空に傘、雲に風

樹莉亜


 俄に降り出した雨に追われるように通りを行く人々は足を早める。ある者は下駄を懐に入れて走り出し、ある者は店の軒先を借りて雨宿りを決め込む。
「傘貸すよ! 持っていきな!」
 雨音に負けぬ威勢の良い声に、何人かが足を止める。
 傘屋の前で、若い娘が番傘を配っていた。柿渋を塗った傘には大きく屋号が書かれ、一つ一つ番号がふってある。次々と傘を受け取って行く人垣の中から「ちょいとごめんよ」と声が掛かると、娘は振り向いて一本の番傘を差し出した。
「いや、俺は傘が借りたいんじゃぁねぇよ」
そう言う男は浪人風で、月代も剃らずに伸びた前髪がすっかり濡れて額に貼りついている。着古してほころびの目立つ着流しは肩や背中が濡れそぼって、ひょろりとして頼りない体つきが露わになっていた。
「遠慮はいらないよ。晴れたら勝手に帰ってくる傘だからね」
「勝手に帰る?」
 訝しむ浪人を傘屋の娘はまじまじと見つめた。
「お侍さん、この町の者じゃないのかい?」
「ああ。昨日越して来たばっかりでな」
 浪人は又三郎と名乗った。口入屋の紹介で傘張りの内職仕事を貰いにきたのだと言った。
「そりゃぁ助かるよ」
 娘の顔がぱっと輝く。かねてより内職を引き受けてくれる者を探していたのだと言い、又三郎を店の中へと案内した。店先には開いた蛇の目が数本飾ってある。それらは風もないのに板間を転がって、土間に立った又三郎に色柄を見せつけるようにして取り囲んだ。「この町のものは、みな妖(あやかし)か妖憑き(あやかしつき)」と、口入屋が言っていたのを思い出す。
 外は雨音がいっそう強くなって、店の中にも傘を求める客が増え始めた。
 傘屋の娘が奥から傘の骨と紙を抱えて戻ると、風呂敷に包んで又三郎に手渡した。さらに一本の古い番傘を差し出して言う。
「雨が強くなってきたからね、これ使っとくれ」
 又三郎が遠慮がちに断ろうと手で制す。娘は少し怒ったような顔をして番傘を突きつけ、傘の材料が濡れるから差していけと強引に彼に持たせると、更に言い添えた。
「こいつを手本に綺麗に傘を張ってきておくれ。上手く出来たら手間賃をはずむよ」
「そういうことならありがたく借りとこう」
 又三郎は苦笑混じりに番傘を受け取ると、礼を言って店を出た。強さを増した雨に濡れぬよう風呂敷を抱え、ぬかるんだ道を行く浪人の足下で蛙がぴょこんと跳ねた。

 数日後、又三郎は仕上がった傘を持って傘屋へと続く道を歩いていた。晴れ渡った空はどこまでも青く、白い雲が所々にぽっかりと浮かんでいる。日射しに目を細めながら見上げた空に奇妙なものを見つけて、彼は呟いた。
「なんだぃありゃぁ?」
 青空には傘が浮かんでいた。開いた傘は風もないのに宙に浮き、くるくると回りながらどこかへ向かっている。それも一本ではない。何十本という数が列をなして空を飛んでいるのだ。
 又三郎は、片手をちょいと上げて傘の列に向けて翳した。たちまち強い風が吹き二、三本の傘が列を乱して風に飛ばされたが、風が止むとまた列に戻ってくるくると回りだした。
「風で飛んでるわけじゃぁなさそうだな」
 誰にともなく呟く彼に呼応するかのように、頭上で鴉がカァと、鳴いた。
 青い空を行く柿渋色の傘の列は、又三郎の目指す先と同じ所へ向かっているようであった。「勝手に帰ってくる傘」だと言った、傘屋の娘を思い出す。ぱっちりとした大きな目に小作りな顔立ちが可愛らしい娘であったが、なかなか勝ち気な性格のようだと、我知らず苦笑を漏らす又三郎であった。

 傘の列を追うようにして道を行くと傘屋へ着いた。案の定、軒先では娘が帰ってきた番傘を回収している。
「勝手に帰る傘ってなぁ、こういうことかい」
 吸い寄せられるように娘の手元に収まっていく番傘を眺めながら又三郎が声を掛けると、娘は「便利だろう」と得意げに胸を張ってみせた。預かった傘を仕上げてきた旨を告げると、彼女は嬉しそうな顔をして店の中で待っていてくれと言った。
 店の中には人影はなく、番頭もいないようだった。又三郎は荷物を置くと、外へ出て傘の回収を手伝うことにした。
「悪いね。お侍さんにこんなこと手伝わせちまって」
「構やしねぇよ。侍ったって俺は剣の腕はからっきしときてる『食い詰め』だしな」
 おどけてそう言うと、娘は笑いながら傘をたたみ「そうだろうと思ったよ」と、言った。
 全ての番傘を回収する頃には、昼も過ぎ日も些か西に傾きかけていた。娘は店の奥へ番傘の束をしまいに行き、又三郎は店先の板間に腰を下ろして待つことにする。
「よう、旦那」
 と、背後で声がするので振り向いたが誰もいない。以前と同じく蛇の目が転がっているだけであった。色とりどりの傘の、その『目』がぎょろりと彼を見るように動いた。又三郎は一寸驚いて、改めて目を凝らして傘を見る。均等に描かれていた筈の輪模様がまるでこちらを見据えるように寄っている。
「いま喋ったのはお前さんかい?」
 又三郎がおそるおそる声を掛けると、開いた傘の間からぎょらぎょらと笑い声が溢れた。
「余計なことを喋るんじゃないよ、あんたたち」
 いつの間にか戻ってきていた傘屋の娘がぴしゃりと言い放つ。手には握り飯の乗った皿を持っていた。
「こんなもんしかないけど食べてっておくれよ。手伝って貰った礼だよ」
「こいつぁありがてぇ」
 又三郎はさっそく握り飯をほおばった。このところ、ろくなものを食べていないのだと話すと、娘は呆れたように眉尻を下げた。
「この蛇の目、喋るのかい?」
 彼の問いに、娘は頷いた。
「あたしの描いたもんは喋ったり動いたりするんだ」
 娘は普段は店の奥で、傘を染めたり柿渋を塗ったりしているらしい。ところが娘が染めた蛇の目は口もないのに喋りだし、番傘は空を飛ぶという。
「そいつぁ摩訶不思議な話だな」
「気味が悪いかい?」
 娘の言葉に、又三郎は首を振る。
「ちっと驚いたが怖かぁねぇよ」
 鷹揚に言う彼の、その人懐こい笑顔に、娘もほっとした様子で笑みを見せる。
 娘の名はおみうと言った。色を塗ったり紙に字を書いたりしても不思議なことが起きるそうで、彼女は紙に自らの名を書いてみせた。墨で書かれた文字はたちまち浮き上がり、虹色に光る雲となって又三郎とおみうの間を漂った。
「こいつぁすげぇ!」
 感心する彼の様子に、おみうは恥ずかしげに俯いた。
「どうして雲になるのかはわからないんだ」
「そいつぁお前さんの名だからだろう」
 おみうの書いた字は漢字をくずした平仮名だったが、元の字は『美雲』なのだと、又三郎は紙に書いてみせた。
「へぇ、これがあたしの名かい? 格好いいねぇ」
 ぱっと顔を輝かせる娘の姿に、又三郎も笑みをこぼす。
 どこからともなく吹き込んださわやかな風が、美しい雲を外へと連れ出していった。


 その町には、奇妙な生き物と、一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。


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