くろぎつね

七人


 とんではねるは、くろぎつね
 つきよのじゅかいをかけながら
 きょうもくらうよ、いきだまを
 あわれなえものはどこにいる?
 たのしみたのしみ、くろぎつね

       *

 最も有名な自殺の名所、青木ヶ原樹海。
 段差のある地形に生えた木の太い枝に、先を輪っかにした縄を括りつける。
 半月の明かりが木漏れ日となってぼくをかすかに照らした。
 今日、ぼくは死ぬ。
 ぼくは何もしない人生を送ってきた。
 楽な人生だったけど、楽以外なにものなかった。
 苦痛から遠ざかり、障壁を避けに避け続けた惨めな生。
 気づいた時には、ぼくの後ろに何もなかったんだ。
 深く人と関わらなかったけど、友人はいた。
 恋人もいた。
 信頼できる人もいた。
 尊敬する人もいた。
 でも少し離れてみると、ぼくはその人たちを求めなかった。
 また、求められることもなかった。
 本当に寂しい人間は、自分が寂しいことにも気づけない。
 気づいた時はもう手遅れ。
 空気よりも軽く、和紙よりも薄いぼくは今から死ぬ。
 きっとぼくを知る人たちは驚くだろう。もしかしたら、泣いてくれるかもしれない。
 でも、大丈夫。いつか忘れるさ。
 ぼくはその程度の存在なんだから。
「……よし」
 縄を引き、枝の強度を確めた。途中で、折れたりされたら惨めすぎる。
 輪っかに頭を通して首にかける。
 後は足を投げ出せばいい。
 段差のある地形だ。間違っても足が付くことはないと思う。
 そう思った時だ。
「しぬの?」
 後ろから声が聞こえた。
 振り向けば、黒い着物を着た小さな女の子がいる。
 幽霊、という単語が咄嗟に頭に浮かんだ。
 死のうとしているぼくに引き寄せられたのだろうか?
「うん、死ぬよ」
 自分でも驚くほど普通に答えられてしまった。
「そう」
 彼女が答える。そこには哀れみも同情もなくて、ただ確認しただけのようだ。
 もしかしたら、見守っているのかもしれない。
 不思議と穏やかな気持ちになった。
 最後だけは苦しんで死のうと思っていたけど、それもできそうにない。
 でも、すこし彼女に感謝したくなった。
 お礼は死んでから言おう、そう思う。
 ぼくは段差へと向き直る。
 
 さぁ、死のう。
 
 片足を上げた瞬間、
「じゃあ、てつだってあげる♪」
 どんっと背中に衝撃が走った。
「へあっ……がぁ!」
 突き飛ばされ、無理やり宙吊りにされたぼくはパニックに陥って足をばたつかせる。
 暴れたせいで反転した縄、輪っかに手をかけるぼくは女の子と向かい合った。
 彼女にはいつのまにか黒い尖った獣の耳と尻尾が生えていた。
 その表情は不満げだ。
「えー、しなないの?」
「が……ぁ……たっ、たすけっ!」
「だめだよ。しぬっていったのに」
 思わず出した助けを求める声を、彼女は完全に無視した。そして、
「いったこと、まもろうよ」
 ぴょんと飛びかかり、しがみ付いた。
 ずんっ、と体が地面に引かれる。当然、首への圧力も強くなってぼくは手に力を込める。
 死にたいといっても、こんな死に方は嫌だ。
 ぼくは自分の意思で死にたいのに。
 これじゃあ、殺されるのと一緒だ。
「あ、だめだよ? こんなことしちゃ」
 ぼくの手に気づいた女の子は、両手首をそっと握って無理に引き剥がす。すごい力で、抵抗することもできなかった。
 彼女はぼくの腰に足を絡ませて、手を手綱のように引く。
 まるで寝ている人を強制的に起こすような仕草だ。
 堪えるの物のなくなくなった縄は容赦なく首に食い込み、気道を潰す。
「げええええぇっ、じにだく、だい……ぁがっ……じにだくだいっ!」
「そんなこというコは、めっ、だよ!」
 彼女は頬をふくらませて小さい子を叱るように言い、ぼくの体をブランコみたいに揺らす。
 もう、ぼくは断末魔の声さえ出せなくなり――不意に体が軽くなった。
 何が起きたのかも分らないでいると、視界に地面と彼女が映った。
 にこにこと笑う彼女は、四つん這いにずいっとぼくに寄ってきた。
「あたし、しってるよ」
 そこでぼくは彼女が何に四つん這いになっているか、知る。
「ひとってごはんたべるとき、こういううんだよね?」
 だらしなくぶら下がっているぼくだった。
 あぁ、ぼくは死んだのか。
「いっきだまーす♪」
 なんか違う、そう思ったぼくはこの世から消えた。

        *

 とんではねるよ、くろぎつね
 つきよのじゅかいをかけながら
 きょうもくらった、いきだまを
 つぎのえものはいつくるか?
 たのしみたのしみ、くろぎつね

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