「念珠」

神崎桜子

 道子は週末の夜の繁華街をふらふらと歩いていた。家に帰りたくなかったのだ。
 もう三十近くなった道子に家族の風当たりは強くて
「あんたをもらってくれる人なんかいないんだろうね」
 などと繰り返し言われるのは辛すぎた。
 道子は誰もが一目見ただけで少し距離を置こうとしてしまうほどに、人並みという容姿からは程遠かった。
 顔は痘痕だらけだし、ずんぐりとした鼻に細い目と出っ歯。例えどれだけ心が澄んでいたとしても、私に好意を持つ人なんているわけがない。道子はいつもそう思っていた。その証拠に、心無い言葉を平気で投げかけられることも別段珍しいことではなかったのだ。
 そんな道子の肩に誰かがぶつかって振り返ったけれど、顔を見るなり舌打ちをして去っていった。
 道子は、見知らぬ人にまでそんな扱いをされることに傷ついて
「不細工に生まれたばっかりに、友達も彼氏も出来ないじゃない。いっそ死んでしまえたらいいのに」
 と、人混みに揉まれながら不貞腐れて呟いたのだった。
 道子の目には、ネオンの光がただ悲しさや寂しさを隠すためにけばけばしい色を放っているようにしか映らなかった。
 ふと視線を下におろすと、道端に机を出して暇そうにしている占い師たちが目に入る。占い師たちにはお互いのテリトリーがあるのか、一定の距離を開けて椅子に腰掛けていた。
 その中でも、皺だらけなのに妙に福福しく肌つやのいい老爺が道子の注意を引いた。
 道子は今まで占いなどに興味を持ったことなどなかった。占いをするまでもなく、好意を持つ男性は皆愛くるしい容姿の女性と交際や結婚をしていったからだ。親しい女友達が出来たこともない。だから道子は物心ついた時から孤独と悲しみの中で生きてきたと言ってもおかしくなかった。そして、道子は自分の未来に希望を持とうとしたことなど一度もなかったのだ。
 けれどその老爺には不思議な力でもあるのか、道子は老爺の前に吸い寄せられるように近づいていったのだった。
 老爺の前に立ってしまうと、道子は自分に困惑しながらも椅子に腰掛けた。
 どうして椅子に座ってしまったのかと自分に驚きながら、黙って俯いていると
「あんたは哀れな子じゃ。寂しい子じゃの」
 老爺は、慰めるように道子に話しかけた。
「分かっています。言われなくても」
 道子は老爺の言葉に少しむっとして答える。
「ほう」
 老爺は、椅子の背にもたれかかると道子の顔を窺うようにして
「あんたさんには好きなお人がいるのかい?」
 と、問いかけた。
 一瞬言葉に詰まった道子は、老爺から視線を逸らした。
 道子には、ひそかに憧れている男性がいた。職場で唯一独身を貫いている人で、道子のことを苗字ではなく「道子さん」と名前で呼んだ。それに、仕事が大変なときは黙ってフォローをしてくれた。道子は自然とその男性を好きになったけれど、ただ仕事仲間として当然のことをしてくれているだけだということは自分でもよく分かっているつもりだった。しかし、好きになってしまった気持ちに諦めがつかないのは仕方のないことだ。道子は切ない気持ちをひた隠しにしながら、黙々と仕事をこなす毎日を送ることしか出来なかった。
 そんなことを考えて口をつぐんでいる道子の顔をじっと眺めていた老爺が
「全く手立てがないわけではない」
 と、まるで心の内を読んだかのようにぼそりと呟いて着物の袖に手を差し込むと腕組みをした。
 道子は予想もしなかった一言に目を見開いて椅子に座りなおすと
「それは――。それは、どうすればいいのですか? 何をすればいいのですか?」
 と、机にかじりつくようにして問うた。
 すると、その老爺は考え込むような様子で懐をまさぐって念珠を取り出すと道子の前に置いて見せた。
