東雲の空

斑鳩

 大永六年(一五二六)冬のある夜、孫次郎は軒先から空を眺めていた。年齢のわりに大人びてはいるが、どこかやはり幼さを隠しきれない両のまなこに、これはもう誤魔化しようがない赤らんだ頬。立ち竦んだまま天空を見上げる姿は、年輪を重ねてはいない者特有の佇まいで、歳相応のあどけなさを感じるものの身体だけはでかかった。
 底冷えの厳しい寒さを忘れてしまうほどに、視界を領する満天の星空が今までの煩悶を綺麗に洗い流し、孫次郎は独り決意を固めた。静かに目を閉じ、猿の毛皮で装飾した「靫(うつぼ)」を握る手に力を込めた。

 翌日、鎧岳城内は戦に備える喧騒の直中にあった。豊後国の守護職である大友家に対し、因縁浅からぬ中国地方の大内義興が挙兵したのは、正月も明けて間もなくのころだった。
 孫次郎は朝から気分が優れない。一晩寝て目覚めたときには、昨日の決心が嘘のように雲霧散していて、自分の存外に心弱きことに辟易しながら、その心を第三者のように傍観していた。
 まわりの騒ぎが、まるで自分とは違う世界で起きていることのように感ぜられる。
 孫次郎この時十四歳。その若すぎる心に受けとめるには、些か重すぎる思いの渦中にあった。
 さて、この若者の懊悩を理解するには、彼の出生まで遡らねばならないだろう。
 永正十年(一五一三)三月十七日、大友家の庶流である豊後の国は鎧岳城主、戸次親家の嫡男として孫次郎は生まれた。幼名は八幡丸。
 生後間もなく母を亡くした孫次郎は、継母に育てられることとなる。
 どこまでも他人行儀な継母であった。
 けっして邪険にされたとか、辛くあたられたとかではないが、孫次郎は見えない壁のようなものを常に感じながら幼少期を過ごしたようだ。
 ただただ継母の気を引きたい一心から、彼はよく問題を起こした。
 とくに喧嘩沙汰は日常茶飯事で、そんな時、病弱な父になり変わって孫次郎を窘めたのは、決まって戸次家家臣団の一人、老練の武士安東家忠であった。
 孫次郎は、なにかにつけて口煩いこの男が嫌いだった。
 しかし今回は、この融通のきかなそうな男に頼らなければならないのが一つ目の躊躇の原因で、その長年風雨にさらされて、岩のように固まってしまったのかと思われるほどに厳つい相貌を脳裏に浮かべただけで、孫次郎は身震いしてしまう。
 だが継母の愛を得たいという欲求が今の彼を突き動かしている。間もなく元服を迎えるその前に、せめて継母の優しい一言が欲しかった。童のように無邪気に甘えたりはもうできない。ただこの先、原点に立ち戻るときに思い返せるたった一言が。
 しかしながら、躊躇の要因は他にもあった。先日病床の父を見舞った折、その力無い黒目の奥に、これはもうどう仕様もないほどに確実な死期を感じとってしまったのだ。
 思えば死はいつでも身近にあった。
 物心つくまえに、すでに亡くなっていた生みの母。
 戦ともなれば、たくさんの死者が出た。
 よく独楽回しを教えてくれた小姓は、戦場から死体となって帰ってきた。
 逡巡に暮れながら往来を歩いていると、安東家忠が二つ先の辻を曲がって行くところが目にはいった。
 その行く先は城である。十中八九軍議に参加する為に登城するのであろう。
 孫次郎は決意も定まらぬまま、慌てて走った。

「それで、某に何用ですかな」
 安東の目はあからさまな怒りに満ちていた。
 それはそうであろう。大切な軍議に赴く途上である。所用で呼びつけていいタイミングでないことは、嫡男であれば身に徹して知っていることである。
 知った上で敢えて呼び止めた。
 それがわかっているから安東もあえて応じた。しかし腹に据えかねていることに違いはない。
 意外に思うかもしれないが、安東はこの少年のことが好きだった。実の息子のように思っていたと言っても過言ではない。それ故に辛く当たることも多かったが、良き当主となると期待してのことである。もちろん安東自身は、そんな想いをおくびにも出さない。
「安東は弓を使ったな」
 暫しの沈黙の後、孫次郎が切り出した言葉はそれだった。安東の弓上手は、鎧岳城内では有名であった。
「如何にも。それで」
 先を促すと同時に、くだらない用件なら唯ではおかないという気迫が語尾に滲んだ。
「これをその方に使ってもらいたい」
 傍にあった風呂敷包みを解くと、中から現れたのは猿の毛皮で装飾された靫であった。
 靫とは矢を携行するときに使う筒状の道具で、通常背に負うて使用する。
 なぜ弓や矢ではなくて靫なのか。などと安東は聞かず、代わりにさめざめと涙を流した。

 居並ぶ諸将の前に、安東に伴われた孫次郎が現れたのはその半刻後であった。
 みな歴戦をくぐり抜けた戦人の顔である。
 だか孫次郎はそれに気圧されることなく高らかに宣言した。
「我が父上の名代として出陣いたす」
 場内は湧き、安東は胸のすく思いだったであろう。靫は、『この背をお主に任せる』の意であった。

 翌早朝。安東をはじめ、三人の老臣と二千の兵を与えられた孫次郎は 馬ヶ岳城を望む丘の上にいた。
 北からの風が強く吹いていた。
 出陣を前にしても、ついに継母は母らしい言葉をかけてはくれなかった。孫次郎の表情は薄闇に紛れて伺い知ることができない。
 やがて来る開戦の瞬間を前に、孫次郎の緊張感は、まさに極限に達しようとしていた。
 コツコツと馬蹄を鳴らしながら近づいてきた安東が、孫次郎の背中をはっしと叩いた。
「儂がついとる」
 もちろんこれは、心配などするなの意である。
 安東は叩いた右手を孫次郎の背に添えたまま、左手で東の空を指し示した。
 紫に染まる東雲から徐々に朝日が現れ始めると、陽光が立ち並ぶ槍の穂に反射してきらきらと輝いた。
 孫次郎は身中より湧き出でる熱い感覚に打ち震えた。戦場での高揚感が、ついには継母への想いを凌駕した瞬間であった。

 この後、孫次郎は兵力差三千を物ともせず大内軍を撃退し凱旋した。
 そしてその年の内に父は死に、家督を相続することとなった。
 元服して戸次鑑連(べっきあきつら)と改名した後は、生涯三十七度の戦に全て勝利し、鬼道雪と呼ばれ怖れられた。

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