ろくでなし

和七

「張って悪いは親父の頭、張らなきゃ喰えねえ提燈屋って啖呵売があるが、あれは良くできた口上だよ。俺の親父は禄にはぐれたろくでなし、やくざなシノギで活計を立ててた貧乏侍。侍たってねえ、ケチな抱席よ。さりとて士分は士分。なのに野郎ときたら、糊口凌ぎに御家人株を売っ払っちまったてえんだから始末に負えない。お陰で俺が十四の刻に南無阿弥陀仏の六文字になって、家督もそれきり。涙のひとつも流すかってえ場面だが、頭のひとつも張らなきゃ気が済まねえ。俺はくたばってるのをいいことに、親父の頭をペチッとやったね。そしたら誰も居ねえはずの土間から『痛てえ』なんて声が訊こえてきたから驚いた。試しにもう一度ペチッとやったら、今度は木戸の心張棒がパタッと外れやがった」男はそこまで噺すと嗄れた喉を麦湯で潤した。それでも胸の悪くなるような胴間声は治まらない。「今にして思えば、辻風がピュと吹いて戸をガタガタッと揺らしたきりなんだろうけど、それが怖かったのなんの。化けて出たなら拝み倒して成仏させちまえばいいが、粗忽長屋の熊五郎みたように、手前がおっ死んでるとも知らずにひょっこり戻ってこられたんじゃ堪らねえ。その刻俺は思ったね、間違っても親父の頭は張っちゃなんねえって」
「からすにすら反哺の考があるっていうのに手前ときたら。まったく、からすに嗤われるぜ」
 そういって四方山話を引き取ったのは、由蔵という賭場の中盆。嗄れ声の方は灰汁助と名乗る一本独鈷の壺振りだ。これから二人連れ立って瑣末事を片しに往くという。茶屋の葦簾をくぐった灰汁助は、出会い頭に餓鬼とぶつかった。
「どこに目え付けていやがんでえ、このすっとこどっこい」
「そっちが突然出てきたくせに」
「生いいやがってこの糞餓鬼」
 灰汁助は拳骨で餓鬼の頭をポカリとやった。見るから利かん気な餓鬼は、頭を摩り摩りはっと我に返る。
「そんなことより姉ちゃんが攫われたんだ。後生だ、助けておくれよ」
 訊けば、親父が拵えた借金の形に連れて往かれたという。方々駆けずり回って工面した御銭ではこと足らず、息金がまるまる残った。貸し手は素金貸しだろう。三、四十両で月一分の月息金なら月並み、二十両で月一分なら罪咎だ。いずれにせよ、元金を返したきりでは勘弁しちゃくれまい。
 誰に攫われたのかと訊ねたら、橘一家の栄作だという。
「おいおい、そいつは素金貸しでもなんでも無え、ただの稼業人じゃねえか。性質の悪さじゃ五両一の座頭金とどっこいだぜ。そんな処から御銭を借りるなんざ、お前の親父はとんだぽんすけだな。こりゃあ娘も浮かばれねえや」
 拱手傍観と決め込んだ由蔵は取り付く島もない。翻って、何にでも首を突っ込まずにいられないのが灰汁助の性分。こんな噺を訊いて黙っていられるはずがない。
「そいつはどこへ往きやがった」
「これから賭場に往くって」
「橘のといえば下谷の稲荷だな。袖触れ合うも多生の縁、どうせ乗りかかった舟だ、往き掛けの駄賃に貰ってくかい」
「往き掛けも何も、下谷は方向があべこべだよこの唐変木」
「細けえこたいいんだよ。このまま見過ごしたら冥利が悪いじゃねえか。なあに、四半刻もあれば埒が明く。追っ付け往くから、先に始めててくんなよ」
 いうが早いか、雪駄の尻鉄を鳴らして下谷に走る。
 賭場に着くといの一番に胴元へおとないを入れた。
「賭場に餓鬼なんざ連れてきやがって、厄介事はご免だぞ」
 ここで正直に事の往く立てを噺したところで叩き出されるのが関の山。だが標的は橘ん処の若い衆だ。ここいら辺りを庭場にして、我が物顔でのしている香具師の連中を、かねがね目障りだと訴えていたのは誰あろう胴元その人だ。
「胴元、橘の鼻を明かす好機でござんす。決して迷惑はかけやせん、ここはひとつわっちに預けちゃ貰えやせんか」
 橘の、と訊いた胴元はフンと鼻を鳴らすと「他の客人に迷惑かけんなよ」といって目を瞑った。
 灰汁助は代貸を捕まえて様子を訊ねた。賭客の勝ち負け懐具合を探るには、駒札を預かる代貸に訊ねるのが一番だ。
「ありゃあ駄目だね。なんでも泡銭が入ったとかで滅法界気が大きくなっちまって、てんで場が見えてねえ」
 泡銭とは餓鬼の親父からせしめた取り立て金に違いない。灰汁助は餓鬼を伴って栄作の傍へといざり寄った。