 ピンク色の可愛らしい念珠は、いかがわしい占い師の老爺にはそぐわない。けれど、道子にはそれが自分の未来を切り開くほどの強い妖気を放っているように見えた。
「この念珠はのう、お前さんの願いをしっかりと叶えてくれるんじゃ。ただし半年。半年したらここへ返しに来んといかん。この約束が守れなんだら、わしはこの念珠は渡せん」
「守ります。必ず半年後に返しに来ますから」
 道子は水に飢えた子供がするように、手を念珠の方へと差し出した。
「そうか。ではの、ここにあんたさんの住所と名前を書くんじゃ。そして、肌身離さずにな。必ず半年後じゃ」
 老爺は紙と念珠を道子の方へ押しやると、震える手で字を書き込んでいく道子を黙って見つめていた。
 そして、道子が礼を支払おうとすると
「金なぞいらん」
 と、道子が帰るように手で払うような仕草をすると、また暇そうに腕を着物の袖に差し込んで居眠りをするように目を閉じた。
 道子は戸惑いながらも念珠を左腕にはめて、その老爺に礼を言った。そして夢を見ているような足取りで、繁華街を抜けて家路に着いたのだった。
 念珠を腕にはめてさえいれば願いは叶うと思うと、道子の顔は自然とほころんだ。
 そして、それからの道子の願い事は本当に叶い始めたのだった。
 周りから明るくなったと言われて道子にはどんどん自信がついていった。念珠の力を信じ込んだ道子は、笑顔が増えて女友達が出来た。そして、片思いの男性からデートに誘われて交際まで申し込まれた。家族からも男性の両親からも祝福されて結納を交わし、結婚式の日取りも決まった。
 道子は夢見心地だった。誰も道子と男性が結婚することを反対する者はいなかったし、心からの祝福を受けた。
 一つ願い事が叶うごとにほんのりと念珠のピンク色が濃くなっていくように感じた道子は、力が増している証拠なんだと思って決して腕から離さなかった。
 ただ一つ、道子には気がかりなことがあった。念珠を返す約束の日が一週間後に迫って来ていたのだ。
 道子は悩みに悩んだ。念珠を返すことが恐ろしかったのだ。もしかすると全てを失ってしまうのではないかと、恐怖の波が心を荒らした。
 念珠を返す日が明日に迫った時、道子は念珠を返さないでおこうと心を決めた。
「この念珠がなかったら、私は幸せになれない。あのお爺さんだって取り返しになんか来ないはず。大丈夫――」
 道子は自分に何度も言い聞かせたのだった。
 老爺との約束の当日に、道子は左腕にはめた念珠を守るようにして眠りについた。老爺が取り返しに来ても大丈夫なように、左腕を下にして体を丸めるような格好で――。
 そして、道子はそのまま帰らぬ人となった。ひからびた皺だらけのお婆さんのようになって。道子の亡骸はかっと目を見開いたままで、右手は左腕にはめた念珠を掴むようにしていたのだった。
 寂しい葬式だった。家族は婚約者さえ呼ばず、身内だけの葬儀を済ませた。
 ただ一人、あの占い師の老爺が訪ねてきて念珠を引き取っていったのだった。
 老爺は帰り道で独りごちる。
「馬鹿な女じゃ。念珠に執着などするからこういうことになる。せっかく自らが作り上げた未来じゃったのにのぅ。まぁ、わしにとっては嬉しい話じゃ。有難いこと――」
 老爺は道子から戻った念珠を口に放り込んでゆっくりと噛む。そしてごくりと飲み込むと、みるみるうちに顔や手の皺が消えてゆき若者のような肌つやになっていった。  
 変幻のためにしばらく佇んでいた老爺は懐から鏡を取り出して完全に若返ったことを確かめると、にやりと笑って繁華街の人ごみを縫うようにして消えていった――。


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