獣目 (後)

鰐屋雛菊


 女を制している男はかなり冷静な質のようだ。頭に血を上らせている女の前に立ちはだかる。気弱そうな男もその腕を取って彼女を押しとどめた。
「どうやら手違いだったようです。ご無礼いたしました」
「何言ってんのよ、あれは……!」
「手違いでしたので、どうかそれはお返しください」
 少女の眉がぴくりとつり上がる。
「それを入手するために我らは怪我人も出しました。金に換えねば冬を越せません」
「神に捧げし供物を返せとは、何と不心得な」
「いい加減にしなさいよ、あんた」
 言いざま女が背中の棒を引き抜き構えた。どよめきが起こる。平伏していた人々がいつの間にか顔を上げ、恐怖に満ちた表情でホクブホウメンタイダイジュウイチシダン族の女を注視している。その唇は一様に同じ言葉を紡いだ。ジューケンだ、と。槍のようなその武器には、やはり先端に刃が付いていた。刃渡り二十センチほどの、反りのない片刃の刃だ。それは周囲にあふれる言葉と相まって、私にある連想を起こさせた。
 まさか……銃剣?
「例え獣王の末裔とは言え、雷撃を操れるわけではないわ。あんな物は単なる虚仮威しです、捕らえなさい」
 少女の命令に正殿から衛兵が続々と走り出てきて三人組に襲いかかった。なぜか私にも襲いかかって来た。ひざまずかなかった不敬を咎められてのことか、立っていたからホクブホウメンタイダイジュウイチシダン族の仲間と思われたのか。
「バカにしないでよね。雷撃は出なくっても、あたしらこいつと弓で熊も仕留めるんだからね」
 当たり前だがその場はパニックに陥った。兵が入り乱れ参拝客らは逃げ惑い——黒ずくめの三つ編み女は嬉々として襲いかかる連中を叩きのめしていた。



 そして私はいま、月のない星空を仰ぎ見ている。ホクブホウメンタイダイジュウイチシダン族の一人――ピパと一緒に。
 あれだけ派手な大立ち回りをやらかしにもかかわらず彼女は無傷で、いまは逃げる途中で射落としたハトを焼いている。何てしぶとい生き物なんだろう。
 私は私であのどさくさに、正殿に逃げ込んだ。機転を利かせたわけでなく、あのとき神殿敷地内で唯一安全なのが正殿だけだったからだ。そしてどこをどう走ったか、ある部屋で見覚えのある女性を見つけた。神玉様の侍女だった。
「あのさ、ただとは言わないから、その肉返してよ」
「返さないと言ったら、どうなりますか」
「まあ腕ずくで」
「分かりました、お返しします」
 ずっしりと重い包みを彼女に手渡す。肉は貴重だが、こんな女を敵に回してまで欲しくはない。神玉様は、あの少女はなぜああまでしてこの肉を欲しがったのだろう。
「よし、焼けた。お礼にハト食べていいわよ。一口くらいなら」
「いえ、結構。それよりあの肉、何の肉なんです」
「これ? 熊」
 絶句する。熊の肉。あの可憐な少女が、熊肉に執着してあんな騒ぎを起こしたと言うのか。
「大変だったのよ。あたしら普段は熊狩りはしないの。熊のほうが人里に近づいて来ない限りはね。割に合わないもの。結局あたしの父さんは怪我をして、たぶんもう狩りはできないわ」
 焚き火を挟んで目が合う。ピパは何でもないことのように笑った。
「年を取ればいつかは狩りができなくなる。それがちょっと早くなっただけ。これからはあたしが父さんの分までがんばればいいんだし」
 だからそんな顔をするなと慰められてしまった。
「あんたは、何? なんで旅してんの。商人には見えないけど」
「商人には見えませんか」
 そうだ、聞かなくては。彼女の一族の名前はどう考えても偶然なわけがない。それにあの槍。
「故郷に、帰りたくて」
 ピパは不思議そうに首を傾げた。私の容貌はあまり珍しくない。民族としては多数派のトルグ族と呼ばれる人々が東洋人と似通っているためだ。お陰で私はどこへ行っても異端扱いされずに済んだ。
「でも帰り方がわからないんです」
「迷子?」
「そう……そうですね」
 しかしいざとなると尻込みする。どう尋ねればいいのか分からない。焚き火の火を睨んで黙りこんでしまった私に、ピパはいきなり核心にふれた。
「あんたってひょっとして、すごく遠くから来たの?」
 驚いて顔を上げると、彼女はハトの肉を噛みちぎりながら何やらしゃべろうとする。食うかしゃべるかどちらかにしてくれと頼んだ。
「……だってさ、あんたの言葉、ちょっとヘンなんだもん。それに旅暮らししてるわりには、何か上品だし」
 私は勇気を出して尋ねることにした。彼女の一族の名前の由来を。ジューケンとは何かを。
「何でそんなこと気にするの」
「何でって、私の故郷に同じ言葉があるからです」
「ええ!」
 ピパはいきなり大声を上げ、焚き火をまわって詰め寄る。
「あたし達は意味は知らないのよ。獣王は神の国から落とされて王になったの。だから一族の名前は神の国の言葉だって言われてるわ」
 そして額をつき合わせるほどの距離で、大真面目にこう聞いた。
「あんた、神様なの?」
「違います」
 さすがにこんな誤解は恐いので、即座に否定する。そして落ち着いて話した。その二つの言葉について詳しく話すことはできないが、私が故郷に帰るための手がかりになるかもしれない。ついては獣王に詳しい人に会わせてほしいと。
「それが肉のお礼になるの」
「ええ」
 私がうなずくと彼女は少し考え、故郷まで一緒に来るかと提案してきた。
 私に否やはなかった。




  ※冒頭の一文は李白「望天門山」より

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