カメレオンシンドローム

ヤマダ

 「恐らくカメレオン症候群ですね」
 恰幅のいい中年の医者は、手渡した免許証と私の顔を不躾にじろじろと見比べる。その視線に嫌らしさはなく、見世物小屋の珍獣を見るような純粋な興奮が滲んでいる。
 頭の中で緑色の小さな爬虫類がぐるぐると左右の目を動かす。何か月か前から顔の皮が突っ張るような感覚が消えず、軽い気持ちで皮膚科へと来た私には思いもよらない話だった。
 「私は何かの病気なんですか」
 不安そうな私の声に医者は我に返り、失礼しましたと一言添えて免許証を返す。
 「大野さん、あなたはどうやらカメレオン症候群という非常に珍しい病気にかかっている可能性があります。一度、大きな病院で診てもらって下さい」
 紹介状を書きますから、と医者はデスクに向かい書類にボールペンを走らせていく。
 「どんな病気なんですか、そのカメレオン何とかっていうのは」
 「それが、最近見つかったばかりの奇病でしてね。まだ発症の原因も治療方法も見つかってないほど症例が少ないんですよ。命に別状はないのが救いですかね」
 目は書類に向けたままで、医者は説明する。
 「ただね、顔の造作が気づかないくらいゆっくりと変わっていくんですよ」
 「顔、ですか」
 「そう。さっきお借りした免許証の写真と大野さんの今のお顔、ちょっとだけ違うんです。自分の顔って毎日見てると意外と気づかないもんで、この病気はだいぶ進行してから見つかるケースが多いんですけど大野さんは運が良かったですね」
 そう言いながら渡された書類には、隣町の大学病院への紹介が書いてあった。
 「まさか、実際にお目にかかる事になるなんてねえ」
 思わず、といった具合に零れ落ちた医者の独り言は、狭い診察室でぽつりと浮かんですぐに消えた。

 病院からまっすぐ帰宅すると、私は洗面所の大きな鏡の前に向かった。医者の言うことが信じられなかった訳ではないのだが、一日に何回も見ているはずの自分の顔が変わっているのに気付けなかったとはどうしても思えなかったのだ。
ほんの少しの不安を抱えつつも、鏡の前に立つ。
 鏡に映っていたのは私にそっくりな誰かの顔だった。
 一瞬の内に頭が真っ白になった。
 目や唇、鼻などの顔を形作るパーツ自体は間違いなく見慣れた自分のものだ。ただ、バランスが微妙にずれている。皮膚が引っ張られているせいか、僅かだが全体で見ると確 かに違うのだ。
 急いで化粧を落として再び鏡に向かってみても、違和感は拭えなかった。むしろ化粧を取った後のほうが変化がよく分かる。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだった。
 「まあ、死ぬわけじゃないんだし」
 無意識のうちに、自分のショックを和らげるように呟いていた。
 鏡の中の誰かは、私の真似をしながらこちらをじっと伺っていた。

 デスクトップに並んだカメレオンの画像をぼんやりと眺める。大きく飛び出た目玉に長い舌を持つ異様な生き物は、小さな怪獣にも見える。
 医者に言われたとおりに大学病院で精密検査を受けた結果、カメレオン症候群にかかっている旨を記した書類が昨日届いてから何となくカメレオンのことが頭から離れなかった。
 病院に行ってからというもの、注意を払うようになったせいか顔の変化は目に見えて早くなっているようだった。皮膚が張るだけではなく、瞼が僅かに腫れてきているのに気づいてから私の中で不安はゆっくりと大きくなっていた。
 私も、君たちの仲間みたいなもんだよ。
 今まで爬虫類は苦手だったが、彼らの名前の付いた病気になった今、そのユーモラスな表情に少しだけ愛着が湧いていた。
 「仕事サボって何見てるの」
 突然話しかけられて思考を中断させられた。隣の席の同僚がパソコンを覗き込んでから声をあげる。
 「やだ、気持ち悪い。何でこんなの見てるのよ」
 「ペットでも飼おうかなって考えててさ」
 病気のことなど言えないので、怪訝な顔の同僚に咄嗟に嘘を付く。
 「変わった趣味してるのね」
  気持ち悪いといった割に、同僚は興味深げに画像をどんどん開いていく。
  「あ、これって凄いよね。保護色だっけ。こんなに色が変わるもんなんだ」
  彼女が開いた画像には周りの葉色に溶け込むように、鮮やかに変色するカメレオンの姿があった。
 ふと、視線を感じたので顔を向けると、同僚がまじまじと私の顔を眺めていた。
 「突然どうしたの」
 「いや、怒ってるのかなって」
 心臓が大きく音を立てる。動揺を悟られないように努めて明るい調子で尋ねる。
 「そんな訳ないじゃん。どうしてよ」
 「なら良かった。目が怒ってる気がしたから聞いてみただけ」
 お昼に行くという同僚に後から向かうと伝えて送り出すと、抑えていた動揺が思い出したかのように鼓動を一気に速まらせた。
 いつの間にか休止モードに入っていたパソコンの黒い画面には、怒っている訳でもないのに眉と目尻が不自然に上がった私の顔が映っていた。

 「大野さんのお宅で間違いありませんか」
 昼間のショックで沈んでいる私を待ち受けていたのは、都内にある有名な研究施設からの電話だった。
 突然のことに戸惑っていると、相手は先日検査をした大学病院から私がカメレオン症候群だという連絡を受けたのだと教えてくれた。
 「カメレオン症候群には心理的な影響が大きく関わってきます。大野さんが顔が変化していくことへストレスを感じれば、それだけ病気は進行していきます」
 思わず、何も言えなくなった。電話の主の言うとおり、お昼頃から瞼の腫れが酷くなっていた。
 「病気の原因や治療法を見つけるためにも大野さんに協力していただきたいんです」
 明日、迎えに上がりますので。私の返答を待たずに電話は途切れてしまった。

 カメレオン症候群。これはカメレオンが敵から身を守るために自分の体を様々な色に変える事から名付けられたのではない。彼らが体色を変化させるのは興奮や求愛などの心理的な要因が大きいというのが理由だ。
 私は会社へ向かう電車が来るのとは違うホームで、大学病院から届いた書類の文面を思い出していた。
 きっと、研究施設へ行けばこの病気の治療法などを見つけるのに大いに貢献できるだろう。ただ、一生を温室飼いのカメレオンとして生きる運命は目に見えていた。
 目の前に電車が滑り込んでくる。窓ガラスには最早かつての面影もない、他人の顔が私を見つめている。
 私はもう一度、自分の色を作れるかしら。
 私は人の流れに乗って、電車へと乗り込んだ。


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