羊を数える

平 啓

「百匹に数が足りないのです」
 もこもこの純白毛からのぞく水平スリットの瞳は、今一つ感情が読みとれない。が、涙いっぱいに見上げられては、いくら鈍感な俺でもその悲嘆ぶりは伝わった。
「全部そろわないと、私どもは永遠に柵門をくぐらねばならず、なによりあなたも安眠できません」
「近頃眠れないのはそのせいだったんだ」
「二十五匹が行方不明でして」
 結構な数だ。迷子の一匹どころじゃない。
 石囲いの向こうから、たくさんの水平スリットが不安げにこちらを向く。見渡す周囲は無数の緑の丘が連なり、これまた無数の森と泉とが遙かに点在する。ここを探すとなると、不眠で体力消耗中の俺にはかなりこたえそうだ。いや、夢ならその心配はないけれど。しかし、たとえ夢の中でも、厄介事を解決する力なんて今の俺にはない。
 逡巡していると、チョキの前蹄がくいくいと振られた。
「このマントを羽織って、角笛を吹いてください。そうすれば集まりますから」
 有名な牧者のものですと示されたのは、古びた角笛と白地に黒斑の四角なフェルトマント。なんだ歩き回らなくていいのかとマントを肩にかけたが、角笛は吹いたことがない。傍らからは(たぶん)期待の眼差しが強く注がれ、俺は咳払いをした。とりあえず角笛の吹き口を唇に当てる。
 すかー。
 案の定だ。気を取り直し挑戦するも、これまた虚しく息が漏れるだけ。
「ダメだな。俺には無理。他のだれかに」
「あなたも眠れませんが」
 無表情な水平スリットの上目遣いは、ちょっと怖い。
「そんなことはないだろ。現にこうして夢を」
「夢はみますよ、かなわない夢ですけど」
 その言葉にドキリとした。不眠の果てのかなわない夢。
 いやいや、真に受けるのもどうかしている。だいたい睡眠がこの動物に関係するなんて、英語圏でなければ無意味じゃないか。日本なら「ねんねこ」でニャアだろ? 
「せっかく今年の干支でチャンスですのに」
 ちょっと待て、文化圏の混乱が。
「しょせん数がぴったりでなくても、かまわない方だったのですね」
 何かが俺の心の琴線に触れた。
――ぴったりでない数? ぴったりで……
 にわかに腹底が熱くなり、むらむらと炎が立ち上がる。
 ぴったりでない!
 アア、ソンナコトガ、アッテナルモノカ!
 俺は敢然と角笛を掲げ、唇を湿らせた。沸き立つ想いを込めて息を吹き込む。
 すかー……は、ほ、ぼぼ。
 お。音らしきものが。見つめる水平スリットにも希望の光がともる、気がして、よし、もういっちょ。
 す……ぼぽ、ぽぅーわー。
「おおお!」
 草原に響き渡った音色に、後ろ脚で立ち上がって掲げた二つのチョキが、大きく空を掻く。
 ぽぅわーぼぽー。
 彼方に白い点が現れた。と、それはあちこちから数を増し、四方から調子の良い駆け足でこちらに向かってくる。近づくにつれ石囲いの中から騒がしい喜びの鳴き声があがり、集まった面々と合わさって耳を聾さんばかりだ。
「では、囲い門から入りますので、私どもを数えながら安らかにお休みください」
「なんだかあっけなくて申し訳ないくらいだ」
「いえいえ、それが選ばれた者の証ですから」
 門の木枠の側にフェルトマントを敷き、その上に横になっている間に、囲いの中の一群が律儀に外へでてきた。
「では、いきます」
「おう、一! 二! 三!」
 俺が数え始めると、うれしそうな鳴き声を上げながら、次々と囲いの中へ入っていく。地を蹴る足音はそれぞれ微妙に違いながら、全体の調和は決して乱れず、心地よく耳に響いて眠気を誘う。が、頭にこびりついた不安が、そこから先へ進ませない。これではいつもの悪循環だ。数は足りている、はず。百になれば、きっと、安らかに――
 九十五、九十六、九十……
「あああああ!」
 突然の悲鳴に俺の閉じかけた瞼が全開した。とたん、眼前に迫る巨大球体の水平スリット。驚きの心臓が飛び跳ね、もう少しで永遠の安眠へ落ちかけた。
