タヌキとキツネ

クラ

 狐男と知り合ったのは十年以上前のことだ。当時私は定年退職したばかりで、暇を潰すため散歩するのが日課となっていた。折しも世間はガードレール金属片事件で盛り上がっており、漏れずして私もその事件に興味を持っていた。
 事件のあらましはこうである。
 二〇〇五年五月、埼玉県行田市で自転車に乗った中学生が、ガードレールの継ぎ目に刺さっていた金属片に触れて怪我をする事故が起こった。この件が報道されて以降というもの全国各地から謎の金属片の目撃情報が相次いで発生する。その数、一か月で三万件以上まで膨れ上がっていた。
 これについてマスコミやネット上では連日連夜推理合戦が繰り広げられていた。金属片の正体は選挙等の幟に使う留め金具ではないか。カルト教団の仕業ではないか。中にはレッサーパンダの風太君の仕業だなんて意見もあった。
 かくいう私も御多分に漏れず、散歩コースを変更し、毎日三時間以上ガードレールばかりをみていた。
「金属片をお探しですか?」
「おわぁ!」
 突如ガードレールの後方からニョキっと見知らぬ男の顔が出てきたものだから、素っ頓狂な悲鳴をあげてしまった。
「失礼をしました。驚かせるつもりはなかったのです」
 男は口では謝っているが、まるで狐のような細長い切れ目でむしろ笑っているようにみえた。私はこの時から男を狐男と認識するようになったのである。
「い、いや。私も周りを確認しなかったのが悪かった。君も金属片を探しているのかね」
 狐男は常にニコニコとした表情を崩さないので年齢が読みにくい。おそらく大学生くらいだろうが、こんな若者の前で狼狽した自分が恥ずかしかった。
「ええ。実はもうみつけたんですがね」
 そういって狐男は鞄から三角形の金属片を取り出した。
「それをどこでみつけたんだね?」
「ここから少し先にあるカーブですよ。宜しければ、情報交換といきませんか?」
「情報交換といっても、ニュース以上のことは知らないぞ」
「構いません。その金属片を触ってズバリの感想を聞かせてください。その金属片はなんだと思いますか?」
 感想くらいなら話せるな。そう思い、差し出された金属片を受け取ると、思っていたよりザラついた感触であった。指をこすり合わせると錆がポロポロと落ちていく。
「おそらくだが、車の部品じゃないかな」
「なぜ、そう思うのですか?」
「ガードレールに接触しそうな金属というと車のパーツくらいしかないだろう」
「ネット上では幟の留め金具という説もあるようですが」
「それはないね。触ってわかったが三角形といっても側面がざらついている。なにか無理やりはがしたような跡だ。留め金具の取り忘れなら、もっとツルツルしているよ」
「全国各地でみつかっていますが、もし車のパーツだとしたらなぜ今まで騒がれなかったのでしょうか?」
「たまたま怪我人が出なかったからだろう」
「おかしいですよ。車の持ち主はパーツがはがれていたら気が付いているはずでしょう」
「ああ。ただし家に帰ってからだな。気が付いたからといって頭を悩ませるのは車の修理代を保険にするかどうかで、ガードレールに残されたパーツのところまでは考え及ばないさ」
「じゃあ全国に残された三万以上の金属片は誰にも気づかれることなく、ずっと何年もあり続けたというのですか?」
「不思議に思うことじゃないさ。人間というのはアンテナをはっていない情報は視界に入ってもみえてはいない。埼玉の事故を発端にいろいろな人が金属片に気が付くようになっただけだ。金属片は何年もそこにあったのに」
 私はいい終わると、金属片を返そうと狐男に差し出した。ところが狐男はそれを制止するように、手をとめた。
「その金属片は記念にお納めください。とてもいいお話が聞けました」
 それからである。私と狐男の付き合いが始まったのは。
 付き合いといっても近所の居酒屋で一緒になることがあり、世間話を延々とするだけである。狐男の話はいつもどこか謎に満ちており、家族がなく地域との接点も少ない私にとって数少ない楽しみのうちの一つであった。

「やあ、やっと会えましたね」
 スポーツジムのサウナ室でのことだ。狐男とジムで会うのは初めてのことだったので私は少々面食らった。
「君も入会していたのかね」
「いえ、臨時会員で毎日通いました。おかげで二キロも痩せてしまいましたよ」
 三十手前の彼の身体は細身ながらも筋肉はしっかりとついており、まるでライト級のボクサーのようであった。
 私はこの十年で成長した腹をタオルで隠しつつ、狐男の隣に腰かける。
「ところでジオキャッシングってご存知ですか?」
 唐突に狐男が話し始める。
「いや、なんだね。それは」
「有体にいうとGPSを使った宝探しゲームなんです。誰かがタッパーに小物などを入れて、ここに隠しましたよと座標を公開します。そしてそれを別の誰かがみつけ宝物を貰い、代わりの宝物をセットする、というルールです」
「なんだ。現金ではないのか」
「現金の場合もありますが原則小銭です。日本でもメジャーなゲームみたいで二万件は設置されているようです」
 狐男はどれくらいサウナにいるのだろうか、滴る汗を拭いながら話している。
「それで、なんで私にその話をするんだね」
 私は少しの間をおいて、話しかけた。
「実はですね、ある投資家がこのジオキャッシングをはじめまして。僕、それが欲しいんです」
「だったら探せばいいだろう。君みたいにフットワークが軽ければ、みつけられるさ」
「そうもいかないんですよ。だってこの投資家ったら座標を公開してくれないんですよ」
「そりゃ、君……」
 無理ってものだろう。という言葉をいう前に狐男は話し始める。
「ルールはこうです。ちょうど三週間後から三日に一回、ネット上にヒントが公開されます。そのヒントをもとにお宝を探していくわけです。ただヒントですから座標など、直接的なものは一切かかれません」
「ずいぶんややこしいな。君はそこまでしてなにを手に入れたいんだい?」
「連絡先ですよ。その投資家の」
 身体が暑くなってきた。じっとりと汗が背中を伝っていくのがわかる。私が黙って聞いていると狐男は続けて話し始める。
「年に一度、彼と一緒に食事をできる権利というものがチャリティオークションにかけられるのですが、その額、約二億円です。単に食事をするだけで二億円なのですから、連絡先となるといったいいくらになるやら」
「そいつは、すごいな……」
 私はごくりと生つばを飲み込んだ。
「あ、やっぱり興味持ってくれた。どうです? 一緒にやりませんか? ライバルは多いけど楽しいですよ。きっと」
 狐男はニコニコと汗を拭きつつ、私をみつめている。
 思えば狐男とはいったい何者なのだろうか。どこからそんな情報を仕入れてくるのか、なにが目的なのか。
 私はある考えに頭がのぼせていくのを感じた。
 十年以上の付き合いになるというのに、私は狐男のことをなに一つ知らない……。
「ああ、お金のことなら心配しないでください。旅費含め必要なことはうちの会社の経費で落としますから」
 悪くない話だ。宝探しはそれ自体面白そうであるし、なにより私の興味は狐男に対して向かっていた。一緒に旅行をして狐男の正体を確かめるというのはどうか。十年も身近にいて謎を謎のままとしていた男の正体を暴くのは、きっと楽しいに違いない。
「私は構わないよ。どうせ時間は沢山ある身だ。いつからどこへいくね?」
「ええ、それでは早速今晩からアメリカに向かいましょう」
 私はのぼせすぎたせいか、軽くめまいがした。やれやれ、どうやら本当に面白そうな旅になりそうだった。

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