壺を割る(後編)

立花招夏

 新幹線に乗り、在来線を乗り継ぎ、なんとなく辿りついた鄙びた北の駅。そこから出ていた路線バスになんとなく乗り込んだ。不思議なことに、鄙びた駅から出発する割には、バスはごった返していた。

「それで夏井先輩は、なんで男に逃げられたのか心当たりあるの?」
 わざわざ私の隣に座り、さっきから触れられたくないことを根ほり葉ほり聞きだしているこの眼鏡男は、秋葉迅一郎という。高校のときの美術部の後輩だ。偶然会った。
 鉄オタなのか、電車の絵ばかり描いていたやつだった。
 彼は廃線になった路線を観にいくのだと言う。今日一日だけ電車が復活するイベントがあるらしい。私の方は、行く当てのない旅だったのに。
 なんと、ついていないことよ。
 私はこの男が昔から苦手だった。年下のくせにやけに馴れ馴れしかったし、しかも彼は誘導尋問が得意だった。
 一方私は、嘘をついたり、誤魔化したりするのが昔から超苦手な堅物で、結局いつも彼にやり込められてばかりいた。もしかしたら、私はいじめられていたのかもしれない。他の先輩に議論を吹っ掛けている様子はなかったから。彼にしてみれば、私など、赤子の手をひねるようなもので、やり込め甲斐などなかっただろうに。
 その証拠に、今だってあっという間に、旅の目的と経緯を聞き出されていた。

「心当たりなんてないよ。何にも言ってくれなかったし」
 私はふてくされて言葉を投げ出す。
 俺が当ててあげようか、としたり顔に言うので、じゃあ、と聞いてみれば、私が堅すぎたからだろう、というのが彼の推論のすべてだった。
「先輩ってさ、昔から超真面目だったよね。きっちりし過ぎてるってゆーか、あそびがないってゆーか?」
 そんなの言われるまでもない。私だってよく分かってる。だから、恋愛に見切りをつけて見合いをしたのだし、そんな自分を変えるべく努力だってした。
「結婚するまでは……なんて言って、指一本触れさせなかったんじゃないの?」
 からかい口調でにやにや問う彼に、私はため息をつく。実際、私は努力したのだ。
「だから努力したと言ったじゃないか。キスだってしたし、セックスだってした。初めてだったけど、全力で取り組んだ。とはいえ、ぴーの時、ぴーできなかったのがいけなかったんだろうか、とはちょっと思っている」
 そう言うと、彼は一瞬絶句したあと、少しうろたえた様子でこう訊いた。やつがうろたえたのを見るのは初めてかもしれない。
「そいつのこと好きだったの?」
 分からない、私はそう答えた。実際今にして思えば、好きだったかどうかさえあやふやだ。
 しばらくの沈黙の後、秋葉は再度問う。
「そいつとはどこに行って、どんなことを話したんだよ」
 見合いの後、私たちは計四回デートをした。彼の提案した二カ所と私が提案した二カ所。彼は映画と遊園地を提案し、私は住宅展示場と墓参りを提案した。
「なんで住宅展示場? なんで墓参り?」
 怪訝そうに問う。
「住宅展示場にいくと、おまけで食器をもらえるんだ。お得だろう? 墓参りは、結婚を前提のつきあいなんだから、どんな墓なんだか見てみたいじゃないか」
 そう言うと秋葉は少し不満げな顔で言った。
「その時もらった食器は割らないの? 壺は割るくせに?」
「その時もらったのは小皿だったんだが、これが使い勝手が良くてな」
「壺も使ってみればいいじゃん。案外使えるかもよ?」
「この大きさだ、花を活けるだけで花代がかかって仕方がない。使い勝手が良いとはとても思えない。それに私は、この壺を使いたいわけじゃないんだ。割りたい。ただそれだけなんだ」
 そう言うと、秋葉は小さくため息をついた。
「そうか、その壺は先輩自身なんだ。ちがう?」
 はぁ?
「……いや、これは壺だぞ? そして私は壺ではない」
「いや、そうじゃなくて……ま、いいけどね」
 秋葉は言葉を濁すと、俺がそいつでも逃げてるかもな、と付け足した。
 ずいぶん失敬なやつだと、私は口を尖らせる。

