涅槃博士

【これまでのあらすじ】
 心ぜわしい歳の暮れ、奇妙な噂が帝都を賑せていた。金色燦爛たる大小の段ボールで着飾った怪盗が、夜な夜な黒い霧をともなって現れるというのだ。怪盗といえど高価な宝石や有名な美術品などにはまったく興味を示さぬ。黒い霧に触れたものは身体から丸い光が抜け出て、電源を落とされでもしたように正体をなくしてしまう、金色はその光を回収し、リンゴでも剥くように身ぐるみはがして肉体をさらって行くというのだからいよいよ怪談じみている。
 こういう超常的な事件であるし、多くの人が失踪したことは確かにせよ、それぎり身代金についての問い合わせにもなしのつぶてだから、警察もすっかり困りはててしまい、ついに私立探偵神宮寺又一郎に出馬を要請した。
 彼には幼稚園にあがったばかりの司くんという息子があったから、子育ての大変な時期に適任とは言い難いなどと新聞各紙には批判的な記事ばかり踊ったが、素人ながら名探偵の誉れ高いこの快男児、批判などどこ吹く風で、怪盗の魔手にかけられているのは格闘家、芸術家、作家、数学オリンピックの優勝者などなど、一種独特の才能をもった人物に限られていることをたやすく見抜いてしまった。そこで怪しいと睨んだのが、かつて帝国五指に数えられた科学者で「涅槃博士」の異名をとるウーティスなる人物である。なぜかと言うに、彼は人間の意識と機械の身体とを組み合わせた、電気人間を作ることに並ならぬ執着を抱いていたからだ。つまり探偵はあの金ぴかを、ロボットと見たのだ。
 人々からの信頼厚い神宮寺であるから、独自の捜査網を使って隠れ家を突き止めてしまうと、怪盗がそこに入ってゆきオーバーホールを受けるという揺るぎない証拠まであれよという間に手にしてしまったのだから、恐るべき名推理である。しかし敵もさるもので、それくらい先刻承知とばかり黒い霧に背後から襲わせて、探偵はその場で昏倒してしまうのだった。絶体絶命の危機。果たして彼は、これからどうなってしまうのであろうか。

