虹引きし鳥、楽園の檻

ヤマダ

 真っ青な空には縦に伸びた一筋の雲がぽつんと浮かんでいる。下に向かうに従って細くなる形は竜巻によく似ているが強い風も木々が揺さぶられる音もなく穏やかな陽気だ。
「この島では竜の息吹なんて呼ばれているんです。外から見ると伏せた竜に似ているそうで、かつて勇者が倒した竜がこの島になったなんて伝説もあるくらいなんです」
 おとぎ話もいい所でしょ。頑丈そうな石造りの家の中、笑う娘とは逆に雲医者は興味深げに素焼きの壺を眺めていた。竜の首に剣を突き刺す者と背の上に暮らす人々が描かれたこの壺は、島の名産だけではなく伝説の語り部として古くから作り続けられているのだ。
「竜の息吹が上がりしとき、大地は揺れ海は高く踊るであろう。実際はただの地震雲なのに、昔の人は面白いことを考えたものです」
 震源で岩盤が壊れることで発生する電磁波の影響で作られる不思議な形の雲は、地震の訪れを知る手がかりであり島民が地震や津波から身を守る助けとなっているのだ。
 雲医者が少女に呼び止められたのは、瑞々しい果物から陶器や織物などの名産品の極彩色で溢れかえるバザールでのことだった。大海原にぽっかりと浮かぶ離れ孤島に訪れる者は少なく、旅の足であり友であるハシリガラスの背に荷を積み立ち並ぶ露店を見て回る彼女の姿は目立つはずだ。ましてや褐色の肌に黄金の瞳という一目で異国の者と分かる容姿、そして左目を口に見立てて彫られた唇を模した深紅の刺青は嫌でも人目を惹き付ける。
 さっと地面に虹の影が落ちてくる。窓の外を見上げると、黒い体に虹色に煌めく透明な尾羽を風になびかせて大きな鳥が空を渡るのが見えた。
「あれが有名なニジヒキドリね」
 ゴクラクチョウの仲間であるニジヒキドリはこの島にしか生息しない珍しい鳥だ。額から触角のように伸びた飾り羽と長い尾羽はガラスの様で、光を通すと虹色の影を作る。
 そして豊かな自然に恵まれ、「竜血」と呼ばれる地下から採掘される液体燃料の輸出によって経済も潤ったこの島こそが楽園なのである。

「それで、どうしてこの幸福な楽園から連れ出して欲しいなんて私に言ったの?」
 娘は一瞬躊躇った後、雲医者を真っ直ぐに見つめる。
「私を含め、この島の者は島から外へ出ることもなく一生を過ごします。外の世界の情報はほとんど入ってきませんし、島での暮らしには何一つ不自由なく、外のことなど気にならないくらい皆幸福に暮らしているからです」
 その空気は雲医者も感じ取っていた。外の世界から島へとやってきた彼女を気にしながらも、島の外の話を彼らは聞いてこなかった。この地に降り立った時、島の長から島民と関わることを控えるように言われてはいたが、買い物の交渉以外に話しかけてこなかったのは彼らが外の世界を必要としないからなのだろう。
「島で生き、子孫を残し死んでいく。大昔から繰り返されてきた命の循環こそが正しいあり方なのでしょう。ですが私は雲医者様のように、様々な土地を旅し世界をこの目で見たいのです」
 浮雲のように自由気ままに旅をし、あらゆる自然の知識により生き物だけではなく天候までも治療する医者。娘が持つ数少ない外の書物に書かれた雲医者の話は、楽園という名の檻の中で暮らす彼女にとって憧れそのものだった。
 竜巻に似た地震雲の形はほつれ、幾羽ものニジヒキドリが飾り羽を鮮やかに煌めかせながらその方向へと飛び去るのを雲医者はじっと見つめていた。