 冴えた風を切って、バスは山奥を目指してひた走る。赤や黄色に色づいた木々が、とても美しかった。
「先輩、俺は次のバス停で降りるよ。悪いことは言わないから、先輩はこのバスで終点まで行って、在来線で新幹線の駅まで戻りなよ。このバスは日に一本しかないから、気まぐれで途中下車しちゃダメだよ。いいね。じゃあ、また連絡するよ」
 秋葉が降りると言った停留所は人気のない山奥にあった。にもかかわらず、ほとんどの人がここで降りるらしく、私はバスの中にぽつんと取り残された。そうなると断然心細くなり、自分でも逃げているだろうという秋葉の言葉も気になって、発車し始めたバスを止めてもらい降車した。
 ぞろぞろと連なって路肩を歩く人々の列の最後尾につけて歩く。
 その隊列はやがて、川越しに線路が見える橋の上で止まった。各々カメラの三脚などを準備し始める。紅葉に彩られた鉄橋を通る電車を写真に撮る団体だったらしい。
 秋葉も同様に、しょっていたリュックから三脚だのカメラだのをするすると取り出していた。
「ここから写真を撮るためだったんだ」
 声をかけると、秋葉はぎょっとした顔で振り返った。
「先輩っ!? バスを降りちゃ駄目だと、俺言いましたよね」
「え? だって、みんなここで降りたんだから何とかなるんだろ?」
「何言ってるんですか。俺を含めて、みんな今夜は泊まりですよ」
 じゃあ、私も泊まるよ。お金は持ってるし、時間はあるし、と言うと、めちゃめちゃ恐い顔で睨まれた。
「急に来て、泊まれると思ってるんですか? 民宿を確保するのに俺がどれだけ苦労したと思ってるんです?」
え~、じゃあ今夜、私、野宿かも?
「だって、秋葉が、自分でも逃げてたってゆーからさ、なんか気になっちゃって。理由を教えてもらおうかと思ってさぁ……」
 少し途方に暮れていると、今日だけ復活するという電車が鳴らす警笛が渓谷に響きわたった。
「先輩、ちょっとごめん。話は後で」
 そう言うと秋葉はカメラを構えた。
 一両編成で通り過ぎる玩具みたいなその電車は、色づく木々をバックに鉄橋の上を勇ましく進んでいった。
 健気なその勇姿に、まぁ人生何事も挑戦か? 初野宿も一興だろう。などと思い始めた頃、秋葉が振り返った。
「……先輩さえ構わないなら、俺と同じ部屋に泊まる?」
「え? いいのか?」
 私はきょとんとしていたと思う。秋葉の言い方が妙に挑戦的に聞こえたから。
「いいよ。でも俺は紳士じゃないからね。先輩のこと……めちゃめちゃに壊しちゃうかもよ?」
「……秋葉?」
 視線が交差する。
「本当は俺、高校の時から先輩のこと……」
「さては、この壺を割れる場所を知ってるのかっ?」
 同時に勢い込んで続けた私に、少し鼻白んだ様子で秋葉は眉間にしわを寄せた。
「先輩、俺の言ってることちゃんと聞いてました?」
 あぁ、聞いているとも。おまえもこの壺を壊したいんだなっ!
 首をぶんぶんと縦に振ると、秋葉はため息をついた。
 聞いてねーし。でも、まぁ人生何事も挑戦か? と聞こえたのは気のせいか?
 ともあれ、今夜こそ私は、この壺を木っ端微塵に割ることができるのかもしれない。
 高まる期待に胸を熱くしながら、私は、さっさと歩き始めた秋葉の後を慌てて追いかけた。

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