「兄さん、随分と大かぶりしてるみてえじゃねえの」
「誰だ手前、大きなお世話なんだよ、どっか往きゃあがれ」
 栄作がシッシと野良犬を追っ払うように手を振ると、傍らでさめざめと泣いていたおぼこ娘がはたと顔を上げた。
「十三郎!」
「手前は八五郎ん処の倅じゃねえか。こんな処までのこのこ追っかけてきやがって、残りの金子でも持ってきたかよ」
「そのことで兄さんにちょいと頼みがあってね」
「頼みだぁ? 厭だね、断る」
「人の噺も訊かずに断るとは通りの悪い野郎だね。手前それでも江戸っ子かい、粋じゃないね、このうすらとんかち」
「いいやがったな、こいつ」
 神田の水がそうさせるのか、忽ち喧嘩が始まる。がっぷり四つの掴み合い。したが、灰汁助は体もでかいが声はもっとでかい。覚えがあるのは腕っ節より、口っぱたきだ。
「取り立て金を鉄火場で溶かした揚句、金糞放って焼糞たぁ、糞にまみれた手前の尻にそれこそ火がつくってもんよ。なんなら橘の庭主をここに呼んできてその臭え尻を拭かせたって構わねえが、それじゃあつまらねえ。そこでだ、俺と差しで勝負しねえか。手前が勝てばここまでのへこみはちゃら。但しこっちが勝ったら娘は返してくれろ。どうでい、悪い噺じゃねえだろう。ただ俺だって、夜鷹がチュウと鼠鳴きを始めるまで待てるほどお人好しじゃねえ。この後ちょいとした野暮用も控えてる。さぁ、やるのかやらねえのか、とっとと決めつくんな!」
「耳元で喧々与太飛ばしやがって、厭な野郎だね手前は。全く胡散臭い噺だよ。だが可笑白え、その噺乗ったぜ」
 勝負は手っ取り早く、でかい目を出した方の勝ち。栄作は壺振りから賽子を引っ手繰ると、なおざりに放った。出目は五。栄作は勝ちを確信し、満足気に口元を緩めた。
 十三郎は奪衣婆のしわしわな乳みたような眼で賽子を見据え、娘の顔はそこに並ぶ亡者のごとく景気が悪い。
 灰汁助は力士が切る手刀みたような手捌きで賽子を拾い上げ、心配無用とばかりに胸をドンと叩いた。そして「お前が振るんだ」といって手垢にまみれた賽子を手渡した。
「そんな無責任な」
「無責任はどっちでい。男なら手前の尻は手前で拭きやがれ。それとも、手前の股座にぶら下がってるそいつはドジョウかなにかかよ」
 青白い顔で俯いていた娘の頬がさっと朱に染まる。なあに恥ずかしがるこたねえ、どうせすぐに慣れますよ。
 十三郎は不承不承で受け取り、願掛けのまじないに酒の玉をひと握り。意を決して腕を振ると、賽子がふうわりと宙に舞う。娘はその行方をしっかと見つめている。盆茣蓙の上で弾かれた賽子はくるりと回転し、そして――。
 手前らの手合いそっちのけで集まった賭客連中の感嘆が遠雷みたようにどよめく。出た目は、六だ。
 灰汁助は賽子をさっさと拾い上げ、もう一度胸を叩いてどんなもんでいと勝ち鬨を上げた。
「十三郎、お前の勝ちだ。姉ちゃん連れて帰えるぞ」
 賽子を壺振りに返すと、長居は無用と転がるように賭場を出る。外は入り日に燃された雲が茜に染まり、暮れ躊躇いの空に宵闇の藍が滲んでいる。急き勝ちな幽てきなら、うっかり顔を出してもおかしくない頃合いだ。押っ取り刀で実盛坂へ駆けつけないと、由蔵にどやされる。
「よお娘っこ、今日のことはすっぱり水に流して、明日からまた孝行してやんな。忘れてやるのも実意のうちよ」
 娘は深く頭を下げてそれに応えた。灰汁助は十三郎に向き直ると、懐から何やら取り出した。それはどの面にも六の目が彫ってある、古びたいかさま賽だった。
 ろく(六)の目ばかりの賽ならば、ろく(禄)にはぐれることはなし。禄を貰う身分は失えど、喰いっぱぐれのない渡世を送るための願掛けに持っていた賽だ。
「俺がさっき振ったのはもしかして――」
「いいか十三郎、男なら忘れちゃなんねえこともある。その賽はお前にやるから、それを見る度に今日のことを思い出すんだ。いくらろくでもなくたって、親父は親父。お前はただ、親父と同じ轍を踏まなければそれで良い」
「わかったよ、でも、帰って父ちゃんの頭のひとつも張らなきゃ腹の虫が治まらないや」
「それだけはやめとけ!」
 灰汁助の耳障りな胴間声をあざけるように、からすがカァと嗤ってねぐらへと翔けて往った。

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