獺の壷

樹莉亜

 その町には、奇妙な生き物と、一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

 その壷を古手屋に持ち込んだのは獺(かわうそ)であった。身の丈の半分以上もある大きさの壷を抱えた姿は、獺が壷を持っているのか壷が獺にくっついているのか、わからないくらいだ。
 古手屋は、古着や古道具の売買を生業としている。獺は川底から拾ってきたという壷を前に得意満面で、「これを着物と取り替えろ」と言う。壷はどこにでもあるような常滑焼のもので、しばらく川底にあったのだろう。小貝や藻がこびりついたままになっていた。
「こんな壷じゃぁ、とても買い取れやしないよ」
 古手屋の狸親爺は渋い顔で茶をすすり、饅頭を獺に勧めた。
「まぁ見てなって。この壷はそんじょそこらの壷とはわけが違うんでぃ」
 獺はもらった饅頭を壷の中に放り込んだ。
 しかし古手屋が壷の中を覗いても、今し方入れた饅頭が一つ、底に転がっているだけだった。
「何が違うってんだい? なんにも起きないじゃないか」
「まぁ、待っておくれよ」
 獺は床几(しょうぎ)に腰掛けると、短い手(前足)で器用に己の腹の毛をつくろい始めた。仕方なく古手屋も茶を飲みつつ待ってみる。何しろ獺の他に客もなく暇だったのだ。近頃傘屋は娘らしくなったとか、猫又のおタマは長屋の浪人に岡惚れしているようだとか、何気ない世間話をしている内に獺が頃合いだとばかりに壷を両の手に持って傾けた。
 ころころと、饅頭が四つ転がり出た。
「ほぅ!」
 古手屋は驚きのあまり、茶色いふさふさとした耳と尻尾が出ている。
「親爺、しっぽ、しっぽ!」
 獺の指摘に化け狸の古手屋は慌てて尻尾を着物の裾に隠した。別に獺以外の誰が見ているわけでもなかったが、化け狸の信条として人の姿を保っていられないのは恥ずかしいことであった。
 獺は増えた饅頭を古手屋に渡して得意げに鼻をひくひくと動かした。
「どうだいすごいだろ。この壷に入れとくと、饅頭だって沢蟹だってどんどん増えるんだぜ」
 古手屋は満面の笑みを浮かべ、言ったものだ。
「よござんしょ。そういうことなら着物でも何でも好きなだけ持っていきな」
 獺は嬉しそうに円らな瞳を輝かせキュウキュウと甲高く鳴いて礼を言うと、早速吊してある古着を物色し始めた。茶と鼠色ばかりの中から、朱色の地に白く麻の葉模様を染め抜いたものを見つけ出し、
「それじゃこいつをもらってくよ」
 と、言うが早いか女と見紛うばかりの美少年に化けた獺はその場で着物を纏って意気揚々と帰っていった。大方、また橋の下辺りに立って後家か坊主でも誘い込む算段なのだろう。
 古手屋は増えた饅頭を頬張りながら、とっておきの一分銀を壷に放り込んで、にんまりとほくそ笑んだ。

 一晩経ってみると、一分銀は壷いっぱいに増えていた。古手屋は思わず尻尾を振って喜び、慌てて尻尾をしまうと誰も見ていないことを確かめ、壷の中の銀貨を木箱に移すと、壷と共に店奥の押入にしまい込む。壷にはまた一分銀を一枚入れておいた。
 翌日も、その次の日も、古手屋は増えた銀貨を木箱にしまい、壷には一枚だけ戻すということを繰り返し、木箱は既に三分の二程が銀貨で埋まっていた。古手屋は木箱がいっぱいになったら、何か値の張る物を仕入れようという心積もりであった。
 その日も古手屋が銀貨を箱に移しているところだった。突然、獺がやってきて、切羽詰まった様子で丁度空になっていた壷の中に入ってしまった。驚いたのは古手屋である。
「おい、獺や。何だってそんなところに入るんだ」
「匿っておくれ。おいら追われてるんだ」
 獺は壷口からちょこんと顔だけ出して、懇願するような目で古手屋を見上げている。
 狸親爺は仕方なく、獺の入ったままの壷を押入に戻し、店表に出た。すると間髪を入れず人相の悪い男がやってきて、「怪しい小僧を見なかったか」と訪ねてきた。「見ていない」と答えても、男は疑り深く、「店に入っていくのを見た」と言い、「間男を隠すと為にならないぞ」と、古手屋に凄んでみせる。
 男の脇には艶っぽい態(なり)の年増が控えていて、おそらく人を化かすつもりで近づいた獺が、逆に美人局(つつもたせ)に引っかかったのだろうと容易に想像がつく。
 店の外にまで響く声で怒鳴り散らす男の様子に裏長屋の面々も何事かと覗きにくる。古手屋は騒ぎを収めたい一心で男に五両ばかり握らせた。勿論、まやかしの金であったが、二、三日は騙し通せる代物である。
「今日のところはこれで勘弁してやってください」
 狸親爺は愛想笑いを顔一面に貼り付けて、美人局を追い返した。やれやれ、これで獺を壷から出せると押入から引っ張り出し、獺に呼びかける。
「追ってきた連中はあたしが話を付けといたから、とっととそこから出てきておくれ」
「ありがてぇ。恩に着るよ古手屋」
 獺は長い胴を壷の中でひっくり返しながら礼を言って、いざ出ようと顔を出したがそれ以上出ない。
「早く出てきておくれ」と、急かす狸。
「待っておくれよ、何か絡まってるんだよぅ」と、困り顔の獺。見れば何故だか手足が多い。一度引っ込めた顔をもう一度出そうとして鼻先だけが二つ、壷の口から見えたところで古手屋は悟った。
 増えたのだ。
「こりゃ大変だ。お前さん早くそこから出ないと中でどんどん増えちまうじゃないか!」
 慌てた古手屋は長屋のからくり職人のところへ駆け込んだ。何とか壷を壊さずに獺だけを引っ張り出す方法がないかと訊ねたが、流石の彼もそんなからくりをすぐには思いつけないと頭を抱える。からくり職人の女房などは「さっさと壷を割ってしまえ」と言うが、古手屋としてはそれは避けたい。とはいえ理由を明かせば泡銭(あぶくぜに)を独り占めできなくなると思い口には出来ない。そうこうしている内に獺は二匹が四匹に増え、益々ぎゅうぎゅう詰めで苦しそうだ。
「助けておくれよぅ」
 と、獺は哀れな声でキュウキュウと泣き叫ぶ。
「獺と壷と、どっちが大事なんだい」
 ついに女房の方が痺れを切らして、すりこぎで壷をぱりんとやった。忽ち飛び出した獺は四匹いたと思ったのに一匹に戻っていた。
 首を傾げつつも獺の無事を喜ぶ職人夫婦に挨拶もそこそこにして、古手屋は大急ぎで店の奥に戻ると銀貨を入れていた木箱を引き出す。
 獺が元に戻ったということは、もしやと思ったのだ。
 果たしてその通り、銀貨は最初の一枚を残してきれいさっぱり消えてなくなっていた。
 古手屋の落ち込みようは大変なもので、その日は一晩中、嘆き悲しむ狸の鳴き声が辺りに聞こえていたという。

 それ以来、夜中にその店の前を通ると「つぼが、つぼが」と嘆く恐ろしげな声が聞こえるのだと噂になり、時折よその町から肝試しの若者が来ては、大きな壷に化けた狸に驚かされるという事件がしばらく続いたという。


おわり。

 

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