光の筐体

押スト割ルト

 一週間の出張から戻った私は荷物をほっぽり投げてベッドに飛び込んだ。中東情勢の悪化、爆破テロの影響で予定を繰り上げての帰宅。心も体もだいぶくたくただ。
「あー、疲れた。やっぱ家がいちばん落ち着くわ」
 スーツケースは荷解きどころか、空港でつけられたタグすらそのままだったけれど、今それを整理する気力はない。昼過ぎの日差しは柔らかく、そのまま午睡に落ちる誘惑と戦うことに、言いようのない喜びを感じている。
 そんなまどろみの中、遠くで私の意識を引き戻すメロディーを聞いた。
「昼寝をするならシャワーを浴びてからにしないと」
 私は見たくもないテレビを点けた。そうでもしないとあっという間に惰眠に引きずり込まれそうだ。画面の中ではたくさんの若い女の子が、制服を改造したような衣装を着て元気に歌っていた。確かヤスシもこの大所帯のアイドルグループのファンだったはずだ。
 ヤスシとは交際を始めて五年になる。ぼちぼち結婚も視野に入ってくる頃だ。でも彼にその気があるのかはっきりしない。私だって特に期待しているわけじゃないけれど、そういうことを意識しだすお年頃なのだから仕方がない。
 そういえばさっき携帯が鳴ってた気がする。彼からメールが届いたのかもしれない。シャワーの前に「ただいまメール」でも入れておこうかしら。そう思って携帯を開いた。
 差出人不明、タイトルなし。フィルターをかけているはずなのに届いた怪しいメール。これは見るからに胡散臭い。決して開いてはいけない迷惑メールの類に違いない。でもなんでだろう……、きっと疲れていたんだと思う。気付くと私はそのメールを開いていた。
 RGB=▢
 そこに記されていたのは謎のコード。説明はなにもなし。よく見るとURLが添付されている。私の好奇心がそれを開けと耳元で囁く。どちらにしろ今更後戻りなどできるはずがない。メールを開いた時点で私はうっかりルビコン川を渡ってしまっていた。そう「賽は投げられた」のだ。
 何かのチャットルームだろうか、カーテンの閉められた薄暗い部屋が映し出されている。見覚えのある部屋……。そこがヤスシの部屋だということはすぐにわかった。中央に見える黒い塊はどうやら人であるみたいだ。そして、その人物はぐったりとしていて動けないように見える。
 ヤスシなの?
 私は湧き上がる恐怖を抑え、悲鳴を飲み込んだ。画面の右上にはタイマーが示されていて、既にカウントダウンが始まっていた。表示された時間は十分弱。これがゼロになった時、彼の身に何が起こるのか……。
 ヤスシの携帯は繋がらない。ここから彼の部屋まで急いでも三十分はかかる。直接行って確かめる時間はない。唯一の取っ掛かりはこのRGB=▢という謎のコード。こいつを解読すれば、この意味不明な状況を打破する糸口が見えるはず。確信はないけれど、今はそれに賭けるしかない。
 RGBと聞いてまず思いつくのは三原色か。ならマスに入るのは「色」? ヤスシの好きな色の「青」?。でもそれがなんだっていうの? 色とヤスシとはどうにも結びつきづらい。候補としては捨てきれないけれど、先に他の可能性を当たってみた方がよさそうな気がする。
 テレビからはまだ大所帯のアイドルグループの歌が流れている。曲調からさっきとは違う歌に変ったみたいだ。あるいは別のグループにバトンタッチしたのかもしれない。彼女たちはいくつかのグループの複合体で、それぞれが拠点にしている地名をアルファベット三文字に略したグループ名を冠している。地名といえばそこに放置されているスーツケースのタグにも、空港のスリーレターコードが記されている。どちらも謎コードの体裁と合致する。しかし、最近では卵かけごはんですらTKGなどと略すし、NHKやFBIなど、巷には三文字略語が溢れている。私に与えられた時間は僅か十分足らず。その制限内で解読できる内容であるなら、用意された答えはもっとシンプルなはずだ。
 ならば切り口を変えよう。いやむしろ初心に帰ろう。これを略語などではなく、純粋に暗号として解析するのだ。
