Dear Mr. Mackerel

市場・パリスジンゾフ・愛眼

 かんぱーい、と陽気な声がビアホールに響き、二人の男がジョッキを打ち付ける。お互い程よく酒がまわり、顔はニコニコ、陽気な笑い声、肩を叩き合う。たまたま、飲み屋で隣あった者同士、お互いの飲みっぷりを讃え、ジョッキに酒を注ぎ合う。酔っぱらいの男がする話しと言ったらたいしたバリエーションはない。仕事の話か女の話と相場は決まっている。
 仕事の話となると、お互いちっちゃな自尊心を大きく見せようと躍起になり、様々な武勇伝が飛び出す。取引先自慢が始まる。自分がいかに重要なプロジェクトを任されているか自慢をし、会社の愚痴へと続く。お互いよっぱらってもいるし、所詮酒の席での与太話。お互い話半分だし、どうせ酔っぱらっていて、ディテイルは覚えてない。つまり、お互い気持ちよく飲みかつ語っていた。

 そうしていると、女性三人のグループが入ってきた。二十代半ばから三十代前半といったところか。三人とも街ですれ違えば思わず振り返る、そんなルックスの女性だ。
 二人の酔っぱらいは生唾をゴクリッと飲み込む。どちらからともなく「マブイっすねー」と声が出た。既に二人とも散々酔っ払っていためか、遠慮なく女性達を凝視する。しかし「マブイ」ってのはまた古いっすね(笑)。
 女性たちはいずれもスラリとしており、タイトスカートのスーツがビシッときまっている。華美になりすぎない程度のアクセサリ。ナチュラルなメイク。仕事帰り風ではあるが、疲れを感じさせない凛とした佇まい。都会で働く女性の色香の粋を集めたような綺麗なお姉さんで、まばゆいばかりの輝きすら感じる。つまり、そう、「マブイ」。
 女性たちはグラスビールで乾杯をする。ビールが喉をコクッコクッと鳴らす姿に、二人の酔っぱらいは釘付けになる。酔っぱらいたちはニヤニヤと目を合わせ、無言でジョッキをカツっとぶつけ、ゴクゴクとジョッキを空にする。

「たまんないっすね」
「ああ、たまらん」
「スラリと伸びた脚」
「白い首筋」
「ぷっくりとした唇」
「ぱっちりとした瞳」
「そして眼鏡」
「ああ、眼鏡」
 三人のうち、二人がメガネをかけていた。一人はフチ無しの理知的な、もう一人は下半分だけフチがあるアンダーリムの個性的なメガネをしている。
「おたくもかい?」
「ええ、眼鏡原理主義者(メガネファンダメンタリスト)でね」
「そりゃぁ、いい。ならば改めて」
「眼鏡に」
「眼鏡に」
 そして、またジョッキを打ちつけ乾杯をする。

「ときに同士、貴君は眼鏡のどこがいいのかね」
 すっかり酔いがまわり、お互いが同好の士と知れると、照れ隠しなのか、芝居がかった妙な言い回しで男は尋ねた。
 すると、尋ねらられた男が手で制し、例の三人の女性の方へ視線を促す。そちらを視る、フチ無し眼鏡の女性が眼鏡をとり、バッグにしまうところだった。手で制した方の男がその様子を視ながら口を開いた。
「やはり、眼鏡の良さは、『変身』ですかね。眼鏡をしていた女性が眼鏡を外した瞬間、僕は彼女にチャームの魔法をかけられてしまう……。それこそが眼鏡の魅力だろう」
「はぁ? 何言ってるんですか? 眼鏡を外したら眼鏡っ娘じゃないじゃないですか。眼鏡は顔の一部ですよ?」
「あ? 馬鹿な。貴方は何もわかっていない」

