魔女の嘲笑

佐々彰子

こんなものまで売っているのか。
はじめは買う気などさらさら無かったが、思わず手に取ってしまった。
想像したよりも普通。もちろん値段なりの質ではあろうが、逆の意味でもそれなりのモノに見える。百円ショップ、侮りがたし。
デッキブラシである。
舞台の小道具にしたらしっかりしている。ただ、そこはかとないチープさは否めない。
毛は一応キチンと植毛されているが、植わっているのは便宜上毛と言ってみたものの、実際は細いプラスチックの棒だ。しなやかさは無く、硬い。これで名前の通りデッキを掃除しようものなら、ガリガリにキズつけてしまいかねない。キズがつかないなら、植えられいる棒がボロボロ抜け落ち、辺りにゴミとして巻き散らかることであろう。洗浄液を使おうものならブラシが溶けて、目も当てられない事態に陥ることが考えられる。
一応ここで思いつく限りのネガティブ思考が脳裏を過ぎった。
これらを踏まえて熟孝。その間およそ三十秒。よし。
それを手にしてレジへと向かう。
平たく言えば、たかが百円(税抜き)ではないか。
さすがに水だけで、しかも様子を見ながら慎重に扱えば、洗浄液とキズの問題は回避できるだろう。それでブラシが抜けたとしても、集めて捨てるのにそう労力はかからない。
それより何より、デッキブラシを所有できる喜びが得られるのだ。
その満足を、たかだか百円(税抜き)で得られるなんて。
その百円(税抜き)が惜しいか。いや、惜しくない。
むしろ考え抜いた最悪の事態に陥って惨劇を目の当たりにしても、その被害を最小限に抑える対策は万全だ。それよりも明らかに得られるメリットは圧倒的に大きい。至極真っ当な結論にたどり着いた。そもそも入手した時点で、既に百円(税抜き)の元は取っている。手に入れて己のモノになった途端に後悔が押し寄せたのなら、即返品だ。無用の長物になったら、捨てればいい。そこは百円(税抜き)。罪悪感はさほど抱かない。
デッキブラシである。
ようやく我が手中に治まったか。
喜びで振り回したい気持ちもあるが、大人なのでグッと我慢し、その気持ちはおくびにも出さない。さも、必要だから購入したのだという風情で、平静を装わなければならない。そうは言っても、自然と頬は緩み、顔はほころび、身体はスキップしたい衝動に駆られる。しかし実際にできるのは、せいぜい少しの早足で、いつもよりもちょっとだけ急いで帰路を辿ることくらいである。
家に着き、早速全身の映る姿見の前でとりあえずポーズをとった。
まずは持って佇むだけ。続いて床を磨く姿勢に。フローリングではあるが、ダイレクトに擦り付けるわけにはいかず、ほんのり宙に浮かせて、本当にただポーズを決めただけである。
いよいよ調子に乗ってきた。
バトンのようにくるくるまわし、派手なアクションを加える。木刀のように振りかぶったりとか、一通り楽しんだので、いよいよメインイベントに取り掛かる。これらは単なる前フリでしかない。ただ、コレがやりたかっただけなのだ。
気分を高めるために、クローゼットから黒い服を出す。赤いスカーフを頭に結わく。そして改めてデッキブラシを小脇に抱えて、鏡の前に立つ。
おお、魔法使い! もとい、魔女! あの魔女!
一呼吸ついて気合いを入れ直し、いよいよ跨ってみる。鏡を見る前の高揚感は半端ない。
が、いざ見ると、如何なものだろう。
いかんせん黒のワンピースは喪服である。デッキブラシの柄に跨ると、裾が上がって太ももが露わになり、妙にエロくて艶かしい。ふんわりした裾の長いフレアーなワンピースでないと、やはり無理がある。わざわざそれを手に入れてまで本格的なコスプレをする気はさらさら無い。あくまで百円(税抜き)のデッキブラシだけで得られるものであってほしいのだ。
