希求集団

一兎

 彼の勤めている会社では、新入社員は全員、特段の理由がない限り新人寮に入寮することが定められており、六ヶ月間をそこで過ごす。彼は寮暮らしの経験がなく、あまり気が進まなかったが、規則に従い入寮した。
 新人寮は山間にあり、駅までバスで二十分という立地にある。駅前も栄えているとは言えず、いくらかの商業施設がある程度で、娯楽施設はパチンコ店ぐらいしかなかった。
 入寮から二週間程度は新入社員としての緊張感が生活に刺激を与えるが、一ヶ月ほどすると彼のみならずこの寮での生活は退屈であると感じる人間が大半であった。彼を含め多くの同僚は地方出身ということもあり、休日に帰省するというわけにもいかず、時間を持て余していた。

 初めは麻雀であった。彼は同僚に誘われ麻雀を始めた。彼はギャンブルを好まず、学生時代は誘われても拒否していたが、この寮というコミュニティから疎外されることを恐れたこと、退屈であったこと、そして初任給により手持ちがあったことが、彼をそうさせた。
 彼が初心者ということもあり当初は小銭程度のやりとりであったが、次第にコミュニティは刺激を求め、賭け金は増えていき、メンバーは親和性を増していった。

 ある休日に、麻雀仲間の一人から駅前のパチンコ店に行かないかと誘われた。彼はパチンコをやったことがないので教えて欲しいとその仲間に頼んだ。
 パチンコはハンドルを回すだけの非常に簡単な作業である。ハンドルを回すと銀球が飛びそれが中央にある穴に入ると抽選が始まる。この抽選に当たると銀球が増え、それを換金する。ハンドルを適当に回しても銀球は数発おきに穴に入るため、技術は必要ない。
 彼はその日、大金を手にした。彼はこのパチンコというものに興味を持った。簡単な作業で大金が手に入る。建前では仕事のやりがいを求め入社したが、働くことはお金を得るための手段であると感じた。
 それから彼は仲間と休日や会社帰りにパチンコに足を運ぶようになった。パチンコはギャンブルであり金銭的な勝ち負けがあるが、勝った日は飯をおごり、負けた日は飯をおごってもらうといった仲間との関係性もあり彼は魅了されていった。

 彼の金銭感覚はこの新入社員時代に形成された。彼は寮を出た後、麻雀こそする機会が無くなったが、パチンコに没頭していった。勝ち負けはあるものの、次第にお金がなくなり、お金がなくなれば給料日を待つほかなかった。
 彼は退屈が我慢できなかった。しかし、時間もお金もパチンコに費やしていたため、それ以外の退屈のしのぎ方を知らなかった。
 また、彼にとって仕事は苦痛であった。早く帰ってパチンコを打ちたい。しかし、仕事をしなくてはお金がない。この葛藤をまぎらわすために次第に給料日が待てなくなり、借金をするようになった。
  生活費はクレジットカードで支払うようになり、毎月支払いに追われた。賞与は借金の返済に充てられ、貯金をすることもできなかった。
 仕事をしたくないが、お金が欲しい。仕事をしたくないが、仕事をやめることができない。彼の中で仕事はお金を稼ぐ手段でしかなかった。

――国民の射倖心をあおるのは勤労によって財産を得ようとするという健全な経済的風俗を害する

 彼にとってパチンコは最早お金を稼ぐ手段ではなかった。
 銀球が物理法則に従い、上から下に跳ねる様子は無機質であるが、個々が生命を持つかのように奔放に振舞う。銀球は幾度となく釘に当たり進路を変えさせられながら、目的地を目指す。風車に篩われ、幾多の銀球の生命が失われ、数分の一の銀球のみがその目的地の穴へと辿りつくことができる。そこで初めて抽選が始まり、定められた確率での当選を祈る。当選できる銀球はごく一握りしか居ない。
 それは膣に射精された精子が子宮へ卵管へそして受精へと辿る過程の如く生命の神秘の図式であり、その一つ一つが激しい感情の起伏を経験させる。
 その快感こそに彼は生きる幸せを感じていた。

「宝くじが当たったら会社を辞めますか?」

 この質問に対し、真剣に回答するよう全会社員に問いたい。そして、その答えがYesと回答した人間に会社を辞めて何をするのか問いたい。その答えの総体が示すものが近未来の世界である。

 人は食べる。人は眠る。生活は非常に厄介である。人は生活が充足してこそ自己実現を望むことができる。生活が充足しなければ、雌伏期間は続く。生活に囚われた人間はただ生きているだけである。

 あなたはなぜその会社に入ったのか。 あなたは何をすることで社会に貢献しているのか。
 あなたは消費することで社会に貢献している。だから、あなたが貯金すればするほど、社会から仕事がなくなり貧富の差は拡大する。だからといって、あらゆるものが過剰で不要なものばかりだ。
 では、何が必要で何が不要なのか。あれは要る、あれは要らない、そんなことをあなたが決める必要はない。

「もし、お金がもらえなかったら今の仕事を続けない。お金をもらっているから一生懸命働く」

 あなたは税金を払うことで社会に貢献している。だから、あなたが老人に早くくたばれというのは理にかなっている。老人は「ただ生きているだけ」だと。では、あなたはなぜ生きているのか。誰が必要で誰が不要なのか。あの人は生きている価値がある、あの人は生きている価値がない、そんなことをあなたが決める必要はない。

 仮に宝くじの当選金額全てをパチンコに使う人がいて、それをあなたがどう思おうと、それはその人として正しく、また、社会に貢献している。お金に執着することほど無駄なことはない。

――彼は言った。

「学生のときの自分には、自分が今している仕事を選択することはできなかったし、想像もできなかった。転職に対してもまったく考えていなかった。だけど、今は転職して本当に良かったと思っている。自分のやりたいことを全て学生時代に発想できるか。できる人もいるかもしれないが自分にはできなかった」

「私はパチンコを世界一の娯楽にしたいと考えている。ここには世界一パチンコを愛している最高の仲間がいる」

 その目は迫力を感じるほど生気に満ちていた。

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