魔女になりたい未世子さん

木井 鈴成

 未世子さんは魔女になりたかった。
 しばしば夢に見るのは、月光の注ぐ高みを自由に行きめぐる、その至福。
 だから目覚めは、ため息とともに訪れる。それでも最近は生きやすくなったと、鏡へにんまりと笑いかけた。ぼんやりとした朝日に浮かぶ顔が、いくらかでも魔女に近づいた気がするのは、呪いが効いてきたのだろう。
 神聖な儀式は、もう何年も続いていた。棚にならぶ小物のアイテムを手に取り、愛撫とともに祈りをこめる。最初は子猫のストラップだけだったが、猫目石のはまったタイピン、寄せ木細工のシガーケースなど、いつしか数も増えたので、効果がでてきたのかもしれない。
 キッチンで鍋を火にかけ、そこでふと眉が寄る。その日の夢に限って現れた、奇妙な映像を思い出したのだ。揺れる灯りにちらちらとする男の顔。心当たりが思い浮かばず、未世子さんは首を傾げた。夢に見るとは気になるが、男性の知り合いはほとんどいない。
「恋の予感かな」
 ひとりごちて首をすくめる。今や切なさは単なる記憶となったが、同じ痛みを繰り返す気は毛頭ない。
 ノートパソコンを立ち上げたところで、鍋のスープが煮立ち、漢方薬めいた香りが鼻を突く。これも魔力を強める大事なアイテムだ。カップを片手に画面をのぞくと、ローカルニュースの一覧がでていた。食品異物混入、連続放火、覚醒剤使用、会社員行方不明等々、未世子さんとは関係のない世の流れは、ワンクリックで消えていく。
 魔女の定義や歴史など今更な未世子さんにとって、もっぱら興味は現行の「魔女」の噂である。百鬼夜行の跋扈する国で、西洋概念の妖怪にどれほど出番があるかと思えば、これが結構投稿サイトの片隅をにぎわせていた。
 しかも、未世子さんの住まう街のローカルサイトで。
――月夜の晩に、楠のてっぺんに浮かぶ影をみた。
――小高い丘に魔女屋敷と呼ばれるボロい家があって、猫の死体が転がっていた。
――毎夜徘徊する黒装束が呪文を唱えると、空から火の玉が降ってきた。
 ハッシュタグ付きの投稿には、「デマだ」「俺もみた」「のぞきに行った子供が熱を出した」「ヤマトの国なら山姥だろ」などコメントが続いている。
 場所が特定されるものは削除されているが、土地者ならピンときて、未世子さんは満足そうに口端をあげた。
 次は園芸用品の通販サイトに目を通す。成長株の映像から今年の庭をイメージしながら、いくつか春植の球根や苗の注文クリックを押した。
 庭の南表は崖に向かって花壇が、裏手の山際へは薬草園が広がっている。親が遺した二階屋は、いかにも魔女が住みそうな洋館で、未世子さんにはお気に入りだ。この家を囲んで、月夜に丈高いハーブの影がざわめくさまは、長くここに住んでいても背筋がぞくぞくする。
 が、のどかな日差しの中では、風にそよぐ葉ずれが、未世子さんがふるう鍬の音と重なるばかりだった。薬草畑を広げようと、山際を掘り返していたところ。芽を出したドングリにまざって、何か小さな物が金色に光った。
 三日月に牛のデザインのバッジ。
 新しいアイテムだ。棚に並ぶ小物は、皆こうして畑から出てきた物ばかりなのだ。拾い上げるとき、心のどこかがうずくのもいつものことで、未世子さんはバッジにかかった土塊をふっと吹き飛ばした。
 と、形ばかりの門に人影が現れる。
「すみ、ませーん、ナガトヌネコの、宅配便ですう」
 息も切れ切れなのは、長い階段を上ってきたせいだろう。先頃ネットで肥料を注文したことを思い出し、未世子さんは急いで駆け寄った。指定された箇所にサインをして、荷物をうけとったものの、予想外の重さに足がよろけ尻餅をつく。派手にひっくり返った未世子さんへ、宅配員が驚いて手を伸ばした。
「大丈夫ですか、置き場所まで運びます」
 未世子さんは激しく瞬きした。キャップの下からのぞいたのは、まさしく夢に現れたあの顔ではないか。混乱する頭でしどろもどろに物置を指示すると、宅配員は怪訝ながら肥料を運び入れ、そそくさと背の猫マークを見せて去っていった。
