ペンデュラム

根木吐露左門

 それは僕が会社をクビになって三日目のことだった。燃え尽き症候群というやつだろうか、特に目的なく近所を散歩していると、ぽっかりとした空間をみつけたのである。
 こんなところに空地なんてあったかな?
 広さにして小学校の体育館くらいはあるだろうか。あたりを見回すが、その空地にはこれといって特に目立つものはなく、ただただ間抜けた縦長の空間があるだけだった。
 僕は立ち止まり落ち着いて考えてみる。以前はどんな場所だったか……。
 しばらく考えてみたが、さっぱり思い出すことはできなかった。ここは僕が生まれたときから育った街である。それがこんなに広い場所について、本当に綺麗さっぱり、まるで初めからそこにはなにもなかったかのように思い出せないのである。
「おー! しばらくみないうちに大分育ちやがったな!」
 軽く困惑していたが後ろから聞こえてきた大声でハッと我に返った。
 振り向くとずんぐりむっくりとした青い作業着姿の中年男性が腕を組んでいた。
「なんだい? 俺っちの顔になにかついているかい?」
 男は作業帽の隙間から、鋭い目線を僕に向ける。
「いえ、なんでもありません」
 慌てて視線を空地の方へと戻した。以前であれば近所の人と世間話くらい平気でできたが、不思議なもので無職になると世間への後ろめたさからか、他人と会話するのに少し勇気が必要だった。
「あー、俺だ。うん。みつけた。大物だよ。こりゃあ三日はかかるわ。応援で何人か寄越してよ」
 チラリと男の方へ視線を送ると、携帯で電話をしていた。どうやらこの空き地について、なにか困っているようだった。
 この男は何者なのだろうか。この空地についてなにか知っているのだろうか。
「あのう、ちょっといいですか?」
 少し迷ったものの、好奇心が勝った。僕は男が電話し終わるタイミングを見計らって、声をかけた。
「おう、兄ちゃん。まだいたのか。どうしたんだい?」
「この空地なんですが、以前はどんな建物があったのかご存じですか?」
 僕が尋ねると男はエエッ!? と驚くと、やがて感心するような溜息をついた。値踏みするかのように全身をみつめられて、僕はどこか居心地が悪かった。
「なにもないよ。ここにはなにもなかったのさ」
 男はニヤニヤと含み笑いを浮かべて答えた。
 そんな馬鹿な話があるだろうか。こんなに広い空地が昔からあるならば、当然僕の記憶にもなにかしら残っているはずだ。
 黙っていると男はずかずかと空地へ入る。そしてしゃがみ込むとおもむろに草むしりを始めた。
「あ、あのう。貴方はなにをしているんですか?」
 気が付いたら僕も空地へと入っていた。
「兄ちゃん、仕事は?」
 僕の質問には答える気がないのか、男の視線は地面に向けられたままだった。
「三日前に辞めました」
 僕は辛うじて、それだけ答えた。
「やっぱりか。たまにいるんだよな。俺らの仕事に気が付くやつ」
「どういうことですか?」
「説明するより、みたほうが早いよ。ひょっとしたら今の兄ちゃんならみえるかもしれないし。いいかい、心を空っぽにして、全体をぼやかせるような気持ちで眺めてごらん」
 男はそういうと僕に摘んだ雑草を僕に寄越す。なにをいっているのか皆目見当がつかなかったが、僕は男のいわれるがまま、雑草を手に取ってみた。
 なんの変哲もない、ただの雑草であった。が、しかし、みているうちに段々と雑草の輪郭がぼやけてくる。やがてユラユラと雑草を覆うように黒い湯気のようなものがみえた。
「うわぁ!」
 僕は思わず雑草を地面へと投げ捨ててしまった。
「へぇ。みえたか。兄ちゃん、やったじゃないか」
「な、なんなのですか。これは」
「まぁ、ここにあったらいけないものさ。俺らは蝕って読んでいるけど」
「蝕?」
「こいつらはね、普段は森や山の一角にいるんだけど、たまにこういった町中に現れる。こういった空地と同時にね」
 僕は周囲を見回してみる。すると先ほどまで気が付かなかったが、黒いユラユラとした湯気が、空地全体から出ていることがわかった。
「うわっ、うわっ!」
 反射的にその場で足踏みをしてしまう。
「わはは。そんなに慌てなくても直ぐに影響があるわけじゃないさ」
「ずっといるとどうなるんですか?」
 僕はごくりと生唾を飲み込んできいた。
「最初は感情がだんだんとなくなっていく。数日後には空間ごといなくなるね。たぶん蝕の世界へと連れていかれるんだろう。世の中には絶対に足を踏み入れてはいけない場所ってあるだろう。ああいうのは大体、蝕が多くいるところだね」
 ざわざわと鳥肌が立つのがわかった。馬鹿な話だと思いたかったが、男の言葉には揺ぎ無い説得力を感じた。
「貴方は何者なんですか?」
「単なる土建屋だよ。仕事のついでに蝕対策もしているけどね。蝕ってあまりみえる人がいないからさ」
「どういうことですか?」
「世の中、みんな忙しいんだよ。突然町中に空地ができても不思議に思う人ってそうそういない。仕事に遊びに忙しくて、日常の些細な変化に気が付かないんだ。これだけの蝕ができるのに半年はかかっただろうに、兄ちゃんだって仕事を辞めてゆとりが持てるようになるまでは、気が付かなかっただろ」
 男のいう通りだった。この場所は出勤時に必ず通っていたにもかかわらず、気が付いたのは今日が初めてだった。
「対策ってどうやるんですか?」
「簡単だよ。蝕にここは人間の土地だと教えてあげればいいのさ。昔はその土地を畑にしたみたいだけど、今は月極駐車場にしてしまうのが一般的かな」
「そんなことでいいんですか? 駆除したりできないんですか?」
「蝕は生き物じゃない。地震や津波と一緒で自然現象だ。人間はそういった自然現象には揺れに強い建物を作り堤防を作って対策するだろう。蝕についても対策しかできないんだ」
「そんなものですか……」
 感心しているとやがてトラックが数台大きな音を立てて空地に入ってきた。
「おう。ご苦労さん。まぁ、いつもどおり頼むわ」
 男の掛け声で、車から出てきた作業員たちが一斉に作業を始めた。空地の周囲を杭で囲ったり、月極駐車場の看板をたてたり、テキパキと仕事をこなしていった。
「ずいぶん手馴れているんですね」
「ああ。うちの作業員は優秀だからな。なあ兄ちゃん。仕事ないんだったら、しばらくうちで働くかい? 蝕がみえる人間は少ないし、万年人手不足だからきっとすぐ採用されるぜ」
 思いがけない提案に目を丸くする。確かに仕事があるのはありがたいし、蝕という現象自体に興味があった。しかしどれくらい危険なのか、見当もつかない。
「お給料は如何ほどなんですか?」
 男に聞くと、驚くほど安い……というか、一般的な金額であった。特殊作業手当のようなものはなく、蝕対策はあくまでサービスとのことだった。
 好奇心をとるか、安全をとるか。この二択に僕の気持ちは振り子のように揺れ動き、やがて一つの答えを出し、男に告げた。
 人間というのは時々、理にかなわない答えを出す、不思議な生き物なのである。

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