出鱈目の作法

和七

「出るってえと、何がだい?」
「此れだよ此れ」と男は胸の前で掌を柳のように揺らす。
「何でも、灯ともし頃に通る奴を捕まえては、賽子を振らせるってえ噺さ」
「お化けが丁半博奕をするってえのかい。気寒い噺だねえどうも。圓朝の落語なら、四つ刻に出る幽霊は前座なりなんて枕にいうけれど、じゃあ六つ刻に出るのは何だろねえ」
「さてはお前さん信じてねえな。なら、そいつが実盛坂での噺だといったらどうするよ?」
「おいおい、其処は一年くれえ前に何処ぞの若旦那が斬り殺されていた辻の、目と鼻の先じゃあねえか」
 男衆が寒い寒いと両の腕を擦ったのを潮に、由蔵が後ろから声を掛けた。
「其りゃあ可笑白え。ちょいと其処まで案内しつくんなよ」
 由蔵は此の界隈で幅を利かせている渡世人で、辻二つ先の霊雲寺で開帳している賭場の仕切りを任されている男だ。男衆は厄介な奴に絡まれたと、互いに渋面をこさえた。
「冗談じゃねえ、例い其れが与太でも、そば杖が中るのは真っ平だ。近寄らないに越したこたないね」
 そういい残して二人は足早に去って往った。
 幽霊だか火男だか知らないが、縄張内で勝手に盆を敷かれたとあっては無宿渡世を張っては往けぬ。そもそも其処で男を斬り殺したのは由蔵自身だ。己が斬った男の怨霊に逢いに往くってのも、なかなか乙なもんだと独り嗤笑した。
 寛永寺から届く暮れ六つの鐘を聞いてから実盛坂を下る。人っ子一人通らぬ薄暮れに、場が立っている兆しはない。だが、まっつぐ半丁ほど歩いた処で、宵鳴きみたような絃の音が聞こえてきた。心許ない旋律の根っ子を手繰るように辺りを見回すと、今し方通り過ぎたばかしの径に雪洞がともっているのに気が付いた。薄ぼんやりとした灯を受けて、墨染の着流しがちらちらとまじろいでいる。
「やいこら、手前こんな処で何していやがんでい」
「行き成し大きな声を出すなんてとんだ野暮天だねえ。わっちは見ての通り、三絃を弾いてるだけですよ」
 由蔵の剣突な言い条に平然と返した顔は影に成っていてよく見えない。華奢な優男だが、どうやら脚はありそうだ。
「誤魔化そうってえ魂胆なら諦めな。手前が此処で遣らかしている事なんざ、こちとら端からお見通しだってんだ」
「お見通し? なら噺が早い。手慰みに一丁どうですかい」
 着流しは賽子を取り出し、掌でころころと転がした。
「手前は剽たくれか? 俺を霊雲寺の由蔵と知って焚き付けてんだとしたら、おどけ噺じゃあ済まねえぜ」
 由蔵は「おう」とけしかけて胸座を掴む。香でも聞いているのか、白檀の小粋な薫りがふうわりと舞った。着流しは平気の平左で長煙管を口に咥える。ちろりと蠢く舌先が妙に艶かしく、由蔵の臍の下に鈍い疼きを呼び起こした。
 相手は男じゃねえか……。誤想を振り払うように着流しを突き飛ばした。無体にはだけた素肌の、透けるような白が雪洞に照らし出される。胸許には晒し木綿が巻かれていたが、豊な丸い乳の片影は隠しようもない。野郎だと思っていたそいつは、五分も透かない別嬪だった。
「女の癖に男みたようななりしやがって、手前まさか、根津辺りの妓樓から逃げてきた妓じゃあるめえな?」
 着流しは乱れた衿許に親指を差し込んでつと乱れを正す。
「わっちは木花樓の糸吉という者。でも疾っくの疾うに年季を納めて脚を洗ってんだ。やましい事はいっこもないね」
 木花樓といえば吉原一と夙に評判の大見世。高が妓樓と侮るなかれ、並の妓で務まる廓ではない。其れも此の見目形と、一連の立ち居振る舞いで合点がいった。ちらと視線を流すだけで此の有り様。知らずいちもつが疼くのも無理からぬ噺。さりとて、そう易々と騙される由蔵ではない。妓が肚に謀を呑んでいるのを、敏く見透かしていた。
「なんか裏があるな。一体何を企んでいやがる」
「手合わせしてみれば判じる事もありましょう? お前様が勝てば、賽を振るのは今宵限りとげんまんしますよ」
 糸吉は妖美な秋波で由蔵を誘う。無理くり仕舞い込んだ色慾が、股の間で再びもぞもぞと鎌首をもたげはじめた。
「其れだけじゃあ足んねえな。手前の体を一晩俺の自由にさせろ。其れでも遣るってえんなら相手に成ってもいいぜ」
 糸吉は袂で口許を隠してくすくすと咲った。
「甚助だねえ。おぼこ娘じゃあるまいし、今更勿体付けるかこち種はなし。其の代わしわっちが勝ったら、お前様のいっち大切なものでも貰いましょうかねえ」
