ハカセはどこに消えた?

クウォンタムエンタングルメント

 国立D工科大学。東京都下、緑豊かなキャンパスの最奥部、D大十箇年計画と呼ばれる建物総建替え工事の対象にもされなかった古びた建物がある。その古びた建物の中に、情報系の学科に所属しながらも、物理、機械、情報と多領域をまたがる研究をしているがため、他の教授たちが「何かすごいことをやっているが、専門外でよくわからないので黙っておこう」と口をそろえて賞賛と無視を行うラボがある。
 そのラボでついに、世紀の大発明が生まれたのであった。

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「博士、博士! ついにやりましたね!」
「ええい。うるさい。騒ぐでない……頭がガンガンするわい……」
「博士、二日酔いですか? 今日はこれから発明の前祝いだというのに。ほら、ラボには学生達が集まっていますよ。早くいきましょう」
 博士はボサボサの頭を掻きつつソファーから立ち上がる。博士は教授の職についているのだが、教授と呼ばれることを好まない。博士と呼ばないと機嫌が悪く無る。
「しかし、助手よ。なんだか昨日も同じような飲み会をやらなかったかね」
 助手と呼ばれた男はムッとした表情になるも博士はそれに気づかない。彼は助教の職に付いている。実験などを手助けする助手よりも格も給与も高い。更に言うと、彼も博士号を持っている”博士”である。更に言うと博士と呼ばれている教授は「Doctor of Engineering」を取得した博士であり、助手と呼ばれている助教は「Ph.D」を取得した博士である。「Ph.D」の方が格が高いとの自負があるため、そこがまた、ムッとするポイントでもある。まぁ、しかし、今日はめでたい祝いの日である。そんなことにいちいち突っかかるような子供ではない。助手も一端の大人である。

「では学生諸君、グラスは持ったかね?」
 ビールを注いだプラスチックのコップを掲げ、ラボを見渡す。パソコンと、何かの管と、謎の部品に埋め尽くされた薄汚れた部屋の片隅に、長机を広げ、そこに弁当屋のオードブルとビール瓶や缶チューハイが並んでいる。テーブルを囲むのは博士と助手、博士課程の学生二人、修士が五人。学部生はとっていない。
「苦節三十年……長く、苦しい日々だった。助手には大変お世話になったし、学生諸氏、OB・OGのみんなにもお世話になった。その、その集大成たる発明がついに完成し、明日、試運転を迎える! さぁ、みんな、みんな、大いに祝おう……っ!」
 そこまで口にした博士の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。数々の苦労が博士の脳裏に蘇る。そして、グラスを高く掲げ、乾杯の発声をする!
「タイムマシーンの完成に、乾杯!」

『タイムマシーン』それは人類の夢。高度な数学と物理の理論を駆使し、最先端の理論の穴を突く理論展開、常識の裏をかく実装によって実現されたそれは、現代の黒魔術と呼んで差し支えの無い怪しい代物である。その怪しさ故に、誰にも理解されず、博士と助手は長く苦労した。
その苦労の結晶がこのタイムマシーンであり、この晴れの日を迎えた二人の感激はひとしおであった。
「博士、ついにやりましたね、博士!」「助手よ、ああやったぞ! 助手よ!」さっきから、二人はそればかりを言いながら、ひたすらビールやワインや異常にでかいボトルに入った焼酎やらをとにかく煽っている。一方学生達は、そんな博士たちの様子はどこ吹く風。一通り飯を食べたら梅酒やサワーのような甘めのお酒を舐めつつ、流行りのテレビゲームを遊んでいる。研究室の飲み会はたいていこんな感じである。
 そんななか、ゲームに混ざらず、少し離れた場所で酒をちびちびやっている眼鏡っ娘がいた。手酌で冷酒、ツマミにカットパインが彼女のいつものスタイルだ。修士の二年生。来年は他の大学の博士課程に進むことがきまっている彼女が、よっぱらってデロンデロンになっている博士と助手にむかって突然挙手した。
「先生、質問です」
「ふむ。質問を許可する」
「門外漢の素人質問で恐縮なのですが、タイムマシーンで過去には行けても未来にはいけないんじゃないですか?」
 その瞬間、ラボの時間が止まったように感じた。助手は釣り上げられた魚のように口をパクパクさせている。博士がグラスに注いでいたワインが溢れかけた瞬間、ハッと我に返った博士が口を開いた。
「どういうことかね。説明を」
「はい。現在というのは過去の積み重ねだと思います。未来はまだ積み重ねた過去が無い。なので、未来は『無』もしくは『不定』なのではないのでしょうか?」
 博士は手に持ったワインをグイッと一気に飲み干した。眼鏡っ娘は続ける。
「現在が過去の積み重ねだというのであれば、過去にいけば私達が知っている過去にいけると思います。でも、その過去に行った時点で、到着した過去から先の未来は無くなってしまうのではないでしょうか? その過去の一時点までは過去の積み重ねがあるけれども、そこから先の未来には積み重ねた過去が無い。つまり、やっぱり未来は『無』なので未来に戻ることはできないのではないでしょうか」
 博士はメガネっ娘の話しをジッと聞きながら、異常にでかいボトルに入った焼酎を煽る。
「なるほど、君の言うことには一理ある。しかし、我々の理論、実装ともに完璧だ! まぁ、明日の試運転を行えば全てがわかる!」
「そ、そうですよ博士! 我々の長年の研鑽、苦労に間違いなんぞあろうはずがない! なんということを言うんだね、き、き、き、君は!」
 青い顔をした助手が、眼鏡っ娘を叱責する。一方の眼鏡っ娘は「や、専門外の素朴な疑問でして……。当然、先生の研究が間違っているとは思いません」と言い、また冷酒をちびちびはじめる。
「そ、そうですよ博士! ささ、飲みましょう! 飲み明かしましょう!」
「そうじゃな、助手! 今日は祝の日! ささ、大いに飲もうぞ! 院生のきみも、グイグイといきたまえ!」
 乾杯! 乾杯! 乾杯!
 その後は、朝までどんちゃん騒ぎだった。「酒の力でタイムスリップできそうじゃ!」「そうですね博士!」「助手、めでたいな!」「はい、博士!」「わっはっは! タイムマシーンの完成じゃ!」「はい、博士!」そう言って、博士と助手は乾杯を重ねた。助手は早々に酔いつぶれ、ヨイショしてくれる人物を失った博士は一人、ラボの奥に消えていった。

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 翌朝、博士はいなくなっていた。昼を過ぎても博士はラボに現れなかった。博士の自宅、行きつけの定食屋、実家など幾つかの場所を探したが博士は居なかった。大学の守衛に聞いたら、博士は昨晩から門は通っていないという。博士の車も駐車場にそのままだった。
 不審な点といえば、博士のスリッパが、試運転を待つばかりのタイムマシーンの前に揃えておいてあることだけであった。

* * * *

「あいたたた、昨日は飲み過ぎたわい……」
 博士はラボの自室で目を覚ました。いつの間にか、ソファーに横になっていた。頭がガンガンする。
「昨日は……いかん、全然思い出せん。今日は何日だ」
 そうして、時計を探している間に助手が入ってきた。
「博士、博士! ついにやりましたね!」
「ええい。うるさい。騒ぐでない……頭がガンガンするわい……」

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