凝り性でお困りの貴方に

七瀬 亜依香

「あなたの肩こり、私に売ってくれませんかね?」
 突然部屋に現れた狐目の男はそう言って、口の端を上げた。


 四畳半に本棚を無理やり押し込め僅かに出来た隙間に板を渡して机代わりにした俺の城。居場所の定まっていないありとあらゆるものが散乱する床にいつスペースを開けたのか、久方ぶりに見るフローリングの上に立った狐目の男は帽子を取って、深く一礼を決める。それはこのごった煮の空間にはあまりにも似合わない優雅で慣れた動作だった。
「挨拶もまだでしたね、これは失礼。とても厄介な肩こりをお持ちのようでしたので我慢できず、つい」
 大仰な腕の振りで定位置に戻る帽子をつい目で追って、ようやくこの奇妙極まりない珍客の第一声が脳みそまで達した。けれどそれで納得出来るかというのはまた別問題で。 
「は?」
 結果、俺の喉から飛び出したのは単純かつ簡潔な音。そこに乗った多くの疑問を、言葉にするにはまだ時間が足りない。
 目の前の男は月のような目尻を更に細めて、俺を見る。瞼の奥の目玉が確かにこちらを向いてることを感じ取り、肌が粟立った。
「了解も得ずの訪問と先ほどの不躾な態度をお許しください。ですが今しがた申し上げた通り、あなた様は大変厄介な肩こりをお持ちのようで。それをこの私めに売っていただきたいんです」
「……はあ」
「おや、これは失敬。こちらの世界の約束事には何分不慣れなものでして。つい行き慣れた世界のしきたりで話してしまう」
 言ってることは半分も理解できない。浮かべている笑顔は胡散臭いことこの上ない。それでもこの得体のしれない侵入者を追い出そうという気にはなれなかった。歌うような語り口調に知らず興味をそそられていたからかもしれないし、降って湧いた非日常を手放すのは惜しいと好奇心が判断したからかもしれない。
「口で説明させていただくより、実際にお見せした方が判りやすいかもしれませんね。そういうのをこちらでは何と言ったか……そうそう『論より証拠』」
 言葉は止まらぬまま、狐目の男はスーツの懐に手を入れてごそごそと探る。やがてそこから出てきたのは、S字に曲がったプラスチックの棒。真ん中辺りにグリップがあり、山なりに進んだ両端が丸く球体を成しているそれを俺はついこの間ドラッグストアで見た。
「孫の手?」
「ご明答。いやあこちらの世界は空気が全く美しくはありませんが技術の進歩には目を見張るものがありますねえ特にこの器具は実に良い何がいいってそりゃあ」
 唐突なお道具自慢は右から左へ通り抜けていくだけ。というか、スーツの身頃より長いそれをどうやって懐に収めていたんだ。
「……おや、これは失礼。この世界の人にこれを自慢するのは恥ずかしながら初めてだったもので、つい」
「はあ」
「では、始めましょう」
 言うが早いが、狐目の男は足を一歩踏み出した。瞬間、長い目尻が眼前まで迫り反射的に後ろへ引き下がる。背骨に机の縁がぶつかる感覚がダイレクトに伝わってくる。
「ツボ、というものをご存じでしょうか。ありとあらゆるものにはツボがあります。それは気の溜まる場所ともエネルギーの通り道とも言われる場所です」
 狐目の男は視線を俺の腕へ移す。孫の手を持たない方の人差し指がその名前通り筋を差し示しながら、ゆっくりと腕を滑って肘を通過する。
「体内には血管と筋肉と骨、そして非常に細いエネルギーを行き渡らせるための通路が張り巡らされています。それは可視することは叶わぬほどささやかな存在でありながら、ありとあらゆるものに共通する絶対項」
 肩まで達した指に軽く身体を押される。たったそれだけで俺は机に身を預けねば、座っていられなくなってしまった。まるで全身から強張った力だけ抜き取られたように。
 日の差しこまぬ部屋の中で、その人差し指だけが嫌に青みがかった白色に浮き上がって見えた。
「そして身体が不調になれば、エネルギーの流れは鈍る。流れがせき止められてしまえばそこに澱んで溜まってしまうのは自明の理」
 肩に再び手が触れる。服越しに伝わる温度の低さに心臓が震えた。五本の指が順に同じ軌跡を辿って肌を這う。撫でられてもいない背筋が伸び切ったように何かが駆け上がっていった。
「その澱んだエネルギーはいつしかその場所に定着し結合する。まあ言ってみれば、これが『こり』の正体となりましてね。そこまで進行すればそれを完全に取り除くことは大変難しい」
 机に腕を投げ出して天板に頭を預ける。いつ体勢が反転したのかという疑問は泡のように儚く弾け飛んでいた。背中を見つめられながら、男の目が三日月を描く様子が鮮明に脳裏に思い浮かべられた。
「しかし私の馴染みの世界には、ああこことは違う世界ですよ。その『こり』を取り出す方法があるのです。それが『結晶化したエネルギーをそのまま取り出す』ということ」
 肩甲骨を見つけた指がその周辺をぐるりとなぞる。デスクワーク故にあまり動かす機会の無いそこの筋肉は、鈍ったまま硬直している。それなのに神経は鋭敏で、何かを探り当てるような手つきに神経が逆立つ。
「……ああ、ここですね。では身体を楽にしていてください」
 やがてある一点に止まった指が離れ、代わりに丸みを帯びた感触が伝わる。それがさっき見た孫の手の先端であることを霞みがかる意識の中でぼんやり悟った。
 強く押される衝撃は一瞬。その後で皮膚から何かが零れ落ちるさざめきの方が糸引くように感覚として残った。
「おお、出てきた出てきた。いやあ予想以上に沢山ありましたねえ」
 空洞が出来たような喪失感とそれ以上の身体の軽やかさと、今にも踊り出しそうに浮き立つ声が振り返るための原動力になった。視線を向けた先で狐目の男は既にこちらを気にしておらず、どこから取り出したのか素焼きの壺に一つ二つと何かを放り込んでいた。
 夕焼けの時間のみ窓から差しこむ西日が、狐目の男が手にしたものを照らす。それは一見すると宝石のようで、しかし本物と決めるには光の反射具合は単一だ。昔屋台で売っていたおもちゃの宝石に似ていると錆付いた記憶を掘り起こして思った。
「これがあなたの肩こりの原因、エネルギーが澱み結晶化したのを可視化したものです。綺麗でしょ?」
 差し出されるまま、小ぶりのものを一つ受け取ってしげしげと眺める。天井で軋みながら揺れる電球で見やるまでもなく不純物を一切含まずただ透き通った結晶は、本当に俺の身体に埋まっていたものかどうか疑わしい。いや、それを言い出したらこの男の存在自体夢のようなものだ。
 しかし現実にあれほど悩ましかった肩こりは綺麗さっぱり消え失せ、この結晶は今俺の手の中にある。
「熱心にご覧になってるところ大変恐縮ですが、その結晶はしばらくするとまた皮膚に取り込まれてしまいますので、出来ればご返却いただきたく」
「あ、悪い」
 我に返って再び差し出された手に結晶を返す。狐目の男はそれも腕に抱いた壺の中へ入れ、満足そうに歯を見せて笑った。
「それではまたご贔屓に」
 狐目の男は一寸狂わず同じ動作で礼をする。目を閉じて開けて、そうするともう部屋の中には俺一人だけだった。


「……返却も何も、元は俺のもんじゃねえか」
 夢か現か幻か、そんな一日の最後に思い至ったことは案外小さな言いがかりだった。


Fin.

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