引き裂かれた親子探偵

D・J・コビー

【前回までのあらすじ】
 楽しい帝国鉄道の旅を終えて、ウーティス博士の入院しているゴチック総合病院にお見舞いにやってきた親子探偵。きゅうに不調を訴えだしたジュニアを小児科に置いて、神宮寺がひとり病室に入りますと、彼を迎えたのは人好きのするいつもの陽気な博士ではなく、ただ口をパクパクするばかりの老人でした。博士の担当医でありかつての学友でもある高瀬源平は、まだ頭髪のくろぐろとしたダンディです。 実は博士がこんなふうになったのは、病気のせいではなく、高瀬医師と妖艶(ようえん)なるナースたちの所業なのでした。ひとり対決を試みた神宮寺ですが、博士をたてにとられ、高瀬に忠誠を誓うことになってしまいます。さて、そんなことはつゆしらぬジュニアが、診察室から出てきたところです。

『儚(はかな)き初恋』
 豪奢な廊下を、ひとりうらぶれて歩いていたジュニアは、妙なことに気がつきました。外観と内装はすてきにかざられ、設備に最新式を取りそろえ、医師も看護士も美男美女ばかり。とても立派な病院に違いないのに、何かが欠けているのです。壁に目をやると、上質紙に一流のデザイナーをつけたらしい、しゃれたポスターが貼られていました。エキゾチックな少女が蠱惑(こわく)の目つきでこちらを見ており、フキダシにこう書かれています。
『よく運動をして、野菜を食べて、血液をきれいにしましょう。それが私の、健康のひけつです!』
 頭にチカッと閃くものがありましたが、今一歩のところでつかみ損ねてしまいました。隔靴掻痒(かっかそうよう)とはまさにこのことです。だけどもう病室の前に着いてしまいました。うす開きになった扉から中を覗いてみますと、神宮寺が胸ポケットをしきりに確かめています。もしや禁煙の誓いを、破るつもりではありますまいか。踏み込もうとしたところ、背後から声をかけるものがありました。
「司(つかさ)くん、やっぱりあなたなのね!」
 それは小児科の白樺遥(しらかばはるか)先生でした。後ろできれいに結った髪を胸元に垂らし、お人形のような大きな目をした、蝋のように色の白い、人工的と言っていいほどの美人です。診断中ずっと、そわそわしたおかしな様子でしたが、なんのことはありません。彼女もジュニアのように、懸命に記憶をさぐっていたに違いないのです。
 ふたりの出会いは、彼がまだ幼い小学一年生のころ。彼女は、予防接種の手伝いでやってきた、研修医でした。怖じ気づいておいおい泣き出したジュニアの顔を、こうすれば見えないからと、そのかっこうの良い胸深くにうずめ、そのままにしてくれたのです。フーワリとした夢のような時間でした。針が抜かれ、そこにガーゼを押しつけると、彼女はにっこりとほほえみました。すると小さなえくぼができて、完璧な美しさはまるで少女のようにかわいらしくもなるのでした。でも診察のときの彼女は、そんなことはすっかり忘れてしまったかのように、淡々と診断を下し、アスピリンを処方しただけで次の患者を呼んでしまったので、ジュニアはすっかり落胆してしまっていたわけです。
 彼女は今再びジュニアを胸に抱き、ギュッと力をこめました。遥先生がいらしった! 嬉しいやら懐かしいやらで涙がこみあげてきますが、ぐっとこらえて押しのけます。
「よしてくださいな。ぼくもう、四年生になるのです」
「珍しい名前だとは、思っていたのよ。でも……」
「よく忘れることができるものだと、逆に感心したほどですがね」
 本当はとってもうれしいはずなのに、口をついて出るのはこんな冷笑的な言葉なのですから、厭になります。しかし次の先生の発言を聞くと、その自己嫌悪は、驚きでふきとんでしまいました。
「まさかあなたが親子探偵の、片割れだったなんて!」
 えっ! と思わず叫声をあげそうになりました。彼らが親子の探偵であることは、口の堅いごく一部の友人と、要人にしか知られていないはずです。なぜ一介の女医に過ぎない彼女が、知っているのでしょうか?
「高瀬先生から教えて頂いたばかりのお話なのよ、すっかり心配になっちゃって。私はね、彼の……アッ、あぶない!」
 空を切る、ものすごい音がしました。
「盗み見なんて感心しないな。ぼくは卑怯というのはね、とても許せない性質(たち)なんだ」
