空飛ぶ絨毯とペンギン

沖田灯

 昼前に荷物が届いた。大仰な包装をいらいらしながら破ると、中から紫と白のしま模様の絨毯が出てきた。6畳の部屋の半分程度しかないその絨毯を撫でると、羽の匂いが鼻を優しく刺激した。
 玄関のチャイムが鳴った。荷物は届いたのに、いったい誰だろう。突然の訪問者に邪魔され、またいらいらしながらドアをあける。ドアノブの位置より背の低い、小太りのペンギンが立っていた。
「あなたが空飛ぶ絨毯を購入したと伺って来ました」
 ペンギンはお辞儀のつもりなのか身体を前に傾けて頭を下げると、ぺたぺたと足音を立てて部屋に上がり込んだ。どうして僕が絨毯を買ったことが漏れているのか。あの配達員が話したのだろうか。個人情報保護もくそもあったものじゃない。つけっぱなしにしていたテレビで流れる国政のニュースに目をやり、苦々しい思いで舌打ちする。
 ペンギンは小さな目を思い切り開き、まるで神聖なもののように絨毯を見つめた。
「前にこの部屋に住んでいた人が昨日、自殺しました」
 え――。思いがけない言葉に急に胸くそが悪くなる。ペンギンの傍らに座り込んだ。――嘘です。ペンギンは表情を変えない。嘘かよ。何なんだこいつは? 気づいたらその胸ぐらをつかんでいた。
「でも、僕は自殺を積極的に考えている。これは事実です」
 高く透き通った声だ。それでいて秘めた決意のようなものが微細な震えとなって伝わってくる。顔をはたかれた痛みがあり、僕は突き飛ばされていた。
「あなたがどうして絨毯をほしいと思ったのか、それを今から、見ます」
 言葉では、伝わらないでしょうから。そう言った。僕はいつの間にか、ペンギンに首を締め付けられ、そのままぐいぐいと喉仏を押された。少しずつ気が遠くなる。頭の中が、ペンギンの何も語らない目でいっぱいになっていった。
 雄大な雲の中を絨毯に乗って僕とペンギンは飛んでいた。ペンギンが言うには、ここは僕の夢の中らしい。
「さっきまで見ていた世界が夢、という可能性も捨てきれないですけどね」
 そう呟くとペンギンは眼下を指した。建ち並ぶ家の屋根が見えた。絨毯は少しずつ地上へ近づいていく。見かけは厳かなベージュ色の建物が見えてきた。その前に人だかりができている。その場の空気に覚えがあった。彼らは数年前、国会前でデモを行っていた学生団体だ。国が進める軍備関連の法案に反対していた。ペンギンは絨毯を操縦し、デモの中心で声を張り上げる学生の傍まで降りていった。
「僕たちの思いを伝えよう。本気になれば、きっと世界は変えられるんだ」
 自分で自分を見るのは不思議な感じがした。十歳が十五歳になること、十五歳が二十歳になる成長は大きな変化だ。だけど、二十歳が二十五歳に年を取ることもまた、見逃しがたい変化を伴ってしまうことを僕は知らなかった。ペンギンは何も言わず絨毯を浮上させる。
 国会前を離れ、辺りには見覚えのあるビルが建ち並んでいた。僕は、胸の奥の空気が通る場所を、誰かに通せんぼされているみたいに呼吸が苦しくなった。あれが、たった5年前の自分なのか。大勢の同世代の前で堂々と音頭をとっていた。扇状的な言葉を並べて、自分も他人も高揚させている。自分の言葉を少なからず信じている。自分には、他人より多くの、尊いことができると思い込んでいる。
「次は、現在のあなたを見に行きます」
 ペンギンは、見た目は立派なビルの、あるフロアに向かって絨毯を直進させた。ぶつかる――と思ったが、僕らはガラス窓をすり抜け、オフィスに入り込んでいた。数か月まえの自分がそこに立っている。
「こんな企画が通ると思っているのか。 第一、君の説明はまどろっこしくて全く理解できない。要するに何が重要なんだ? もっと頭を使え」
 上司に怒鳴り散らされた僕が謝罪の言葉を口ごもっている。上司は大きなため息と舌打ちを残して去る。僕は立ちすくみ、オリンピックの決勝に臨む選手のような緊張状態で席に戻る。何が重要なのかと問われると、細かなことまであれこれ気になってしまう。何が重要かなんて分からない。驕った言い方をすれば、重要じゃないことにどれだけ目を向けられるかが大切だと思って生きてきた。でも、それはただ、人より頭が悪いことの表れだった。就職した頃は、社会の役に立ちながら、自分に必要な経験を重ねていければいいなどと思っていた。他人のことをいつも考えている気になっていた。だけど、目の前で泣きそうになりながらパソコンの画面を見つめる男は違う。いつしか、上司の評価だけを考え、それに一喜一憂し、自分の目に見える小さな世界だけを世界と思うようになった。世間や社会がどうなろうと関係なくなった。理想を語り、夢を追う人が妬ましく思え、毒づくようになった。
