花ざかり咲きほこる花

朝森雉乃

 とある晴れた日、とある野原で、色とりどりの花々が、いっせいに咲きほこっておりました。美しく花開くには今日しかないとばかりに、タチツボスミレやアラセイトウ、ワスレナグサにハルジオン、名前を知らない花も、たくさん。その花から花へ飛びまわるのは、働き者のミツバチたちです。花の中にどんどんもぐって、みつをたっぷりお腹にためては、花粉をどっさり体にこすりつけるのでした。
 ピィスも、背の高いスカンポの花にしがみついておりました。みつはあまり採れませんが、独特の風味がピィス好みで、ついそのまま食べてしまいたくなります。
 でも、これは女王様から命じられたお仕事ですから、よこどりをするわけにはいきません。
 お腹がはちきれそうになるまでみつを飲みこんで、さあ、帰ろうと思った時です。いたずらな風が吹いてきて、ピィスの羽をさらいました。目の前がぐるぐるっと回転します。
「いたいっ!」
 思わず悲鳴を上げます。ピィスは地面に叩きつけられてしまったのです。そっと羽を広げてみると、左羽の付け根がずきずきと痛みます。これでは飛べそうにありません。
 ピィスは泣きそうになりながら、さっきまでみつを採っていたスカンポの葉の下に、ゆっくりと体を運びました。思ったとおり、すきまはひんやりとして、いい居心地でした。痛みがやわらぐまで、ここで休むことにしたのです。
 ところが、仲間の羽音と春風の歌を聞いているうち、自分でも知らなかった体の疲れがどっと出てきました。ピィスはいつの間にか眠ってしまったのです。はっと目を覚ますと、葉の下は自分の触角も見えないくらい真っ暗でした。
「やっと起きた」
 すぐそばから声がしたので、ピィスはびっくりしてついお尻の針を突き出しました。
「ごめんね、驚かせて。でも、こんなところでミツバチが寝ているの、めずらしいからさ」
 声の調子は、悪いことをする虫ではなさそうです。ピィスは針を隠して、おそるおそるたずねました。
「どなたですか?」
「あたしはリン」
 声がさっぱりと答えます。今まで聞いたことのない声、聞くだけで、まるでレモンの花のみつのようにさわやかな気分になれる声でした。それきりリンの声はしてきません。しばらくの間、リンもピィスもしゃべりませんでした。
 リンがしびれをきらして、少しとがった声で言います。
「あなたは?」
「わ、わたしはピィスです」
 ピィスは、リンが自己紹介を待っていたのに気づいて、恥ずかしくなりました。幼虫のころから友だちと一緒に育ってきたピィスは、初めて会う虫となにを話せばいいのか、よく分からなかったのです。
「ピィス。かわいくていい名前。ピィスね」
 リンに名前を呼ばれるたび、ピィスは元気をもらうようでした。ついうっとりとしていると、リンが「それで、働き者のピィスが、お仕事中に寝ていていいのかしら」といじわるなことを言いました。
「あっ、いけない! すぐに巣へ戻らなきゃ」
 ピィスは急いで羽を広げました。もうどこも痛みません。葉の下から出ると、外は月のしずくにひたっておりました。
「またここにおいでよ。今度はもっとおしゃべりしよう」
 リンの声が聞こえます。振り返っても、ついにリンの姿は見えませんでした。ピィスは夜空へ飛び立ちました。
 ところで、どうしてリンは、ピィスがお仕事の途中だとわかったのでしょう? ピィスは不思議に思いましたが、今は、巣で待つ女王様のところへ戻るのが最優先でした。

