あなたの言う「世界」は誰の思い通りでもないから、あなたの認識する世界でやればいい

一兎

 彼女の弟は齢をとらなくなった。だから、彼女は医者を目指すのを辞め、弟を「作る」ためにエンジニアを目指すことにし、編入先の大学でシステムバイオロジーを専攻することにした。そこで彼女が出会ったのが、教授である「先生」であった。

 先生はドラえもんに夢を与えられた人間の一人で、彼女に対し「ほんやくコンニャク」の実現性を語った。先生の年齢は彼女と干支一回り以上違うのだが、彼女は先生のことを少年のようだと感じた。
 仮にほんやくコンニャクが実現したらなんだというのだ。彼女はその話に共感することはできなかった。彼女は先生に対し、私はコンニャクではなく人間が作りたいと言った。

 先生は、じゃあ人間の作り方を教えてあげようかと言いかけたが、気恥ずかしくなり、君のやりたいことはバイオインフォマティクスの方がうまくいくかもしれないと苦笑いしながら言った。そして、持論を続ける。

――僕はコミュニケーションを円滑にするには人間が日常的に使っている手段である「言葉」での会話が直感性に優れていると思っていたし、僕はもともと工業系出身の人間だからそれをエンジニア的に考えていて、音声認識と変換でクリアできると考えていた。だけど、知識を身につけたら、言葉よりも「電気」の方が良いという結論に至った。だから、今ここにいる。

 先生は、言葉で説明を聞くのは飽きただろうと言いながら、彼女を研究室から実験室へと案内した。
 実験室で先生は研究の成果を彼女に提示した。それはリモコンで動く鳥であった。
 先生、この鳥は生きているんですかと彼女は訊いた。先生は、もちろん。興味を持ってくれてありがとうと嬉しそうに言う。

――この鳥は自分の思うように飛ぶことも飛ばないこともできる。だが、それに反してこのコントローラーで飛ばすことも飛ばさないこともできる。原理はシンプルで、脳波相当の電気を流しているだけだ。脳波を分析して、それを機械で擬似的に作り出す。僕の研究室ではこのように、生体の分析とそれを基にデバイスを作成することの両方をやっている。

 彼女は何も言わなかった。先生はその反応を見て何か質問があるかと促した。
 彼女は、先生にとって生きるとはなんですかと訊いた。先生は、そうきたかと言い、もし倫理的な話であれば別の機会に話すとしてと前置きのうえ、生きるってのは良く分からないけど、生きているってのは電源が入っているってのと大差ないんじゃないかなと言った。
 先生は少し間をおいて言った。

――でもさ、生きているんだったら楽しいほうがいいじゃん。僕にとって楽しいっていうのはさ、やっぱ人と人との出会いだね。それが一番刺激的だと思うよ。通じ合えるというか、分かり合ったり、分からせたりする瞬間が楽しい。

 彼女は無表情で、では私はここで電源が入らなくなった人間と通じ合える技術を研究しますと言った。先生は、なるほどねと言った。その表情は自信に満ちていた。

 先生と彼女は以来、長い時間を共有することになった。データの採取もその分析も幾度となく繰り返した。何かが分かったような気がしては、何も分からなかったことに気付く。彼女は知識が身についていることを感じながらも、自分の実現したい目標へ近づいているとは思えなかった。
 だから、彼女はここでの研究をやめたいと先生に言った。先生は無表情だった。彼女は、先生はなぜこの研究に取り組もうと思ったのですかと訊いた。先生は答えた。

――昔、僕が子供のころ、犬を飼っていた。ある日、そいつは死んだ。そいつが死ぬ前に最後に見ていたのは僕だと思う。なぜなら僕はそいつを見殺しにしたからだ。苦しんでもがいているのに、僕は何もできなかった。何に苦しんでいるか分からない。その時、僕は言ったんだ。どうすればいいんだって。何度も。通じるわけがないのに。だから、言葉が通じれば解決できる問題もあると思ったんだ。

 その日の先生の語り口はいつになく淡々としていた。

――犬の言葉は分からないだろう。だから、その音声を変換して理解できる言葉にしたかった。でも、はたして犬は音声として言葉を発しているのだろうか。そう考えたときに電気に行き着いたんだ。

 それに対し彼女は言った。

――先生、私は、自分の亡くなった弟を生き返らせたいと考えていたんです。だけど、どれだけ学ぼうとその方法に近づけないんです。私は医者を目指していました。今は医者になれば良かったと後悔しています。なぜなら、私の手で救えた命があったはずだからです。ここでやっていることは誰かを救えますか。人は死んだら生き返らない。私はそれを受け入れなければならなかった。

 先生は無表情だった。では、少し考え方を変えることだ、と先生は言った。

――今、君の弟がどこにいるかを考えればいい。天国なんて概念は無宗教者だから良く分からないけど、確実にいる場所から見つければいい。

 死んだのだからどこにもいないと彼女は言った。
 先生は、それは思考停止だよと言った。

――君の頭の中だよ。作り出すことに固執しなくとも、そこに直接アクセスすればいい。

 先生は彼女を実験室に連れて行き、そこで機材を取り出した。先生は、これはデータ採取の際に使用するデバイスに形状こそ似ているが、脳に対し直接操作を加える別物だと言った。

――どういう気分かと訊かれると、ふんわりというか、大げさに言えば肉体から魂が解放されるって感じ。手も足も使わないのに触れることも歩くこともできれば、肉体は不要だ。むしろその肉体という制約のせいで体験することのできない経験を脳に分からせることができる。

 先生はいつもの自信に満ちた表情を取り戻していた。彼女はその機材を取り付けてもらうことにした。

 そこは仮想現実であった。そこは自分の脳内であり、自分の全知の世界でもある。
 彼女はそこで弟を探すことにしたが、その必要はなかった。言葉がなくても、情報を直接的に理解することができる。
 そこではほんやくコンニャクがなくても、動物も、植物も、その他生物も、非生物もボーダレスにコミュニケーションを取ることができる。これが収斂したコミュニケーションの可能性なんだろう。あらゆるものが彼女の手の内にあった。

 彼女は弟と再会した。抱き合い、語り合う。現実ではないはずなのに、確かに弟はそこにいて、それを彼女は理解することができる。

 先生の研究は正しかった。ありがとう、先生、ありがとう。さて、現実に戻ろう。そして、またこの世界に遊びにこよう。しかし、彼女は全知であるはずなのに現実への戻り方が分からない。

 そう、彼女は齢をとらなくなった。
 彼女は彼女の思うまま永遠に戯れ続ける。

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