「一匹足りません!」
 起きあがれば、純白の向こうに困惑気に足踏みしている三匹がいる。ええと、確か九十六まで数えたが。
「君をいれればちゃんと四匹いるじゃないか」
「私は一番、彼らと違い囲いの内外を行き来できます」
「全部に番号がついているのなら、ええ、九十……七番がいないとか?」
「左様です。角笛を聞いても来ないとは、何か事故が起こったに違いありません。まだ子供だというのに」
 やはりキモは迷子の一匹か。しかし、このだだっ広い場所では、居場所の見当のつけようがない。
「だれか、九十七番を見たやつはいないのか?」
「……私どもは過去にとらわれない主義でして。ただ本能の赴くまま向かえば、いつも同じお気に入りの場所に」
 要するに覚えてないと。傍らでは、頼りにならない九十八対の水平スリットが俺を注視している。いや、横向きの奴もいるからいくつかは単数だが、とにかく期待の重さがずしんと身にかかり、まずは角笛を手にした。
 ぷわぁぽぽぅー。
 慣れたせいか、これまでにない音色が草原を駆け抜ける。が、四方のいずれを見回しても動く影は現れず、やはりどこかで動けないでいるのだろう。
「角笛で集まらなかった時、牧者はこれでわかるのだそうです」
 またもそれを早く言えと思いつつ、チョキの蹄が示す地面に置いたフェルトマントを取り広げた。四角な灰白色の地に、何の変哲もなく二十五の黒斑が散らばっている。
――二十五? 百匹中いなくなった二十五匹と同じ。そして、最後の一匹は九十七番?
 もしかしたら。
「おい、さっき集まった二十五匹の番号は何番だ? まさか、もう忘れたんじゃないだろうな」
「私だけはここを動けない代わりに、さまざまな能力を」
 それで一匹だけ話もできる理由がわかり、続いて並べられた番号に俺は確信した。
 二、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三……
 素数だ! 当然九十七も。同じ数のマントの黒斑は、それぞれお気に入りの場所を示しているに違いない!
「なるほど! そすうと、九十七番はどこに?」
 脱力で一瞬目が回った。気を取り直しマントに向かう。九十七は素数の二十五番目の数であるから、この黒斑の二十五番目がその居場所で、おそらく中心はこの石囲い。ただ、どの黒斑がどの数に対応しているのかわからない。
「悩んだときはいっそ、すうっと深呼吸など」
「やめてくれ、目が回る」
 水平スリットをにらみ、追い立てようと振った角笛に目が止まった。表面の螺旋……目が回る? 回る――そこで目を細めてみれば、四角いマントに浮かび上がるおぼろな対角線。これは。
「おい、一番。君はここを動けないと言ったな」
 うなずきが返り、九十七番の居場所がわかった。
 ウラムの螺旋というのがある。まず数字の一を中心に、自然数を長方形の渦巻状に格子を描くように書き下す。そのうち素数だけを残すと、素数の分布が対角線上に寄るというものだ。マントの黒斑がまさしくこれに重なっており、九十七番をちょうど九十七の場所で発見した。
 ∞型の大石の凹みに後ろ脚をとられていたのは、体左右で黒白の色違いの仔。歩けないので肩に担げば、耳元の鳴き声がうるさいが、暴れないのは喜んでいるからだろう。夢にしてはリアルな重量と距離で、じきに息が切れ始める。けれど俺の足取りは軽さを増した。
 とうとう見つけた最後の一匹。希望の一匹。
 間もなく挑む数学科への道が祝された気がして、離れなかった不安が消えていく。代わりに広がる安堵はウールマーク付き。ああ、彼方にもこもこの塊達が見えてきた。
「そら、石囲いで仲間達が呼んでるぞ」
 俺の声かけに、肩の黒白が「めい(迷)!」と言った。

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