蜜壷 -Girl meets Boy-

一兎

 彼の前に現れた彼女は、また別の名前であった。彼は彼女に訊いた。
――どうしたの? 今日、お前を呼んだ俺が訊くのも変だけど。

 それに対し彼女は興奮気味に言った。
――今日、ようへいくんに会うとは思わなかったよ、でもそれが嫌じゃないし、むしろすごく嬉しい。


 彼女と彼が初めて出会ったのは今からおよそ2年前、彼女は、彼が取引先の接待でよく使うキャバクラの新人嬢で、その日は彼に付いて接客した。当時、彼女は18歳で、高校を中退したばかりだったため、普通のどこにでもいる高校生という印象だった。
 彼と彼女は、客と店員の社交辞令的やり取りで連絡先を交換した。彼は特段、彼女を気に入ったわけではないが、内心には、彼が大学時代に家庭教師をやっていた時の教え子と彼女が同い年だったこともあり、「おせっかいかもしれないが、彼女を更正したい」という気持ちを持っていた。

 2日後、彼女から彼に電話があった。「寝坊してしまい、出勤時間に間に合わなくてクビになるかもしれない。同伴していたことにして入店して欲しい」という。彼は彼女の要望に応えた。
 彼は、仕事ではキャバクラを利用するが、妻子持ちということもあり、個人で利用することはなかった。だから、彼女と合流し店舗に入るという状況に新鮮さを感じ意気揚々としたが、同伴の費用は彼が想定していたよりも高額だった。

 彼は動揺と高揚から彼女に見返りを求めた。彼は彼自身が誠意と感じていた思い上がりを修正した。彼は彼女に対し「(騙されたのではなく)ただの自業自得ではあるが、慈善慈愛で金を寄付しに来たのではない。支払った金額に対して正当な対価であるサービスを要求する」と、彼女にとって理不尽とは理解しながらも自己の権利を主張せずにはいられなかった。
 対して彼女は「授業料だよ」などと言って彼を叱責したり、彼から得た口約束の合意を盾に取ったりはせず、彼の主張を受け入れた。以来、彼と彼女は男女の関係を持ち、ダーツに行ったり、麻雀を囲んだりして遊んだ。また、彼が望んで、先生と生徒のように彼女に勉強を教えた。

 彼女は大検を取るために予備校に通っていた。彼が彼女に訊いた話によると「高校を辞めたのは勉強が出来なかったからというわけではなく、それなりの進学校に通っていたが、家庭の事情で学校を辞めざるを得なかった」とのことである。
 彼女はこんなことを言っていた。
――今、私はBプランを採っているだけ。Aプランが普通に進学して就職してっていう、まっすぐな道だとしたらBは寄り道。でもそれで人生に厚みが出れば、Aプランに戻った時、普通にただAプランを歩んできたやつには負けないと思うんだ。だから、大検を取って大学に行って社会に出て成功したい。

――うちは父親がいないから、裕福じゃないし、出来の悪い弟をバカ私立でも高校に通わせてあげなきゃいけない。だから自分で稼ぐ。そうして成し遂げた方が有り難みもあるし、やる気も出るはず。

 彼は彼女に「大学に行って何を学ぶのか」と訊いた。すると、彼女から「経営を学びたい」と答えが返ってきた。
――漠然としているけど、服屋でも花屋でも何屋でも構わないから自分の店を持ちたい。やりたいことをやるというよりは、やりたいようにやりたいから。

 彼は「彼女が考えている彼女なりのやり方で頑張って欲しい」と思った。
――そうか、その時は俺を頼ってくれよ。こう見えてコンサルやってるから。


 彼は彼女と、彼女が大学に進学したことをきっかけに、意識的に会わないようにしていた。彼は「彼女はAプランを歩み始めたのだ。もはや客と店員ではない」と考え、彼女の成功を祈った。
 その彼女と今、久々に再会したのだ。彼は「大学はどう?」と彼女に訊いた。すると彼女は「今は大学を辞めて、アロマテラピーの専門学校に通っている」という。
 彼は「なぜ大学を辞めたのか」と訊いた。すると彼女は「刺激がない」と答えた。
――大学は想像していたより、聞いていたより、ただのモラトリアムだった。卒業のために、学歴のためだけに学校に通うのは耐えられない。だから辞めた。

 彼は言った、「辞め癖ついてるじゃん、自滅するなよ」と。
――お前ほどやる気があるやつなんていない。それは社会に出ればより顕著で、ただ金のために働いているやつばかりだよ。自分一人でできることなんて大したことないから、仲間を探した方がいい。大学を辞めたのはもったいないけど、二人でも一人でも。

 彼女は言った、「自分のやりたいようにやるだけだよ」と。
――自分の店を持ちたいと思ったら専門職の方が早いと思った。店を出すときはいつもみたいに色々教えてよ。看板の出し方一つで売り上げが変わるんでしょ? 雇ってあげるから。

 彼は「逆にそんな話、今、思い出したよ」と苦笑した。対して、彼女は彼を信頼している。彼女の眼差しがそれを示していた。
――今の専門は週2だから、資金準備しながら学べる。でも日昼、普通に働くだけだと学資返すだけで精一杯だから夜の仕事も始めた。キャバはノルマもあるし指名取るのに時間を掛けるしかないからデリヘルにした。

 今、彼女はデリヘル嬢としての新しい名前を得て、彼の前にいる。
 彼は彼女の選択をどうしても肯定的に捉えることが出来なかった。「彼女は彼女なりに合理的な判断をしている」と理解しようとするが、彼女に対する支配欲を止めることができない。彼は「俺は快楽のために浪費しているだけ。俺の「消費」が彼女を救うなんて尊大な思い上がり」と思いながらも、「どうにかしなければならない」と思った。

 彼は気持ちの昂りを抑えられなかった。適切な言葉を見つけられず、声にならない言葉たちが彼に沈黙を促す。
 そして、彼は結論を出すことを諦めた。「今日は今日しかないが、今日でしかない」、思考停止こそが最良と判断した。

 彼は、今、この時間のあり方を提案することにした。
――まぁいいや。まじめな話は今度ゆっくりしよう。びっくりしたけど、今日は、俺は俺というよりもお客さんだから。プロのワザ楽しみだわ。

 彼の言葉に、彼女は微笑んだ。
――今日はちゃんとサービスするから。今の仕事ではようへいくんに色々教えてもらったことを活用してるよ。

 「そうだ、お前は俺が育てた」と、彼は強い語気で優しくを彼女を抱き寄せる。
 彼女は彼の耳元で扇情的に囁いた。
――本気出してくださいよ、センセイ。

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