座敷わらし人形

流山晶

「おい、瞳、また倒れているぞ!」
マンションの玄関で、分厚い眼鏡をかけた男が言った。重そうな鞄を抱えて出勤するところである。
「あら、本当! 仲がいいのねぇ~」
パジャマ姿の若い女が、目をこすって人形を見ている。下駄箱の上に飾られているのは、座敷わらし人形である。
「まただよ。女の方はすぐ倒れる。いくら伝統だからって、新居祝いにこのフィギュアはないと思う」
 確かに、おかしな人形である。男女ペアで、座敷嵐君、座敷鳴子ちゃんという名前がついているのだが、どう見ても萌え系フィギュアである。
「可愛いから、いいじゃない」
 瞳と呼ばれた若い女は、嵐に倒れ掛かった鳴子を直した。そして、
「鳴子ちゃんは、嵐君を頼りにしているのよ。ねっ、和也」
と言って、背を向けている和也の首に腕を回した。
「おいおい、瞳、重いよ」
そう言いながら和也は、人形の微妙なずれを直した。
「忘れ物、ない?」
「ないことは…… ないかな?」
和也は瞳に向き直り、熱いキスした。寝起きで気怠そうな瞳はどこか艶めかしい。和也は咳払いをした。
「今日は、瞳が夕飯当番だから、忘れるなよ。冷凍庫で眠っていた鶏肉を解凍しているから、よろしく!」
「は~い。行ってらっしゃ~い」
和也を見送った瞳はそのまま布団に戻った。

 その晩、帰宅した和也は怒っていた。
「瞳! 今日はお前が当番じゃなかったのか? それが、酔っぱらって、ソファーで引っくり返っている!」
「あ~? 和也? 和也じゃない! あたしを慰めて!」
「はあ? お前、相当酔ってるぞ。どうせ、塾の若い講師仲間と飲んだんだろう」
「あら、妬いているの? 和也、可愛い!!」
「馬鹿言っていないで、早く寝ろ。布団敷いてやるから」

 風呂場で和也は怒っていた。
「あっ、アイツ! また、湯船を洗わずに湯を入れやがって。しかも、こんなに一杯。一体、どんだけ水とガスを浪費したと思ってるんだ!」
 和也はケチである。毎日、湯船に入るなんて言語道断だと思っている。しかも、神経質である。
「ああっ!! 鶏肉、解凍しっぱなしじゃないか! せめて、冷蔵庫に入れておけよ。腐るじゃないか! 朝食の皿も洗っていないし…… おい、瞳! ってもう寝ている! コイツ、物ぐさにもほどがあるぞ…… くそっ、目に物見せてやる!!」

 翌朝早く、和也はそっと出勤した。玄関の座敷わらし人形をきっちり背中合わせにし、腐りかけの鶏肉をシチューにして食卓に置いていった。
「これで、腹でも壊せば、少しは反省するだろう」

 だが、職場についた、和也は猛省していた。
「万が一、食中毒を起こして入院でもしたら……」

 その日、和也は格段に早く帰宅し、玄関からダイニングに直行した。食卓の上もシンクも綺麗に片付いているのを確認し、青ざめた。
「こんな時に限って、皿を洗っている! ああ、瞳、俺を許してくれ! 俺はなんて愚かなんだ。俺は悪魔だ!」
 ガチャリと音がして、玄関が開いた。
「ただいま。あら、和也、帰ってるの?」
間延びした瞳の声が聞こえてきた。
「お、お帰り、瞳」
和也が探るような眼で瞳を見る。
「今日は、早いのね、風邪でもひいたの?」
「いや。た、たまにはね。お前こそ、体調、悪くないか?」
「全然。絶好調よ。和也は私のために、早く帰って来てくれたのね~」
そう言って瞳は、和也に抱きつき、キスした。新婚カップルにとってキスは万能薬である。
「ちょっ、ま、まずは着替えろよ」
「そうね。今夜は体の隅々まで洗おうかしら? ふふふっ」
笑顔の瞳は時に魔性のようである。和也は顔を赤くした。
「お、俺が夕飯作るから、瞳は風呂でも入ったら?」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
 風呂場で瞳が声を上げる。
「わお~っ!」
いつもなら、二十センチほどしか溜まっていないはずの湯船が満々と湯を湛えているのだ。しかも、入浴剤入りだ。
「和也って、たまに優しいのよね~」
その歓喜は、キッチンの和也には聞こえない。

 そして、暗くなった寝室で二人は熱い時を過ごした。
「瞳、今日は悪かった。朝食、まずかっただろう?」
「朝食? あっ、ゴメン! 寝坊して、食べ損ねたのよ」
「食べなかったのか!」
「というか、朝食があるのも知らなかったわ。だって、昨日、和也は怒っていなかった? なんで怒っていたのかわからなかったけれど…… だから、今朝起こしてくれなかったのでしょう?」
「いや、まあ…… じゃ、朝食は……」
「そんなに美味しかったの? 食べなくてゴメンね」
「それじゃ、一体……」
「何かおかしなことでもあるの?」
「いや、別に……」
「それより、今日は湯船を一杯にしてくれてありがとう」
「湯船?」
「しかも入浴剤も入れてくれたのね」
「入浴剤?」
「和也もおおらかになったものね。大好きよ!」
瞳は和也の唇と思考を奪った。

 翌朝、いつものように、パジャマ姿の瞳が和也を見送る。
「あれっ? 昨日、確か背中合わせにしたはずが……」
マンションの玄関で、和也が座敷わらし人形を見つめた。
「あら、今日は、向き合っているわ! 仲がいいのねぇ~」
「瞳がやったのか? 瞳がこの人形を動かした?」
「いいえ。和也がやったんじゃないの~」
「いや」
「まっ、いいじゃない。きっと自然にこうなったのよ~」
「まさか…… まっ、いいか。行ってくるよ!」
「行ってらっしゃ~い」
和也は玄関から一歩踏み出した所で、振り向いた。
「そうか、座敷わらしか!」
「……」
瞳が首を傾げた。
「座敷わらしだよ!」
「そうよ、座敷わらしの嵐君と鳴子ちゃんよ。何か変?」
瞳がさらに首を傾げた。その様は愛くるしい。
「…… 行ってくる」
和也はため息をついた。
 見送った瞳はあくびをして玄関の時計を見上げた。

 瞳の二度寝は電話で邪魔された。
「もしも~し」
パジャマ姿で伸びをしながら瞳は答えた。
「あっ、母さん! 朝早く…… じゃなく、朝から何?」
「えっ、昨日うちに来たの? どうして帰っちゃたの?」
「気分が悪くなった?」
「それで、もどして、色々汚れた?」
「服に入った?」
「ああ風呂に入ったのね。そんなの気にしなくていいわよ」
「やだ、寝ぼけてなんかいないわよ。いつも早起きして和也さんのために朝食を作っているわよ」
「えっ、料理と掃除を習った方がいいって? 失礼しちゃわね、ちゃんとやっているわよ」
「まっ、心配しないで」
「それじゃ、バイバイ~」
瞳は、受話器を置いて、時計を見上げ、
「三度寝できそうね」
と呟いて、ふらふらと布団に戻っていった。

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