謎は謎のままで

鳥野 新

 アースカラーのシンプルなロングドレスにふわりと春色のシルクのスカーフを纏わせた品の良い老婦人は私に席を勧めた。そしておもむろに傍らの箱から古ぼけたロボット人形を取り出した。
「これは、あなたのひいお祖父様の作られたものですね」
 そっと渡されたのは、乾電池で動くブリキのロボットだった。確かにこれは曽祖父の工場で作られていたものだ。
 手渡されたロボットは磨き立てられているが、経年劣化は免れられず、各所に錆びやへこみが目立つ。そして背部の乾電池を入れる部分の蓋は無くなっていた。
「お礼を言わなければと探し続けましたよ、私達の恩人であるこのロボットを作られた方の血縁を」
 唖然として顔を上げた私の目の前に、壁に飾られた額に描かれたこの企業のロゴマークが目に入った。そしてもう一度視線を下げる。ロゴマークはまさにこの人形であった。
 私が気付いたことを察知したのだろう、老婦人はにっこりと青い目を細めて古ぼけた日誌を差し出した。
「祖父があの人形の奇跡を書き残しております、是非これをお読みになってください」
 汗をかきかき、付箋の貼られたページに目を通す。
 黄ばんだページには、この財閥の当主であった彼女の祖父とこのロボットの因縁が丁寧な筆跡で書かれてあった。


 あの人形を私の両親が買ったのは、第二次世界大戦後十年もたったころだろうか。奇跡の復興を遂げた国を肌で感じに行こうと、日本に旅行した際に買ったものだ。彼らはこの精巧な造りに感じ入った様子で、まだ幼かった私にこれを渡し、このような物を作りだせる人間になれと幾度となく語りかけたものだ。
 しかし私は両親の訓示など上の空で、その異国のロボットをひたすら眺めていた。表面のデザインの緻密さとその動きの滑らかさに心を奪われた私は片時もそのロボットを離さずに過ごしたものだ。
 だが、悲しいことにそのロボットは私の両親がくれた最後のプレゼントになってしまった。一か月後、彼らは自動車事故でこの世を去ってしまったのだ。
 父の会社は叔父がひとまず引き継いだ。学校の寮に入っていた私は休みになると叔父夫婦の家に帰省したが、叔父の家は快適で、特に母の妹である叔母は私に何くれとなく世話を焼いてくれた。だから、私はよもやあのようなことが計画されているとは思いもよらなかったのである。
 私が十七歳になった年だった。夏休みに叔父がクルージングに誘ってきた。翌年から形だけではあるが会社の経営に参加することが決まっていた私も内情など叔父に尋ねたいことがあり、二つ返事で誘いを受けた。
 ニューヨークを出てから三日。私達はフロリダの美しい海を満喫していた。 
 その船には小間使いの少年がいた。彼はジャックといい、私とは年も近いせいか気があってよく話をした。彼は利発な子で、何を言いつけてもそつなくこなしてくれた。
 クルージングは快適だった。しかし、肝心の会社の話を叔父にしても、お茶を濁されるばかり。しびれを切らした私はある日叔父に冗談のつもりで話しかけた。
「このクルーザー豪華だね、会社のお金で買ったんじゃないの?」
 その時の叔父の表情は、これまでに見たことの無いものだった。顔色はまるで北極海の氷のような鈍色になり、感情の抜け落ちた冷たい目がこちらを凝視していた。
 もともと叔父は浪費家であった。他意は無かったのだが、私は何か開いてはいけない禍々しい扉を開けてしまったように感じ慌てて口をつぐんだ。
 その夜、私は強い胸騒ぎを感じ、枕元にあのロボットを置いて寝た。このロボットがあると両親が助けてくれるように思えて常に持っていたのである。
 唯一、ジャックだけにはなぜだか身の危険を感じることを話し、笛の音が聞こえたら救命ボートを海に下ろすように話しておいた。
 厚着をして首から笛を下げた状態で、私はまんじりともせず、掛け布団をかぶって寝たふりをしていた。
 果たして夜中、カギをかけていたはずのドアがすっと開き大きな影が室内に入ってきた。影はまっすぐに私のベッドに近づく。何かが鈍く光る。逃げようとしたが、大きな手に肩を鷲掴みにされ、刃物が首に振り下ろされた。
 しかし、無意識のうちに掴んだロボットがそれを受け止めた。ガシャリという音が響いて、乾電池の蓋がはじけ飛んだ。
 懸命に逃げる私は無我夢中で笛を吹いた。しかし、誰も起きてこない。
 船尾に出た私は追ってきた叔父ともみ合い、肩に激しい痛みを感じた。噴出す血に思わずひるむ私を、叔父は暗い海に投げ入れた。
 私は海に落ちる直前、薄い月明かりの中で救命ボートが浮いているのに気が付いた。幸い泳ぎは得意である、50メートルくらいは何とかなるであろう。緊張の余り肩の痛みもそれほど感じない。
 その時、水の上を三角のヒレが近づいてくるのが見えた。血の匂いに誘われて鮫がやって来たのだ。それもかなり大きい。ふと見ると一匹ではない、数匹の鮫が近づいていた。
 叔父はここが鮫の多い海域だと知っていたのだろう。船は猛スピードで視界から消えて行った。
 鮫が突進して来る。
 もう、だめだ。私は壊れたロボットを抱きしめた。
 その時、鮫どもはいきなり頭を反転させると逃げ去って行った。まるでロボットを恐れるかのように。
 私は急いで、近づいて来た救命ボートに乗った。そこにはジャックが居て、布で私の肩を縛ってくれた。叔父から何があっても部屋で待機するように命じられていたが、ジャックはそれに従わず私を助けてくれたのだった。
 遭難を知り、叔母が差し向けてくれた救助隊のおかげで私達は数日後に救助された。叔父は会社の金を使い込んでおり、それが公になることを恐れて私を殺害しようとしたらしい。私が助かったと知った後で、彼は自らの命を絶った。命運が尽きたと思ったようだ。
 私は叔母に、叔父に殺されかけた件を告げなかった。一族の恥を公にしたくなかったし、なにより叔父の自殺を悲しむ叔母をそれ以上苦しめたくなかったからだ。叔父の乱れた経営と使い込みで会社は潰れかけていたが、叔母と私で何とか再建を果たすことができた。そして私の片腕となってくれたのがあのジャックだった。
 会社の再建は並大抵の事ではなかった。どん底の場面で私はいつもこのロボットを見た。私を鮫から救ってくれたロボットには両親の魂が宿っている気がして、これを見るたびに私の胸には活力が沸いて来たものだ。
 このロボットをロゴマークにしたのはこういう理由だ。
 いつかこの日記を開く子孫達よ。忘れないで欲しい。誠実に丁寧に仕事をしていれば、そして奇跡を信じる敬虔さがあれば、事は成し遂げられると。


 私は心の中で溜息をついた。両親の加護と思っている彼女のお祖父さんには悪いが、私には鮫が逃げた理由がすぐ分かったからだ。鮫の頭部にはロレンチーニ器官という微弱な電流を察知する部分がある。ロボットに入っていた乾電池の放電は、通常鮫たちが感じるよりもずっと強いものであったため驚いた彼らは逃げ去ってしまったのだ。
 私はこの御婦人に鮫が逃げた理由を話す気はない。お祖父さんを守った不思議なロボット。そのほうが夢があるではないか。この御婦人には鮫が逃げた謎の答えなど必要は無いのだ。
 時として、謎は謎のままで置いておく方が良い。その方が謎はより美しく、そして鮮やかに輝き続けるのだから。

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