日替り女房

樹莉亜

 その町には、奇妙な生き物と、一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

 又三郎たちの住む長屋に、新しく夫婦ものが越してきた。亭主の方は白粉(おしろい)問屋の通い番頭で、名を仁右衛門という。四十になったばかりの男盛りで、物腰の柔らかい優男であった。一方、女房のおふくは器量良しとはお世辞にも言えない顔立ちであったものの、小柄で気立ての良さそうな女であった。以前は別の町に住んでいたのだが、訳あってこちらに越して来たのだという。「この町のものは、みな妖(あやかし)か妖憑き(あやかしつき)」と噂されるここでは、よその町から越して来るものは珍しい。長屋の面々に挨拶に回る仁右衛門夫婦の仲睦まじい様子は、迎える長屋の住人たちにも好ましいものであった。夫婦の向かいに住む、からくり職人の甚五郎と女房のおかめなどは、「困った事があったらいつでも言え」と、世話焼きを買って出るほどであった。
 ところが、それから十日も経たぬ間に仁右衛門の評判は甚だ芳しくなくなってしまう。
 越して来た最初の日に挨拶に回った女房と、次の日に井戸端に現れた女房がまるで別人だったのだ。更に明くる日にはまた別の顔をした女が何食わぬ顔で洗濯ものを干し、その翌日にはまた違う女が豆腐を買いに出るという次第である。なまじ亭主の方が女好きのする優男であったが為に、尚更に目敏い長屋の女たちの好奇の的になっていた。

 十日ぶりに米を手に入れた浪人の又三郎が飯を炊こうと井戸端まで来たが最後、女たちに捕まって延々とこの話を聞かされる羽目になったのは、運が悪かったとしか言いようがない。
「又三郎の旦那は隣に住んでるんだからさ、何か聞いてないのかい?」
 と、いきなり言われても面食らうばかりである。
「何かってぇ何の話だぃ?」
「いやだよ旦那ったらとぼけちまって。ほら、その、聞こえるだろ? いろいろと、声がさぁ」
 長屋は壁一枚隔てた向こうは隣の住まいである。薄い壁を通して隣の物音など筒抜けであった。何か話し声でも漏れ聞こえてはいないのかと、女たちが又三郎に詰め寄る。
「いいや、何も。変わった様子はねぇよ」
 特に言い争うような声も物音も聞こえては来ないと言うと、女たちは心底がっかりした様子で溜息を吐くものだから、又三郎も困ってしまう。
「だってね、旦那。毎日ですよ。毎日違う女なんですよ」
「いくら亭主が色男だからって、ねぇ」
「あら、もちろん旦那の方がいい男ですよ」
 口々に好き勝手を言う女たちの姦しさに、又三郎も苦笑を浮かべるより他ない。商家の番頭で小綺麗な身なりの仁右衛門に比べて、又三郎は傘張りの内職で糊口を凌ぐ冴えない浪人で、着ているものも古手屋で仕入れたような、綻びの目立つ一張羅である。背は高いがひょろりと痩せて、月代も剃らず伸び放題の前髪は、ぼさぼさとしてだらしがない。それでも長屋の連中に好かれているのは、その気さくな人柄ゆえであった。
「あたしだってね、他人様の内々の事をとやかく言いたかありませんよ。大店の番頭さんともなれば、妾の一人や二人囲ったって構いやしませんけどね。でもねぇ、『これが女房のおふくです』なんて挨拶して回った次の日には別の女が『女房でござい』ってな顔して暮らしてるんですよ、おかしいじゃありませんか」
 女の一人が捲し立てると、もう一人が声を潜めた。
「それに初めに会ったおふくさんは、どこに行っちまったんでしょうねぇ? しかも、次の日に見た女も、その次の日に見た女も、二度と戻って来ないんですよ。何だか気味が悪いじゃありませんか」
「きっとどっかで女を買って連れ込んでるんですよ」
 そう言って、もう一人が首を伸ばして長屋の奥を窺い見る。
「ちょいと、おろくちゃん。首を伸ばしすぎだよ」
 おろくと呼ばれた女は、「あらいけない」と舌を出し、二尺ばかり伸びた首を元に戻した。
「それにしたって、そうそう毎日別の女を連れ込む訳がわからねぇな」
 米を研ぎながら呟く又三郎に、女たちが妙に慌てて手を振ったり、口に人差し指を当てる仕草をしてみせる。不審に思い振り返ると、仁右衛門が暗い顔をして立っていた。
「あれはおふくなんです」
 又三郎に向かって言っているようで、視線はどこか定まっていない。
「あれはみな、おふくなんです。あたしの女房なんです」
 仁右衛門はそれだけ言うと、ふらふらとした足取りで木戸を出て行ってしまった。
 井戸端の女たちも又三郎も、暫く口もきけずにただ木戸の方をぼんやりと見つめていた。