 戦争だ。

 戦争が始まった。同じ眼鏡原理主義者同士と思っていたが、それぞれが自分を正統であると主張し、他者を邪道であると切り捨てた。ならば何が始まる。妥協も歩み寄りもない。どちらかが完全に潰えるまで戦い続ける。誰も幸せにならず、何も生み出さず、誰にも理解されることもない孤独の宗教戦争が始まった。
 まずは戦意を高揚させるため、ビールの追加をそれぞれが頼む。あくまでも笑顔は絶やさず、しかしヒクヒクと震える口元は隠せない。ジョッキを砕かんばかりの力強い乾杯は、これから長く続くであろう戦いの、初戦の開幕を告げる喇叭のそれであった。
「じゃぁ、貴方は眼鏡のどこがいいというのですか?」
「眼鏡の素敵さ、その全ては語り尽くせぬ。しかし、見れば一目瞭然でしょう。眼鏡を装着している女性は美しい。これは大宇宙の真理。一千年近くをかけて磨かれてきたそのフォルム、機能、付帯する女性の仕草。その一つ一つが愛らしい」
「答えになっていない! それはただの歴史であって、あなたが感じる眼鏡の良さではない!」
「たしかにそうだ。そうかもしれない。眼鏡の魅力は、確かに貴君の言うような『変身』かもしれない。その点について私は反論できない。なのでかような論点のすり替えを行おうとしてまった……」
「そうだ、認めろ。自分を正当化するためのごまかしなど眼鏡の前には無意味であろう」
「しかし、貴君とは大きな違いがある。貴君は『眼鏡を外したときのギャップ』が良いと言った。しかし、私は『眼鏡をかけると魅力五割増し』説を声高に唱えたい! 眼鏡を外したときのギャップ? 笑止! 眼鏡を愛する者、眼鏡を外した姿に魅力を求めるなど論外! 顔の一部としての眼鏡こそ至高!」
「浅い浅い浅いっ! 眼鏡っ娘(めがねっこ)は、たとえ眼鏡を外したとしても、心のなかでは眼鏡をかけているのだよ! なぜそれがわからぬ! 眼鏡イズオールウェイズウィズ眼鏡っ娘なのだよ! たとえそこに物理的眼鏡が存在していなくても、だ!」
「何たる軟弱、何たる邪道! ならば貴君は、その女性が生涯一度も眼鏡をかけたことが無かったとしても、貴君の妄想の中で、任意のタイミングで、眼鏡っ娘に変じる可能性を秘めているということではないか。非実在眼鏡っ娘は眼鏡っ娘に非ず!」
「ならばお貴方は、伊達眼鏡についてどう考える。特にあの、フレームだけでレンズのはいっていないやつについて!」
「あれはあれでよいものです。慈しむ目をもって見守っていきたい」
「詭弁だ! 眼鏡とはなんだ? 眼鏡を定義せよ! あれらのおしゃれ眼鏡、伊達眼鏡、似非眼鏡も眼鏡だというのであれば、彼女達も心の中で眼鏡をかけていることになるのではないのか!」
「なにをわからぬことをこの……っ!?」

 そのとき、例の三人組のうち最初から眼鏡をかけていなかった女性に動きがあった。
「あー、やっぱりコンタクト疲れる。ちょっと外しちゃうね」
(コンタクトだ……と!?)
 眼鏡原理主義二人は心のなかで声を同じくした。そして、彼女の動きに注視する。
 バッグから取り出されたのはコンタクトレンズの容器。そこに外したコンタクトを慣れた手つきで収め、バッグにしまい、それと入れ替わりで取り出したのはメガネケースであった。メガネケースから取り出した赤いフチの眼鏡をかけ、ニコリと笑う彼女の笑顔は、控えめに言って最高であった。

 二人の眼鏡原理主義者は、気づいたら立ち上がり、二人それぞれが天を仰ぎガッツポーズをしていた。サンクスゴッド、イッツ眼鏡っ娘。どちらからとも無くジョッキを手に取り、二人は満ち足りた顔で本日幾度目とも知らぬ乾杯を交わす。
 眼鏡の何が二人をそこまで熱くさせるのかは分からない。しかし、眼鏡の前に全ての人間は平等だ。どうやらそれだけは真実らしい。

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