犬と番傘と傘屋

樹莉亜

 その町には、奇妙な生き物と、一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。

 番傘が一本戻っていないことに気づいたのは昼を過ぎた頃だった。
 傘屋の番傘は空を飛ぶ。
 雨が降ると、傘屋は店の屋号の書かれた番傘を客や通行人に貸し出すのが常であった。ただこの店の番傘は、普通と違い雨が止んで空が晴れると、自力で飛んで帰ってくるのだ。
「この町のものは、みな妖(あやかし)か妖憑き(あやかしつき)」と言われる中でも、青空に列をなしてくるくると回りながら飛んでいく番傘の光景は、町の名物になっていた。
 その日は数日続いた雨が止み、久し振りによく晴れた。傘屋の娘おみうは、朝から店先で番傘を回収していた。どういう仕組みなのか、番傘は銘々に貸し出されたところから一旦天高く上がって、一列にそろって空を飛んできたかと思うと、おとなしく順番におみうの手元へ戻っていくのだ。
 傘屋には番傘の他にも蛇の目傘と唐傘、それに大蛙がいるのだが、蛇の目は目をぎょろりと動かしたり、余計なことはよく喋るが空を飛ぶことはない。唐傘は、傘に目と口が一つずつ、人間の腕が二本と足が一本生えた、店の番頭を務める立派な妖である。大蛙に至っては人語を話す以外は大きいだけのただの蛙であった。一方の番傘は空を飛ぶ他は、目や口があるわけでなく喋りもせぬ無害な妖であった。
 唐傘に手伝わせ、飛んできた番傘を全て回収したのが昼の鐘を聞いてすぐのことだった。二人(?)で数をかぞえてみると、どうやら一本足りない。番傘にはそれぞれ番号が書いてあるから調べてみると八番がないと気づいた。
 それでも暫くは昼飯など食べながら待ってみたが、七つの鐘が鳴りいよいよ日も西へ傾いて、おみうも店のものも心配になってきた。どこかの家の屋根にでも引っかかったか、壊れて飛べなくなったか。
 おみうは、店番を蛙に任せ、唐傘と手分けして八番の傘を探しに行くことにした。
 日に日に冷たさを増す風が、髪を結い上げた項に吹き付ける。おみうは背筋に悪寒を覚え、ぶるりと身を震わせた。

 日が暮れるといっそう風が強くなった。おみうは灯りを持って出なかったことを悔やんだが、この風で火を持って歩くのもそれはそれで危ない。長屋の並ぶ通りを歩きながら、屋根の上や狭い路地の暗がりを覗き、傘を探してまわる。
 ふと、風に乗って甲高い鳴き声を聞いた気がして、おみうは声のする方へと足を向けた。路地を抜けると川沿いの通りに出る。柳の下に目当ての物を見つけて、おみうは駆け寄った。風を受けて、女の洗い髪のように揺れる柳葉の下で八番と書かれた番傘が、横風に逆らうようにしてその場に留まっている。
 何かに引っかかっていたか、しかし見つかって良かったと、おみうは傘を拾い上げた。すると傘の下にいたのは、まだ目も開かぬ子犬であった。
 鳴き声はこの犬の子のものであったか。
「お前さん、この子を守ってやってたのかい?」
 もの言わぬ番傘に、おみうは語りかけた。返事があるはずもなかったが、何故だか確信があった。
 おみうは傘と子犬を抱えて店に戻った。
 子犬は昨日までの雨と寒さで衰弱しているようであった。時折悲鳴のような甲高い声で鳴いては、全身を震わせる茶色い毛玉を手ぬぐいで包み、篭に綿を敷き詰めて中に寝かせる。
「しかし妙なこともあったもんですな」
 蛙から知らせを受けて戻った唐傘は、一つしかない目を半眼にして、八番の傘と子犬を見比べた。番傘の方は傘の紙が所々破れ、屋号も薄く消えかかっていた。
 傘を借りた誰かが、子犬の傍に置いたのかもしれないし、傘が破れて飛べずにいたのかもしれない。
 唐傘がそう言うと、おみうは眉を顰めて、「妖のくせに番頭さんは理屈っぽい」と頬を膨らませた。
 たとえ唐傘の言う通りだとしても、風に吹かれて転がっていくわけでもなくそこに留まっていたのは、番傘の意志ではないか。おみうにはそう思えてならなかった。
「その犬をどうするんです?」
 唐傘は、子犬の為に重湯を作っているおみうに訊ねた。
「うちで飼えばいいじゃないか、犬の一匹くらい」
 店の主人でもあるおみうの言葉に逆らえるはずもなく、番頭は溜息を吐いた。
「飼うなら庭で飼ってくださいよ。商売ものの傘を壊されちゃ、たまりませんからね!」
 人(?)の話を聞いているのかどうか、おみうは子犬に重湯を浸した布を吸わせながら、「わかってるよ」と言った。
 それから三日三晩、おみうは子犬につきっきりであった。「ハチ」と名付け、重湯を飲ませ、体を拭いてやり、時には自らの懐に入れて暖めてやった。子犬がおとなしく眠っている間だけ、おみうも傍らで仮眠をとる日が続いた。

 しかし四日目の朝、子犬は冷たくなっていた。
 元々体力のない生まれて間もない子犬だったのだ。おみうの介抱も空しく、命果てたとしても仕方のないことであった。
 さすがにその日は、勝ち気な傘屋の跳ねっ返りもひどく落ち込んでしまった。唐傘と蛙は不器用ながらも、庭の隅に穴を掘って子犬の亡骸を埋めてやった。小さく盛られた土に手を合わせ、おみうは綺麗な赤い紐を円く結んで盛り土の上に置いた。子犬が元気になったら首に巻いてやろうと用意していたものだった。
 このところの疲れと共に気が鬱いでしまったおみうは、庭に面した縁側に座り、日がな一日ぼんやりとしていた。
 唐傘も蛙も、気を遣って蛇の目さえも静かにしている。
 いつの間にか、うとうととしていたおみうは、庭に白く輝くものを見つけて目を覚ました。辺りはとうに暗くなっており、それだけが神々しく光って見えた。初めは狐かと思ったが、それはどうやら犬のようであった。立派な毛並みの白い大きな犬は、おみうをじっと見つめていた。傍らには茶色い子犬が同じようにして座っている。その首には赤い紐が結んであった。
「ハチ……?」
 声をかけると、子犬は元気よく一声鳴いた。
 初めて聞いた、健やかな声であった。
 白犬と子犬はおみうに向かって頭を下げると、その体は宙に浮き、朧に光る二つの霊(たま)となってやがて天高く昇っていった。
「待っとくれ!」
 おみうは自分の声で目が覚めた。空を見上げるとまだ西に赤みを残した夕暮れ時であった。三本足の大鴉が飛んでいくのが見える。
 あれは夢であったのか。
 そう思い直し、ふと庭の方を見ると、盛り土に乗せたはずの紐が消えていた。
 子犬は--ハチの魂は、無事に彼岸へ渡れたであろうか。せめて次に生まれる時は、小さな命が軽々しく扱われることのない世であってほしいと、願わずにはいられない。
 おみうは漸く、声をあげて、泣いた。

 後日、例の番傘は紙を綺麗に張り直され、屋号と番号も書き直し、すっかり元に戻った。
 ところがどういう訳か、直したはずの八番の傘だけが、毎度貸し出されるたびに店先ではなく庭の隅、「ハチ」の墓の傍へと戻ってくるのだった。


 おしまい。

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