誰も知らない村

ラングロング

その日といつものとおり、シンバは見晴らし台から村の外を眺めていた。
山あいの、交易路から遥か遠く離れた集落であった。旅団など訪れることなどあるわけもなく、人の往来から隔離されたようなところで、たまに来るのは道に迷ってはぐれてしまった旅人だけだ。それも、シンバが物心ついてからは記憶が無いほどである。そのくらい、外界と遮断された村であった。
だが、その日はいつもと違った。遠くに人影を見つけたのである。
それを触れ回りながら、村の家々の隙間を走り抜け、村と外とを隔てる門までたどり着いた。シンバの後ろには、村中の男衆が控える状態になっていた。その時には人影が、門からでもわかるくらいに近づいていた。
旅人は本当に一人きりであった。薄汚れた布を全身に巻きつけ、頭にはターバン、顔にも布の垂らし、露出しているのは鈍く光る目くらいであった。そんな旅人を、村の首領であるシンバの父が集落の広場へと迎え入れた。
旅人は旅芸人。蛇使いであった。
村中の人が広場に集まる。シンバはもちろん最前列に陣取って、蛇使いを物珍しいげに見つめていた。
布の裾から骨と皮しか無いような、妙に指の長い足が出てきた。その足の裏で、黒い何かで編まれたカゴを挟み、懐から取り出した笛を、袖口から覗く、やはり骨張った長い指の手で構え、おもむろに布で隠された口へとあてがった。
そもそもこの村には楽器がなかった。音楽というものそのものが乏しいのである。初めて聴く音で奏でられる曲。笛だけの単調ともいえる曲ではあるが、ここではそれでもあまりにも珍しく、シンバはいつの間にか自然と体をゆらゆら揺らしていた。
蛇使いと目があった。笑っているような、柔和な眼差しに見えた。嬉しくなって立ち上げ、曲に合わせて踊り出した。
カゴの蓋がカタカタ動き、小さな何かがひょっこり出てきた。赤い舌をチロチロ出し、辺りとシンバを伺っていた。それに気づいたシンバは、曲は続いていたが踊りをやめてそちらを凝視した。
ゆっくりと蛇が姿を現した。
シンバは口をぽっかり開けて、ぽかんと蛇を見た。見たことのない、ただ細長いだけではない形をしていたからだ。蛇はシンバを見据えるように、舌をチロチロさせていた。
曲調が替わったと同時に、蛇はゆらゆら踊り出した。呆然としているシンバを後目に、広場中の注目の的になっていた。しばらくその技に惚けていたシンバであったが、ついに一緒に踊り出した。こんなに楽しいことは、生まれて初めてだった。
やがて曲が静かになり、蛇はカゴへと戻っていく。シンバもぐったり疲れ果て、その場にへたり込んだ。
喝采と賞賛の入り交じった歓声が広場に溢れた。四方八方からお捻りが飛んできて、しばらくは食うに困らないほどのものが、シンバと蛇使いの前に積まれた。
首領と取り巻き、そしてシンバは蛇使いを、是非なと誘い、村一番の屋敷であるシンバの家へと招いた。そこで宴が開かれ、蛇使いは再び技を披露し、豪華な食事が用意された。シンバも蛇と一緒に舞い踊り、いつもよりも多くご飯を食べた。
食事も終わりに差し掛かった頃、シンバは父にそっと耳打ちをした。父はそれに頷き、満面の笑みで返した。シンバも父以上の笑顔を浮かべた。
寝床は此方と蛇使いを案内する途中でシンバの望みを伝えた。蛇使いは無言で首を振り、断った。そうか、と父は踵を返し、自分の寝所へと向かった。蛇使いは首領の取り巻きである一人に促されるままに、夜の闇へ溶けていった。
翌朝。
父は息子の所望していたものを、息子であるシンバに手渡した。笛とカゴである。シンバはそれを手にして、これ以上なく喜んだ。
蛇使いにお礼をしたいと、シンバは父に懇願した。しかし父は首を振る。今朝早く、すでに遠くへと旅立ってしまったと。シンバに一瞬淋しげな影が落ちたが、すぐにいつもの明るい様子に戻り、父から受け取った笛とカゴを手に、外へと駆け出していった。
いつもの見晴らし台である。この村に続く道は、一本しかない。蛇使いがやって来た、そして去って行ったであろう方を向いて、シンバは大きく叫んだ。お礼と別れの言葉を。そしてそこで、蛇使いから譲り受けた笛を、昨夜見たように見様見真似で口に咥えた。
曲は出ない。
昨日聴いたような、複雑な音階どころか、音が全く鳴らない。響かない。シンバは何度も笛を咥えた。やはり何も出ない。
息を吹き込んでみたが、スースーと駄々漏れするだけ。指も動かしてみたが、やはり鳴らない。吸ってもみた。息を止めてみた。口に咥えたまま、歌ってみた。鼻の頭につけてみたり、穴にも入れてみた。蛇使いの、布で隠された顔でできそうな思いつく限りのありとあらゆることを試してみたが、曲どころか音すらならなかった。
カゴの蓋を開けてみた。空っぽだった。蛇は入っていなかった。ただ、編まれた何かが所々毛羽立っているように見えただけである。
スーッと、笛とカゴ、そして蛇使いへの興味が、シンバの中から急速に薄れていった。
見晴らし台からいつものように村の外を監視する。日が暮れたら家に帰る。いつもと変わらぬいつもの日常。置いた笛とカゴは、持ち帰らなかった。
風が鳴く。シューシューと、まるで大気が擦れるような音が、村の一角から響いてきた。見晴らし台からである。それが風ではなく、蛇の所業であった。威嚇の音かシューシューと、無数の蛇が見晴らし台を伝って集落へと降りてくる。そして誰にも気づかれることなく、村を飲み込んだ。村人全ての首に巻き付き、声も出せないうちに締め上げていた。
シンバは夜中に目が覚めた。小用は、夜は近場の屋敷の裏手で済ましているのでそちらへ回った。何かが足に当たった。月明かりに目が慣れてくると、昨日村を離れたと聞かされていた蛇使いがいた。倒れて。
声をかけようと体を低くし手を伸ばすと、何かが腕に絡みついた。
蛇だった。
一匹ではなく、無数の蛇がシンバを取り囲み、首だけでなく体に巻き付き、締め上げた。いつしかシンバから抗う力は消えていき、ただ蛇が絡みついた物体となっていた。やがて蛇が一匹、また一匹とそこから解かれるように離れ、シンバだった足下に自ら一つに小さく寄り添い、絡まり、編まれ、いつしか黒いカゴになった。その傍らには、蛇使いの笛が転がっていた。
小さくふっくらした手が伸び、笛を拾いあげた。シンバの手だった。
だがそれはすでにシンバではありえない。体はシンバであったが、中身はシンバではなかった。シンバではないシンバは、おもむろに笛を吹いた。細く甲高い笛の音が響いた。
シンバだったものの耳の後ろあたりから、髪の筋ほどの小さく細い蛇が、おっかなびっくり様子を伺う仕草で現れた。シンバだった肢体に促され、シンバであるその蛇は、促されるままにカゴに収まった。
シンバの身体を確かめるように、手を握り、足を踏みしめ、そしてカゴを拾った。歩けることを確認しながら、館に入り、もう一昨日に広場で受け取ったお捻り以上の金品を最小限の荷物にまとめた。
村の門まできた。
手にしていたカゴの蓋が開き、小さな蛇は村をみた。月明かりに照らされた小さな人影は、何の感慨もなく、蛇使いとして村を去る。
村からは、蛇も、人も、旅人も、そして村さえも、全てが去っていった。

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