 最もポピュラーな暗号といえばシーザー暗号だと考えて差し支えないだろう。古代ローマのジュリアスシーザーが軍事連絡用に考案したとされる暗号で、規定数文字をシフトするだけで解読することができる。特別な指定がなければその数字は三で良かったはず。RGBをそれぞれ三つシフトするとUJEとなる。逆にシフトするとODY。少なくとも私には、どちらも意味を成しているとは思えない。
 カウントダウンは三分を切ろうとしている。残り時間はあと僅か。やはりノーヒントで正解を導き出すのは難しい。
 心が折れかけたその時、再びメールが届いた。犯人からのセカンドコンタクト。この絶妙なタイミングで送られてくる辺り、こちらの焦りが見透かされているようで癪に障る。けれど、追加の情報ならウェルカムよ。
 CMYK=■
 さっきと似た体裁の暗号文。=の後ろのマスは黒く塗り潰されている。そうか、そういうことなのね!
 テーブルの上のパソコンを調べたが異常はない。それならこっちか――。
 テレビモニターの後ろに見慣れぬ黒い箱を見つけた。これは何、小型の爆弾? まさか、と思いつつも、自分の家に自分の知らないものが置かれているのは気持ちが悪い。
 カウントダウンは残り一分を切っていた。私は黒い箱を掴み上げた。思ったよりも軽い。そして箱と同じ黒いひらひらした紐で括ってある。ふと、ニュースで見た凄惨な爆発現場の映像が脳裏をよぎる。もしこの紐が解けたら……。
 不吉な想像を振り払い、窓のクレセント錠に指を掛けた。これが何かはわからないけれど、とにかくここから投げ捨ててしまいたい。いや、投げ捨てよう。
 残り時間は十秒を切った。でもクレセント錠は廻らない。爆弾なんてことはあり得ないんだから、落ちつくのよ私。
 八秒、七、六……。
 フックの脇にある空き巣防止のセーフティが利いていることに気がついた。でも指先が震えてうまく外れない。百歩譲ってこれが本当に爆弾だとしたら、ご近所さんに多大な迷惑をかけてしまう。でもそんな事知ったこっちゃない。私のせいじゃない。恨むなら私ではなく、これを置いた犯人を恨んで下さい。
 四、三、二……。
 窓は開いた。でももう間に合わない。ダメ、爆発する!
 私は全身の力が抜け足元に崩れ落ちた。もちろん箱は爆発などしない。でもその代わりに、ガチャリという音とともに玄関が開いた。そこに立っていたのは、ヤスシだった。
「その箱、見つけてくれたんだね」
 暗号は単純だった。RGBとはやはりカラーモデルのことだった。そしてCMYKも同じくカラーモデル。ポイントは=の後のマス。RGBは▢でCMYKは■。これは文字を入れるマスではなく、それぞれの特性を示していたのだ。■は減法混色、いわゆる色の三原色で、シアン(C)マゼンダ(M)イエロー(Y)の三色を均等に混ぜると理論上黒になる性質を持っている。だから=■。対するRGBは加法混色で光の三原色と呼ばれている。こっちは三色を混ぜると減法混色とは反対に、白となる。▢はそれを表していたのだ。そして加法混色の原理が適用されているのは、液晶画面などのモニター類。だから私はテレビを調べ、この黒い箱、すなわち■を見つけた。
「開けてみて」
「え、嫌だ」
「大丈夫だから」
 さっきはあんなにも不吉に見えた黒い紐は、ただのリボンだった。私がそっと摘むと憎たらしいほど簡単にスルリと解けた。蓋を開けると、中には指輪が入っていた。
「結婚しよう」
 ヤスシは眩しくなるほどの笑顔で、朗らかに言った。
 確かに私はそろそろ結婚を、と思っていた。彼もちゃんと考えていてくれたのは素直にうれしくもある。だがこのサプライズはダメだ。なんなんだその笑顔は。こんなプロポーズを受け入れるわけないだろ。だから、私からもサプライズを仕掛けてあげることにした。
 私は指輪を窓の外に向かって思いきり投げ捨てた。
「ああ、俺の給料三か月分!」
「やり直し」
「何、どういうこと?」
「本当に私と結婚したいなら、あの指輪を探し出してもう一度ここに持ってきなさい。その時に返事をしてあげる」
 小さなダイヤを乗せた白銀の指輪は、キラキラと軌跡を残しながら、青い空の向こうへ飛んで行った。

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