『大団円』
 目を開くと、薄ぐらい空間に前掛けのような豊かな白髭をたくわえた、不気味なにやにや笑いが浮かんでいた。
「気分はどうかね、名探偵くん」
 良くはないな、と冷ややかに皮肉を返したつもりが、耳には女子供の出すようなか細い声が響くばかりで、まるで自分の声ではないようだ。
「私は探偵ではないが、今の君の考えを当ててみよう。君はあの黒い霧に、ヘリウムでも含まれていたのかしらんなんて思っているんじゃないのかね」
 なるほど科学者らしい推理である。しかし彼はすでに、それとは別の妙な感覚に気がついていた。
「君の目はもはや君の目ではないのに、名探偵そのものだ。だったら今私の言った意味は、説明するまでもなかろうね」
 その通り。神宮寺は事態をすっかり飲み込んでいた。彼の意識は、もはや彼の肉体におさまってはいないのだ。慣れぬ身体はまだ思うようにならず、やっとのことで腕を眼前に上げると、そこにはムクムクしたちいちゃなお手てがあった。
「最近連れてきた少年だよ。君、そんなにかわいらしい顔をして名探偵だなんていうんだから、なかなか見もののようだぜ」
 改めて身の回りを確かめてみると、子供などとるに足らぬということなのか、身体は束縛されるでもなく、ただソファの上に横たえられていた。
「あの黒い霧は、人の意識を失わせるというような、ちゃちなものではない。身体から意識を分離してしまう特殊エーテルなのだ。もともとは医療用として開発した麻酔で、しばらくすれば意識は自然ともとに戻ってゆくが、その間にこうして……」とますますやにさがった表情で、すべすべのやわらかい頬っぺに手をはわせ「肉体を自由にしてしまうこともできるのだよ」と小さな耳もとにささやきかけた。それからきゅうに肩をつかんでつきはなし、
「こういうわけで、私は学会から変質者と見なされ、追放されてしまった。もちろん私は、誓ってこんな悪戯はしていない。だって私は、お医者ではないのだからね。やつらは単に、ねたましい天才を、破滅させたかっただけなのさ。ほら、こっちもごらん」
 指さす先には、たくさんのフラスコが並んでおり、その中にひとつずつ、色とりどりのきれいな丸い光が浮んでいた。
「人間の意識、あるいは魂と呼びたければそれでもいい。私は黒い霧に改良を加え、抜け出た意識を保管できるようにした。これを分析整理し、こね、組みかえて、人間よりも幸福な電気人間を作り学会を見返してやるのだ。金色のやつは人工知能で、お利口だが、心がない……ところで」
 と首を巡らせた博士の背後には、虫のたまごのような形の、大きな箱が、等間隔でいくつも、いくつも並べられていて、ぼんやり緑がかった光をはっしていた。
「これはコフィンという、学生の頃に作ったはじめての発明品だ。裸になって中に入ると、肌をぴったり覆われて、五感がすべて奪われるかわりに、肉体の世話はぜんぶやってもらえる。うつし世にくたびれた人間には、生活だの仕事だのと隔絶した夢空想の錨が、どこかで必要になるのだ。だが学会は、これは自堕落装置だと決めつけて、よってたかって非難の論陣をはった。涅槃博士だなんていまわしい名で呼ばれるようになったのも、このころからだったよ」
 と遠くを見てポツリつぶやいた。神宮寺は少し、彼を憐れむ気もちがしたが、同情の気配を察してかえって気をわるくしたのか、博士は顔を真っ赤にし、さながら壊れた計器のように目玉をぐりぐりさせて、装置の蓋を開けた。
「ここに君の本当の肉体がある! コフィンというのは今では、抜け殻になった肉体の保管庫なのだ。でも」いっそう狂ったように目玉を回し「ちょっとベッドが、足りなくてね……残念ながらひとり、無理にでも、退院してもらわなけりゃならない」
 しかし神宮寺は厳然たる態度、そしてかわいらしい声で、こんな謎のことを言うではないか。
「そこまでやるつもりなのかい、本当に残念だよ。君とはずいぶん、長いお別れになるかもしれないね」
「……恐怖で頭をおかしくしてしまったかな。なに、ご退場いただくのは肉体だけだから、安心しなさい。特別に優れた意識は、私に危害を加えないようプログラムを施した機械の身体に個体のまま入れて、助手として使ってあげる。ということは君はむしろ、永遠に生きることが……」
 その時「おーん」と厳かな響きがおしゃべりをかき消した。終わりと始まりを告げる鐘の音だ。思わず聴き入る博士のわき腹に、しかし弾丸がうち込まれた。よほど驚いたのかもんどりうって倒れたが、血のまったく出ぬところを見ると、さだめし麻酔銃であろう。警察の助けが来たのだろうか。いや、いや、そうではない。間違いなく神宮寺によって放たれたものだ。さすが名探偵と喝采を送りたいところだが、なぜ子供がこんな物騒なものを持っていたのか?
 実は神宮寺が敵の手に落ちることは、もともと計画に組み込まれていたことだったのである。プライドが高くねじくれた性格の博士なら、さらった中でも唯一の少年、最も軟弱に見える少年の肉体に、探偵の意識をうつし、勝ちを誇って問わず語りをはじめるだろうと推理して、あらかじめポケットに万年筆に偽装したピストルを忍ばせておいたのだ。果たせるかなその通りになった。
 しかるにこのような危険な作戦を提案したのは、探偵ではない。誰あろうこの肉体の本来の持ち主で、幼稚園児ながら博士に狙われるほどの天才、そして神宮寺又一郎の愛しい息子でもある、司くんなのだ。まったく親も親なら、子も子である。なんという血筋なのだと驚嘆するほかない。

 こうして、帝都を騒がせた怪奇譚は旧い年とともに幕を下ろし、皆初春(はつはる)を寿ぎてうまいモチにありつけたわけだが、ここまで長々お付き合いいただいた読者のためにつけ加えることがあるとすれば、それは、すっかり心を入れかえたウーティス博士が、疲れた労働者の憩いのためにコフィンを全室に設置したホテルを建設することを申し出て、人々から大変感謝されたこと、それによって恩赦を受けてからは正義の科学者として再出発を果たしたこと、そのお手柄が政府高官の知るところとなり、「ジュニア」という格好いい名前をさずかった司くんが、高名な私立探偵である父とともに、国から秘密の公立探偵として任命されたことなどだろうか。以来彼らは『親子探偵』と呼ばれ、かずかずの難事件を解決にみちびくことになるのだが、それはまた、別のお話である。

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