「どこへ行っていたのピィス!」
 巣につくなり、大声が飛んできました。ピィスが首をすくめて見上げると、みんながピィスの方を見ています。
「ごめんなさい。転んで、うまく飛べなかったんです」
 ピィスが言いましたが、みんなはわっと羽を鳴らします。
「まったく、この子は言い訳なんかして」
「そんなことになるバカがありますか」
「仕事をなんだと思っているんだい」
 とぼとぼと女王様の部屋を目指すピィス。その間、きつく叱られつづけて、すっかりしょげかえりました。きっと、女王様からもお叱りを受けるにちがいありません。
 ところが、女王様はいつもと変わりませんでした。
「ピィスね。今日はどのみつを採ってきたのかしら」
「はい、スカンポのみつです」
「そう。美味しいみつにしてくださいね。さあ、貯蔵室へ」
 普段どおりのやりとりのはずなのに、ピィスはどうにも不安になりました。そこで、勇気を振りしぼって、今日は少しおしゃべりをしてみようと思いました。
「あの、今日はけがをして、遅くなってごめんなさい」
「そう。大変だったのね。みつをためておいてちょうだい」
「けがをした時に、知らない虫に会って」
「ピィス。貯蔵室はあっちにあるわよ。忘れたのかしら」
 女王様の声はまるでかたい石灰石のようで、ピィスのことなんて、どの複眼でも見ていないようでした。やはり、女王様は怒っているのでしょうか。
 足取り重く入った貯蔵室では、みんなで集めたさまざまな花のみつがとろとろと輝いています。その上にお腹のみつをはき出して、羽で風を送って乾かしながら、ピィスはリンのことを思い出していました。いったい、あんなにすてきな声の持ち主は、どんな虫なのでしょう?
 ピィスは明日も、スカンポのみつを採ることにしました。

「やあ、ピィス。そろそろ来てくれるって思っていたんだ」
 スカンポの葉の下にもぐるとすぐ、昨日と同じ声がしました。そこにいたのは、真っ黒な体で大きなあごの虫です。
「おはよう、リン。あなた、クロオオアリだったのね」
 ピィスもアリのことなら知っています。自分と同じように、女王様にお仕えする働き者です。昨日、ピィスのことを仕事中だと見抜いたのも、リンが働きアリだからだとわかりました。でも、そうすると、当然の疑問が浮かびます。
「リン、あなたもお仕事の途中ではないの?」
 ピィスがたずねると、ゆかいな笑い声が返ってきました。
「うふふ、もちろん、仕事中。でもね、さぼっているんだ」
 さぼっている! ピィスはひっくり返りそうになりました。さぼっている! 信じられません! 羽をばたつかせるピィスを見て、リンはなだめるように言いました。
「ときどきこうやって、さぼっているの。女王様は気にしていないらしいんだ。砂糖のかけらをとってこようが、なにもとってこなかろうが、『そう』のひとことでおしまい。まあ張り合いがないったら」
 リンの話は、なんだかピィスにも覚えがあるようでした。女王様はいつも伏し目がちに座っていて、その表情は……うまく言い表せません。ピィスは羽を一振りしました。もしさぼったら、女王様はなにをおっしゃるのでしょうか。
 いやな考えを振りきれませんでした。
 うなだれたピィスの触角に、リンの触角がちょんとくっつきました。顔を上げると、リンはにっこり笑っています。
「ごめんね、また驚かせて。でも、そんなにしおれないで」
 リンの声は、出会った時と同じようにさっぱりとしていました。触角の先から、リンの気持ちが伝わってくるようです。ピィスも、リンと一緒ににっこりと笑いました。
 それから、ピィスとリンはスカンポの葉の下でおしゃべりをしました。好きなみつの味のこと、小さいころ巣の中で迷子になった時のこと、ぜんぜん働かないオスのこと。色々な話をしていると、あっという間に日が高くなっていきます。なにせリンの声は、レモンの花のみつのように、さわやかで、甘くて、ずっと聞いていたくなるのですから。

「ねえ、ピィス、働くのは好き?」
 唐突に、リンが言いました。
 少しだけ、スカンポのみつのように酸っぱい声です。
「もちろん、大好き。大好きだよ、リン」
 ピィスが答えます。それきりリンの声はしてきません。しばらくの間、ピィスもリンもしゃべりませんでした。
 ピィスが、しびれをきらして言います。
「リンは?」
「あ、あたしだって大好きだよ」
 吹いた春風にまぎらせて、リンがか細い声で答えました。ピィスがくすくす笑います。そして、リンの触角に自分の触角をくっつけました。
「さぼっているくせに」
「好きだからさ」

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