 島の夜は早い。日の出と共に起き、日が落ちるとすぐに眠りにつく。人々が寝静まった満天の星空の下を雲医者と娘はハシリガラスに乗り駆け抜けていた。向かう場所は昼間、竜の息吹が見えた方角。普段は、竜の血を採掘するために限られた人しか入ることの許されない地である。
「雲医者様も、やはり竜の血やニジヒキドリの羽を求めてこの島を訪れたのですか」
 娘は雲医者の背中に尋ねる。どちらもこの島でしか取れない貴重な素材であり、妙薬として知られているのだ。
「それもあるけれど、確かめたいことがあってね」
 すぐに分かるわ。雲医者は前を見据えたまま言う。
 次第に、ぼんやりとした明るさが目前に迫ってくる。空から照らす月の光ではなく、鱗のように割れた地面から淡い金の光が湧水のように漏れだしているのに近づくに連れ気付く。初めて知った金色に光る大地に娘が見惚れるのも束の間、光の中に蠢く幾つもの巨大な影に更に驚かされる。
「なんでこんな所に。しかもこんなにたくさんいるなんて」
 忙しなく動き回るその影は、数えきれないほどのニジヒキドリの物であった。地面を嘴で突き地面から漏れ出す光を食べているようだ。呑み込むたびに、飾り羽と尾羽に鮮やかな虹が走る。
「彼らは、この光を食べることで美しい虹色を体に宿すことが出来るのよ」
 ハシリガラスを止め、雲医者は一際大きく光の漏れ出している場所へと歩みを進める。不思議と巨鳥たちは突如現れた彼女を恐れもせず、むしろ待っていたかのように道を開ける光景は神聖な儀式が始まるような厳かさがある。
 光の出所まで辿り着くと、雲医者は銀に光る何かを取り出す。あんな物を一体何に使うのだろう。娘はハシリガラスに乗ったまま彼女の行動を見守る。魔法のようにどこからか取り出したのは剣にも似た長い針だった。雲医者がそれを振り上げ勢いよく光の中心へと突き刺すと、今まで溢れていた光が一瞬にして消え辺りが真っ暗になる。状況が掴めずに不安になる娘の目に、眩い光の奔流が映ったのはその直後だった。黄金の洪水の中で引き抜いた針を掲げる雲医者の上空では、一斉に飛び立った鳥たちの虹色に輝く羽が花弁の如く舞っていた。

「本当に後悔はしないのね」
 まだ夜明け前の穏やかな海原を、二人と一羽を乗せた小さな帆船は風もないのに帆を膨らませ走っていく。闇の中にうっすらと浮かぶ島の影は確かに頭と尾を真っ直ぐに伸ばし横たわる竜に見えないでもない。
「楽園の外に出れば、平穏で満ち足りた生活には戻れないわ。それでも外へ行きたい?」
 雲医者からの問いに娘はほんの僅かの間、考え込むように俯いてから再び顔をあげる。その瞳には小さくとも決して消えない小さな灯が見て取れた。
「ずっと島にいながらあの黄金の光も、あんなにたくさんのニジヒキドリが舞う姿も見たことありませんでした。私は、もっとたくさんの見たことない世界を知りたいんです」
 知ることの喜びに満ちた表情と熱のこもった視線に雲医者の左目に描かれた唇も微笑む。
「ならば、ごらんなさい。あれがあなたの故郷の姿よ」
 少女は遠ざかる島を振り返り、目を見開くことしか出来なかった。
 海原からゆっくりと昇り始めたばかりの朝日に照らされて浮かぶもの。それは岩土で出来た島などではなく、背に山を乗せた巨大なカメに似た生き物だった。大きな瞳は眠たげに海を見つめている。
「竜の一種よ。私たちは、島乗せ、と呼んでいるわ」
 驚くのは当たり前よね。言葉を発することも出来ずにただただ故郷を見つめる娘に雲医者は語りかける。
 島に伝わる伝説は全て事実でしかなかったのだ。地震雲の正体は、島乗せが呼吸を乱した時にでる咳であり苦しみのあまり暴れるため揺れと高波が起こる。そして、首筋にあるツボを着くことで呼吸を整え溜まっていた気を放出させるのだそうだ。
「私が確かめたかったのは竜の気を食べて虹色に輝くニジヒキドリの姿と、本当に島の人々が竜の背で暮らしている事実を知らないのかということ。外からの情報もない楽園では、いつの間にか風化してしまったのでしょうね」
 知っているのも貿易のために外の世界と交渉する限られた人々だけだろう。旅人と話すことを良しとされないのも島乗せのことを知られたくないからだ。
「竜の上で暮らしていると知ったところで楽園には何の変化もないでしょうね。ただ、あなたの世界はがらりと変わってしまった。そうでしょう?」
 朝焼けの中に浮かび上がる竜の姿を見つめる娘の瞳からは、言葉にならない思いが一筋の涙となり静かに頬を伝っていった。

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