 ペンギンはまた窓をすり抜け、今度は屋上へと上がっていった。僕の部屋にあった音楽プレイヤーを勝手に聴いている。見ると、スピッツの「雪風」という曲だ。
「抽象的な歌詞で聴き手の想像力を刺激するバンドですが、この最新曲は非常にストレートでエモい言葉が多いですね。そのくらい分かりやすくないと、現代人には響かなくなっているということなのかもしれません」
 絨毯が着地し、僕たちは屋上に降り立った。
「あなたの境遇は、笑っちゃうくらいステレオタイプですね。恥ずかしくないんですか?」
 ある朝、起き上がる気力を失った僕は、生まれて初めてずる休みをして一日中ネットを見ていた。嘘か本当か分からない怪しいサイトで空飛ぶ絨毯を見つけ、興味本位で買ったのだ。その先のことはとくに考えていなかった。今だって、先のことなんて少しも見通せていない。
 ペンギンは屋上の柵にもたれかかり、大きく羽を広げた。
「僕には理由がありますよ。他人が当たり前にできることができないのは辛いものでしょう? この国はそういう奴に、悉く冷たいですし。僕は空を、飛んでみたかった」
 現実に引き寄せられていた思いが、ペンギンの言葉でまたどこか分からない場所に置き去りにされた。ペンギンが空を飛んでみたかった? リアリティの線引きがどこにあるのか、思わずそこら中を探しまくりたい衝動に駆られる。
「自殺を考えているっていうのは?」
「もう絨毯も楽しませてもらいましたし、思い残すことはありません。この先生きていても、僕には良いことなどありません。風向きは変わりません。頭が悪いから。生きていれば一生馬鹿にされ、傷つけられ、自殺すればあいつは命を粗末にした愚か者だとなじられる。僕は後者を選びます。これは感情論じゃない。選択の問題なのです」
 言い返せますか? と問うようにペンギンは僕を睨んだ。
「あなたも僕の後を追うことをお勧めします。生にしがみついている理由なんてないでしょう。あなたが苦しみの末に死んだとなれば、苦しめた人々も多少は苦しんでくれるかもしれませんよ。あなたも死になさい」
 ペンギンはひょいと柵を乗り越えた。下を覗き込み、急に笑い出す。あのさ、と僕は声をかける。
「学生の頃、付き合ってた彼女と、水族館へペンギンを観に行ったことがあるんだよ。その時、かわいいねと言いながら観ていた僕らに尻を向けてそのペンギン、思いきり糞しやがったんだ。それ、すごいムカついた」
 口から出てくるまま、まくし立てた。ペンギンはまた笑った。そして、ためらいもなく落下していった。
 昔の自分だったら、必死になって止めたかもしれない。多分、止められなかっただろうと思うけれど。覗き込むと、ペンギンが落ちていた。辺りを血で汚している。自分も飛ぶなんて、怖くてとうていできそうになかった。僕はまた絨毯に乗り、家に帰った。
 部屋の中は、ペンギンに首を絞められて気を失った、あの時のままに見える。迷った末、僕は眠ることにした。すると夢にペンギンが出てきた。
「あなたはいったいどれを現実と捉えるつもりなのですか」
 僕らはまた絨毯に乗って空を飛んでいた。
「分からない。でも、次は君を死なせない。僕が先に飛ぶつもりだ。それでおあいこだ」
 そうですか、とペンギンは言ったきり黙った。眼下にいつかの自分がいるのを感じた。風を感じた。生きものの臭いが入り混じった嫌な空気を感じた。ふいに僕は、わざわざまたあの屋上へ行かなくても、ここから飛び降りても同じじゃないかと思った。ペンギンを見ると、同じことを考えているようだった。でも、僕らはそのまま屋上を目指した。少なくとも、そこへ辿り着くまでは互いに飛び降りず、死なせずにいようと、そう決めているみたいだった。

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