 これはいったいなんの啓示だろう。穏やかならざる心地で鍬をふるう。ついに魔力が身についたのかと喜ぶ一方で、意味するところが皆目わからない。とっさに拾ったばかりのバッジを相手のポケットに忍び入れ、再会の魔術をかけたつもりだが。
 まあ、と、未世子さんは肩をすくめた。この地区担当の宅配員なら、その必要もなかったかなと、新しいアイテムを手放したのが残念に思えてきた。
 南向きの窓から見える街並みが、夕闇の中へ沈んでいく。昼の暖かさは一転し、北風が吹き出して大気の透明度が増していた。スープの材料を足して鍋を火に掛けたところで、再び夢の顔が頭に浮かぶ。
 ちらちらと揺れる灯り。あれは燃える炎が照らしていたのかもしれない。炎。炎を見ていた顔。
 ふと思い立ち、未世子さんはコンロの火を止めてパソコンを立ち上げた。いつものように並ぶローカルニュースの中で「連続放火、ついに犠牲者」の見出し。本文を開くと「昨夜、川沿いの無人小屋に火がつけられ、焼け跡から焼死体が見つかった。手口から一連の連続放火犯の仕業と見られ、犠牲者は先日より行方不明だった月牛地所のーー」
 そこでいきなり部屋の照明が消えた。
 唯一点るパソコンから離れ、窓のカーテンを開けると、街々の灯りは変わらずきらびやかだ。我が家だけかと不思議に思い、ガラス戸を開けてさらなる異変に気がついた。
 焦臭いーー
 おまけにぱちぱちとはぜる音がし、裏手から母屋の屋根を越えて薄い煙が流れてくる。裏口から外へ飛び出すと、物置の明かり取りから、黒い煙と揺らめく光が漏れていた。
 火事だ!
 未世子さんは慌てふためき、物入から簡易消火器を引き出した。急いで物置に飛び込んで、燃え上がる棚に消火剤を振りまくが、炎の先端はすでに屋根へ届いている。これは消防署を呼ばねばと踵を返したところで、突然物置の扉が外から閉じられた。取っ手をひねるも、びくともしない。
「あんただ。あの時見ていたのは、あんただったんだ」
 扉の向こうからの押し殺した声には、覚えがある。あの宅配員だった。
「畜生、ほんとに魔女がいるなんて信じられ」
 そこへいきなりの怒号。充満する煙に巻かれて身を屈めたとたん扉が開いて、未世子さんは冷たい外気へ倒れこんだ。幾つかの人影が交錯し、そのひとりが未世子さんの腕をとって母屋の方へ導いてくれる。
「怪我はありませんか?」
 せき込みながらうなずく未世子さんの向こうでは、暴れる男を私服の刑事らしい三人が取り押さえていた。
「あそこに死体があるなんて知らなかったんだ!」
「だまれ! 月牛地所の社員章がお前の部屋で見つかった」
 刑事が開いて見せた手元を、男は凝視した。やがて、ゆっくり未世子さんへ視線を向け、再び叫ぶ。
「あいつだ……あいつが殺して持って行った!」
 その訴えは聞き入れられず、男を真ん中に引きずりながら、三人の姿は門の向こうの闇へ去った。

 ロウソクの灯の横で、スープ鍋をかき回す。底からぐつぐつ上る泡には、未世子さんの記憶がくっついている。
 男に断たれた電線は明日修理されること。未世子さんが放火犯容疑でこの連日刑事に見張られるも、おかげで殺人の夜に外出していないとわかったこと。
「ネットで気になったものですから」
 すみませんと敬礼した若い刑事は、子猫のストラップの持ち主と似ていたかもしれない。が、面影はお玉が作る渦の中へすぐに溶けた。ただ。
 三日月と牛――あの男。
 土地を売れとうるさく言い寄り、勝手に薬草畑を掘り返し、果ては売らねばどうなるかと迫ってきた。
 未世子さんは強く首を振った。
 いつものようにスープの渦を見つめているうち、心の煩わしさが消えていく。そうして体も軽くなる。
 青く沈む眠りの街を高台の家が静かに望み、そこから影が浮かび出た。北風に月の光を返してなびく白髪。

 未世子さんは魔女になりたかった。

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