 その日の夜も更けて、又三郎は部屋の灯りが消えたのを機に、はっと我に返った。傘張りの作業に夢中になって時が経つのも忘れていたらしい。行灯の油が切れていた。
 風のない、静かな夜であった。
 どこからともなく、人のすすり泣くような声が聞こえてくる。気になって外を覗くと、井戸に半分隠れるようにして何か黒いものがうずくまっていた。又三郎が確かめようと傍まで行くと、果たしてそれは小柄な女であった。
「どうかしたのかぃ?」
 声を掛けると女は顔を上げ、又三郎を見上げた。だが、月明かりに照らされたその白い顔には何もなかった。
 目も、鼻も、口も、何もなかったのだ。
「ひぇっ」と声を上げ、又三郎は尻餅をついた。
 女は途端にまたさめざめと泣き出した。口も鼻もないのに泣き声は聞こえるのが何とも不思議であった。
「ああ、驚いた。何だお前さん、のっぺらぼうかぃ?」
 女は小さく頷いた。そんなものが長屋にいただろうかと思い巡らし、ふと閃く。
「お前さん、ひょっとしておふくさんかい?」
 袖に顔を埋めたまま、女はまた頷いた。又三郎は漸く合点がいった。「あれはみな、おふくなのだ」と言った仁右衛門の言葉に嘘はなかったのだ。
「どうして泣いてるんだぃ?」
 優しく話し掛けると、おふくはこれまでの事をぽつりぽつりと話した。のっぺらぼうに生まれた自分は、毎朝紅と黛で顔を描いていること。描けば普通の人間のように目鼻が出来上がるのだが、どうにも下手で毎度違う顔になってしまうこと。そのことで前の長屋でも亭主の人となりを疑われ、居づらくなって越して来たこと。
「そんならそうと、早く言ってくれりゃ良かったのに」
 又三郎が笑うと、おふくは不意に泣き止んで顔を上げた。表情はわからないが、どうやら驚いているらしい。
「でも、のっぺらぼうなんて気味が悪いでしょう?」
 戸惑うおふくの肩を、又三郎は優しく叩いた。
「この町が何て呼ばれてるか、知ってるかい?」

「のっぺらぼうだって? そんなもん、誰も驚きゃしないよ」
 豪快に笑ったのは、甚五郎の女房おかめである。又三郎から話を聞いて、長屋の女たちにも事情を話し、おふくとの仲を取りなしたのも彼女だった。
 からくり職人の甚五郎は、おふくの為にあるものを作った。能面のような代物だが、面の内側に凹凸があり、そこに紅や黛を塗って顔に当てると、いつでも同じ位置に目鼻が描けるというものである。のっぺらぼうの正体が知れた今となっては、誰もおふくの顔をとやかく言うものはなかったが、それでも彼女は毎日同じ顔が描ける事を喜んだ。何よりその事で仁右衛門の気が楽になったようで、長屋のものとも随分と打ち解けて話すようになったのだった。


 その後暫くして、この話の顛末から「ふくわらい」という遊びが発明されたというが、さて真偽のほどは不明である。


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