大江戸若鷹三姉妹

宗田 酔

 字の書かれた和紙の上にぽたりぽたりと粒が落ち、滲んだ円が広がっていく。
「ちょいと、お前さん何を泣いてんのさ」
 松の木の上から降ってきたいきなりの声に、縁側に座っていた青年はびくりとして顔を上げる。
 涙にくれた両の目に映ったのは、一羽の凛々しい鷹。
 周囲を見回し他に人が居ないことを確かめると、青年はがっしりとした足で枝を掴む猛禽を唖然として見つめた。
「乙女の足をそんなにじろじろ見るもんじゃなくってよ」
 金色の両目がじっとその青年、音二郎を見据える。
「た、た、た……、鷹がしゃべったあああああ」
 音二郎は正座を崩して慌てて立ち上がろうとするが、腰を抜かしたのか足は縁側をつるつると滑るだけで全く前に進もうとしない。
「お待ちよ、とって食おうってんじゃない、あんたの悩みを聞いてやろうっていうんだよ。幸い、私はそんじょそこらの人間様よりずっと頭がいいんでね」
「ば、化け物なのか。この家にもう不幸は要らない、出て行ってくださいっ」
「化け物じゃなくって、ちょっと賢いただの鷹だよ。それと私には美鷹って名前があるんだ、お前じゃなくって名前を呼んどくれ」
「み、みたか……、見たよ、見たから祟りなんぞしないでさっさとどこかに」
「まあ落ち着きなさいよ、若旦那。そんなに血相変えて仰天されちゃあ、せっかくの美男子が台無しじゃないか」
 美鷹は悠然と辺りを見回す。
「大きなお屋敷なのにだあれも居ないんだねえ。この庭だって、こんなに立派な松の木があるっていうのに、荒れ放題。不思議な家だと思って立ち寄ってみれば、何といい男がさめざめと泣いてるじゃないか。面食い美鷹様としちゃあ、これを黙って見過ごす訳には行かなかったってことよ。ねえ、こんなケチな鷹でよければ涙の理由を聞かせておくれ」
 青年はしばらく沈黙していたが、やがてぽつりぽつりみずからの境遇を語り始めた。
「私は大伝馬町で木綿を商う店の跡取りです。昨年母が病で亡くなってからというもの寂しくて何も手に付きません。父にも叱られるのですが、気鬱の病がひどく日々こうして母の書いたものを見ては溜息をつくばかりでございます」
「そりゃ、気の毒だったねえ」
「母の好きだった庭に他人が入るのも嫌で、庭師に手入れもさせずにこの体たらく。そのうち、人と話すのも億劫になってしまいました」
「それで人払いしていたんだね」
「母は引っ込み思案の私とは違って賑やかで人を驚かすのが好きな人でした。いつも私を仰天させては、楽しませて……、あっ、も、もしやあなたは母上様の生まれ変わりかっ」
「止しとくれ。恋人ならまだしも、母親代わりはまっぴらだよ」鷹は大きく首を振る。
「そうですよね」青年は深い溜息をついた。
「なんでお母様の書いたものを見ているんだい」
「急変を聞き旅先から駆けつけた私に、母は苦しい息の下で『私と思って聞いて』とだけ伝えてこと切れたのです。だけど何を聞くのか、母が何を言いたかったのかが皆目わかりません。ですから母が書いたものを読んで、何か手がかりが残されていないか探しているのです」
「ふううん、『聞く』ねえ」
「母は、音曲を聴くことが好きでした。お琴も三味線も得意でしたし、唄も上手だった」
 細面の青年は、寂しげに庭を見つめる。静けさを破るようにカコーンとししおどしの音が鳴り響いた。
「そう言えば、母が亡くなってから母の好きだった口広の陶器の壺が無くなっているのに気が付きました。その時には気にも留めませんでしたが、今となっては何か関係があるのではないかと気になって……」
「壺ねえ。ま、何とか力になれるように努力するよ、私はいい男の味方だからねえ」
 そう言うと美鷹は松の枝を揺らして飛び立っていった。