 その音の原因とは、神宮寺の、熊をも一撃で葬るという、必殺の手刀なのでした。彼はひどく充血した、悪魔のような赤く不気味な目をして、こう言いました。
「あなたが白樺遥先生ですか。子どもひとり抱えたままぼくの一撃を避けるなんて、すごい身のこなしだ」
 ジュニアのいたあたりの床は、見るも無残に粉砕されています。先生は、彼を抱いて数メートル後ろに飛び退いていたのでした。少年は驚いて目をみはるばかりです。父は、遥先生は、どうしてしまったのでしょう。
「ぼくは高瀬源平と血の契約を結んだのさ。彼はね、崇高なるヴァンパイアの王なんだ。この病院の人たちはみんな彼の言うなりだよ」
 ヴァンパイア! ひとの血を吸って生きる、けちなばけもののことです。これで合点がいきました。この病院に欠けているものとは、彼らが苦手とする、十字のシンボルだったのです。
「はてな、白樺先生もしもべのひとりだろうに、契約で得られる力はそこまで強力なものではないはずだ。もしかして君は……いや、よしておこう。無理にレディに口を割らせるのは、流儀に反する。でも、フェアであることもぼくの信条だ。我が盲目の息子に、これだけは伝えておこう。その美しい女性はね、高瀬先生のフィアンセなのだよ」
 グナリと卒倒しかけたジュニアを、先生が受け止めてくれました。
「大丈夫? もう少し離れましょう。彼は博士を見張る任を与えられているから、病室からは出てこられないの。お父さんはね、博士をかばうために、すすんで高瀬に血を吸わせたのよ。博士はあんなふうにされてしまったけれど、意識は丈夫だわ」
 博士は、酸欠の魚がやるように口をパクパクしています。
「博士ならお父さんの正気を取り戻す方法もご存知でいらっしゃるはずだけど……あゝ、彼は肉体の自由と声を発することを、とくべつの薬で禁止されてしまったの!」
 うなだれていたジュニアの瞳が、瞬間炎に燃えました。すぐに腰のポシェットに手をやり、探偵ひみつめがねのひとつ、読唇(どくしん)めがねをとりだしました。くちびるの動きを認識し、言葉に変換してくれるすぐれものです。
 博士のしなびたくちびるが言うには、高瀬はヴァンパイアなぞとご大層なものではなく、珍しいウイルスを宿した病人なのだそうです。ーーわしが開発したワクチンを打ち込めば、吸血されたばかりの軽度の患者ならたちどころに快復し、保有者なら不自然に若さを保った反動で、実際以上に老け込んでしまう。ワクチンは首すじ深くに打ち込む必要があるため、先端が注射器になった、弾丸として作ってある。用心深く隠しておいたのだが、神宮寺くんに見つかってしまった。今は彼の、胸ポケットの中にあるーー。
 つまり、この難事件を解決するためには、胸のポケットから薬をかすめとり、科学ピストルに装填して、首すじめがけて打ち込んでやらなければいけないわけです。しかも相手が、なみではありません。九十九もの武術をマスターしすべての火器を使いこなす、あの神宮寺又一郎なのです。敵に回して、こんなにこわい相手はいません。
「いくらすごい少年探偵だって、子供に危険なことはさせられないわ。なんとかして私が薬を奪ってきます。これは私の責任でもあるのだし……」
 不安げな先生の横顔を見て、ジュニアは却って心を強くしました。どうやら敵は、あまり多くの情報は持っていないようです。神宮寺が我が身を犠牲に捧げたのは、考えなしのことでも、油断でもなく、この小さな少年に、絶大な信頼をよせているからです。確かに父はかつてない強敵と言わねばなりません。しかし強敵の存在は、脅威であるばかりではなく、天才の脳をあちこち発火させる、材料でもあるのです。それに、いずれ人妻になる身上とて、いとしい遥先生を危険な目に合わせたのでは、男がすたります。

 この最強の親子対決、そして恋の行方、どうなりますことやら。大変気になるところですが、決着は次にゆずることにして、今回はここまでです。みなさん、お正月のお餅が残ってしまったからといって、あまりがっつかないようにしてくださいね。お母さんに頼んで、小さくしてもらったものを食べましょう。では、次回もお楽しみに。

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