類は競争ばかりして本当に共存する気があるのだろうか。

 成長と銘打って金ばかり気にしている企業活動自体が不満である。CSRとは名ばかりで、社会を豊かにしているとは到底思えない。あなた方は競争ばかりしている。競争は成長だけで勝てるものではない。企業は互いに足の引っ張りあいをしている。

 成長するとは何か? 忘れることができないならば、習熟は懐古であり、物事を退屈にし、追体験は繰り返しによりありふれる。だから、自分の意思を言葉にすることのできない人間が「ある偉人」の言葉をくだらないと思うことは合理的である。歩けば歩くほどその一歩を覚えていないようにあなたは成長している。

 忙しい、時間がない。余力のない人々が表象を軽視することにより情報は意味を失う。需要があり、供給がある。人々はその一端で経済活動を行い、生計を立てる。

 子供を育てる、養う、その繰り返しにより社会は成り立つ。ただ淡々と繰り返すことで何かが起こるわけではないが、AMAZONが本屋を殺すように経済活動上は正しくても、あなたの考えるイノベーションが貧富を作り出すのであれば、それは正しいとは思えない。出し抜くことばかり考えていては、社会は豊かにならない。
 
 信号を注視していたはずなのに信号はいつの間にか青に変わり、私は横断歩道の反対側に居た。

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