いいアイデアなど出るはずもなく、コレでベランダ掃除でもしようと思い立ち、窓を開けた。そこでようやく喪服のままだと気づかされ、着替えようと部屋に戻ろうとしたその時。
アホーー アホーー
あからさまに馬鹿にしたような、神経を逆撫でするような声を耳にした。
その声の主を捜すために眼下を望むと、電信柱に作業員が一人。黙々と何かをしているではないか。
一瞬、コイツか! と思ったが、こちらを見ていなければ、気づいている様子もない。
もう一度周囲を見回すと、今度こそあの声の主を見つけた。カラスだ。なんてことはない、ただカラスが鳴いただけだったのだ。
しばらくカラスを見ていたら、ヤツもこちらに気がついたのか、向こうもこちらを伺う素振りを見せつけてきた。
カカカカカカカカカカカカカッ
馬鹿にした細かい笑いのような鳴き声を上げ、こちらに一瞥くれて飛び去っていった。
一応こちらは魔女なのに。カラスに見下されたかのようだ。カラスにすら馬鹿にされ、下僕として扱うことができない魔女。ここが本家のあの魔女と一緒でどうする。
そう自嘲はしたものの、よく考えなくても当たり前だかこちらは本物の魔女ではない。そもそも映画のアイツと比べてどうする。そう突っ込まずにはいられなかった。
ようやく落ち着き、いつまでも黒服でいてもしょうがないことを思い出し、部屋着という名のジャージに着替えて、いざ、ベランダ掃除へ。と意気込んで真新しいデッキブラシを本来の使用方法でと息巻いた。が、まずは外より内で使うべきではなかろうか。さしあたり浴室掃除が妥当と判断。そちらへ向かった。
まずはシミュレーション通りにキズをつけないよう、やさしく、ゴシゴシゴシゴシ……。浴室の床をそーっと静かにこすってみた。キズはなさそうだ。それではもう少し強く、ゴシゴシゴシゴシッ。すると汚れがスルッと落ちた。心配していた抜けもなく、ブラシが広がって戻らないということも起きず、床だけがきれいになっていた。調子に乗って壁もやる。
デッキブラシだから当然壁はやりにくい。だが、こちらも驚くほどきれいになっていった。百円(税抜き)とは思えない働きである。
手に入れた時点で、既に購入価格の元は取った。購入前の懸案事項は、今のところ何一つ起きていない。手に入れて思いついたメリットの一部に水を差されたところもあったが、トータルでみれば上々以上の成果をもたらしてくれている。
それより何より、本来の機能は一回でも十分としていたのに、あと十回は余裕で耐えてくれそうだ。
これは買い。間違いなく、高い付加価値をもたらしてくれた、近年まれにみる成功の買物である。
フ……フフフ……フフフフフフフフ……
思わず笑いが込み上げくる。
いや、せっかくだからもう少し魔女っぽい演出をしてみようかと、また思い至ってしまった。
浴室掃除で汗もかいたことだし、お風呂を沸かそう。そして沸いたお風呂を魔女の大釜に見立てて、怪しい薬でも調合するかの如く、入浴剤を入れ、かき混ぜながら高笑いをかますのだ。
思考三秒。決めてしまえば早い。
蛇口を回して湯船に湯を張る。小さな風呂釜はあっという間に貯まった。湯加減をみるため、まずは試しにデッキブラシの柄を湯に突っ込み、ぐるぐるかき回した。雰囲気が出てきた。
ヒーッヒッヒッヒッヒッヒーーーーッ
狭い風呂場で、妙な引き笑いがこれでもかというくらいに響く。
なんだか楽しくなってきて、入浴剤を入れてもう一度高らかに笑ってみた。
その声の後ろで、換気扇からカカカカカカカカカカカカカというカラスの笑い声が再び微かに聞こえてきた。
思わず口の端を上げ、ニヤリとではあるが、心の底からの笑みが溢れた。

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