 しばらくして帰って来た美鷹は、二羽の鷹を連れていた。彼らは松の木の枝に思い思いに留まると、音二郎を見て一斉に騒ぎ立てる。
「お姉様、この方が例のうるんだ眼の君ですか」
「わ~~、愁いを帯びた白皙の美青年。この手の男大好物っ、食っていい? 食っていい?」
 今にも襲い掛からんと羽を広げた猛禽の鋭い嘴と爪を見て、音二郎は縁側から後ずさりする。
「お止め、舞鷹」
 美鷹の制止に、羽根を広げた鷹はぴたりと嘴をつぐむ。
「脅かして悪かったね、これが私の妹、貴鷹、舞鷹だよ」
「三羽そろって、みたか、きーたか、まいったか、ですか。これはまた……」
 おそるおそる坐った音二郎は、言葉を話す三羽の鷹姉妹に目を丸くしている。
「あたしたちは知る人ぞ知る大江戸八百野鳥の頂点に立つ正義の味方、若鷹三姉妹。いつもは闇に暗躍する悪党どもを相手に丁々発止の大鳥物だけど、今回は特別にあんたに力を貸してやる。で、お母様があんたに聞かせたかった音を探しているんだってね」
 貴鷹と呼ばれた鷹が音二郎に尋ねた。
「ええ、母が私に何を聞かせたかったのかすごく気になるのです。母は気弱な私をとても案じており、情けないことにその心配は的中しております」
 縁側に正座した音二郎が拳をぐっと握り締める。
「私は突然の母の死をまだ受け入れることができないのです。急に心に深い穴があいてしまったようで」
「恋すりゃ治るわよ、恋すりゃ、うがっ」端から茶々を入れる舞鷹に美鷹の蹴りが炸裂する。「乳離れできない子供にいきなり泡盛を勧めてどうすんのよっ」
 おほん。咳払いをして二羽を鎮めると、貴鷹が音二郎に話しかける。
「あたしは他の鷹よりも聴力が良くってね、皆がわからないような音も聞くことができるのさ。で、さっきからあたしの耳が何か奇妙な音を捉えてるんだ、それはとてもささやかで、とても澄んだ音……」
 貴鷹はいきなり飛び立つと、庭の片隅を旋回した。他の二羽もそれに続く。音二郎も縁側から下りて、雑草を掻き分け鷹達の導く方に歩みを進めた。
「ここは……」
 草むらと化した庭に埋もれるようにつくばいがあった。手水鉢には先ほどから音をたてているししおどしが備え付けられ、周りには小石が敷かれている。
「多分、音はこの辺りからなんだけどね」貴鷹が首を傾げる。「小さすぎて何処からかは……」
「私には、何も聞こえない」青年は深くため息をついた。
「ええい、辛気臭い。景気づけに、ひとっ風呂行きますかっ」
 美鷹が止めるのも間に合わず、無作法な舞鷹が手水鉢に飛び込んだ。
 ばしゃり、手水鉢の水が溢れて、辺りの石をぬらす。
 そのとたん。
 高い、澄んだ水音が次々と地中から立ち上ってきた。それは、柔らかい響きを持ち、不規則な間隔で奏でられる不思議な音の重なり。
 その音は傍らにさりげなく立てられた竹の筒の先から、より大きく漏れ出していた。
「菩薩の持つ錫杖の輪が奏でる楽の音の様だ」
 竹筒に耳を当てて、音二郎がうっとりとつぶやく。
「お母様が残されたのは水琴窟だったのね。きっと無くなった陶器の壺は、底に穴をあけられてこの地下に逆さまに埋められているんだと思うわ。地下に漏れた水が穴から滴って、壺の中で反響しこの独特の調べを作っている……」
 美鷹はそこで口をつぐんだ。
「母は形見にこの音を残してくれたのですね。常に変化しながら、美しい調べを奏でるこの水琴窟を」
 私も変わらなければ。音二郎のつぶやきを聞いて、美鷹がうなずく。
「ま、あんたほどの美男子だ。心機一転すればすぐに嫁っ子志願が押し寄せて来るに違いないよ、そうなれば……」
 その時、美鷹は青年が熱い視線を自分達に寄せているのに気が付いた。
「ありがとうございます、これからは皆様をお母様と呼ばせていただいてよろしいですか」
 冗談じゃないよっ、三羽は羽を広げるといっせいに飛び立って行った。

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