 怪訝そうに顔をしかめる由蔵の胸を小指で突つき「張り駒を吊り上げたのはそっちだよ」と上目に見遣った。
 糸吉のいう「いっち大切なもの」が何であろうと勝てばいいだけの噺。こんなずぶの素人に五寸の口を叩かれて、其の通りで御座い、と帰順する道理はない。
「いいだろう、相手に成ってやろうじゃねえか。但し、こっちは此の灰汁助に賽子を振らさして貰うがな」
 由蔵の影から辛気臭いのっぽがのしゃばり出てきた。
「お前様がお相手をしてくれるんじゃないのかい」
「こいつは賽を振るだけ。勝ち負けのお役目は一切合財俺が引き受けんだ、文句はあるめえ」
 糸吉は「ならいいよ」と承知して「此処はぴん転がしで遊ぼうじゃござんせんか」と持ちかけた。
 ぴん転がしとは、順に賽子を放って先に一を振り出した者の勝ちという、此度の手合いには誂え向きの博奕だ。
 灰汁助は力士が斬る手刀みたような手さばきで賽子を受け取る。とっつきから勝負を懸ける気勢だ。
 指先で面を整え、壺めがけて賽子を放った。
 一本独鈷で壺振り師を遣っている灰汁助は、停まった壺に賽子を投げ込むだけなら、十中八九出目を操る事ができるほどの腕利きだ。灰汁助に賽子を振らせる事を承諾させた時点で、由蔵は糸吉を玩ぶ目算を立てはじめていた。
 ころんころんと転がって、出た目は裏目の六だった。
「馬鹿な!」
「雪洞の灯りじゃ暗過ぎて、手許を違えなすったかい」
「うるせい! 賽の目の割り順の、天一地六東五西二南三北四は此の指先が覚えてんだ、夜目でしくじる筈がねえ」
 宵辻に同間声が喧しい。灰汁助とはよくいったもので、其の声を聞いているだけで胸が悪く成る。
「本当にそうかしら?」
 由蔵は懐手に事の顛末を傍観している。灰汁助は壺から賽子を摘み上げると仔細に眺め、そして愕然とした。
「南三が北三に成っていやがる――。此れは雄賽子だ」
 一二三の角を上端にした際、数えの順が右回りなら雄で、左回りなら雌だ。巷ではおしなべて雌の賽子を使用する。灰汁助は其の俗識に捉われて、賽の改めを怠ったのだ。
「浮世に男と女がいるように、賽子にも雌があれば雄もあるのもまた道理。気付くのがちいとばかし遅かったねえ」
 糸吉は賽子を引き取り壺に投げ込む。出目は一。賽の目を自在に操れるのは、なにも灰汁助独自の手並ではない。
「わっちの勝ちだ」
 糸吉はいうなり、後ろ腰に呑んだ匕首をすらりと抜いて袈裟掛けに斬り付けた。不意を突かれた由蔵の着物がはらりとはだけ、見事な彫り物と裂けた肉が露わに成る。灰汁助はとばしりを喰うのは御免と、裾を絡げて逃げて往った。
「藪から棒に何しやがんでい」
「わっちは此の刻をずっと待っていたんだ。藪から棒なんて連れない事はいいっこなしにしとくれよ。よもや忘れたとはいわせやしないよ、あんたが殺した男の事をさ」
 件のお化け者の事だ。奴は神保町の大店の道楽息子だった。お遊びで始めた博奕に嵌り、派手に遣り過ぎた。博徒なら駒札を廻して寺銭で稼ぐ。誰が勝った処で胴元の肚は痛みやしない。だが、遊びを知らない素人に場を荒らされたとあっては賭客が逃げて往く。だから斬った。
「思い出したぞ。木花樓の糸吉といやあ、何処ぞの若旦那に身請けされたとかいう、見世の看板女郎じゃねえか」
「そう、あんたが殺したのは其の若旦那さ」
「わざわざ亭主の仇を取りに来るとは、義理堅てえこって」
「夜討ち朝駆けであんたを殺るのは容易い事。でも其れじゃああの人の気は晴れやしない。だからそっちの稼業できっちと決着を着ける事が肝要だった。賽子で亭主の借りを返したら、次は匕首でわっちの恨みを晴らす番さ」
 切り裂かれた肉の間から熱い血潮が流れ続けている。其処に彫られた倶利伽羅紋紋。龍の巻き付いた剣の絵図に、己のこさえた咎を断罪されているような錯覚に襲われる。
「因果は巡る糸車ってえ訳かい。ちっ、全部が裏目に出てやがらぁ。面倒臭せえからひとおもいにやっつくんなよ」
 糸吉は由蔵の命の灯火を掻き消そうと匕首を構える。其の顔は憂いを帯び、ぞっとするほど艶かしい。
 六つ刻に出てきたのは幽霊じゃなく、別嬪の死神とは恐れ入った――。

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