しゃぼん玉と豆腐

樹莉亜

 男が三人、雁首を揃えて目の前の大皿を見下ろしている。皿の上には豆腐が一丁。紅葉柄の焼き印が押されたそれは、遊里の名物であった。
「こいつは紅葉豆腐ってぇやつじゃねぇか。俺ぁいっぺん食ってみてぇと思ってたんだ」
 いつも調子の良いことばかり言う油売りの八助が舌なめずりする横で、真面目を絵に描いたような納豆売りの熊吉が眉を顰める。
「こいつはどうしたんだ、矢次郎?」
 矢次郎と呼ばれた男は神妙な顔つきで、こう言った。
「実は、さぼんと取り替えてな……」
「さぼんが豆腐に化けたってぇのか?」
「ああ、化けた。いや、化かされたのかもしれねぇ」
 一つ大きく頷いて、矢次郎は事の次第を話し始めた。

 矢次郎はしゃぼん玉を売り歩く行商人である。その日は景気が良く、いつもの寺社が並ぶ通りを練り歩いただけで、縁日に集まった人々によく売れた。
 新緑が眩しい、よく晴れた日であった。
 昼前にはいつもの売り上げの倍を稼いだ矢次郎は、気を良くして少し遠くに足を延ばした。
 看板代わりに宝珠の玉が描かれた傘をさし、首から下げた紐付きの箱にはムクロジの実から採ったしゃぼん液と、藁の管が入っている。「玉やぁ玉やぁ~」の売り声と共に、しゃぼん液の付いた藁管を吹くと、丸く膨れたしゃぼん玉が初夏の空へ舞い上がる。
 辻から辻へと売り歩き、いつの間にか矢次郎は堀川にかかる橋に出た。川向こうにも町があり、橋から続く大通り沿いには店が建ち並び、人通りも多く活気に溢れていた。
 矢次郎は迷わず橋を渡り、通りに向かった。
「おい、あんた雨でもねえのに傘さしてんのかい?」
 不意に声を掛けられて振り返ったが、それらしき人物は居らず矢次郎は首を傾げた。足下に目をやると、犬ほどもある大きな蛙がこちらを見上げている。ヒッと息を飲み後退りしたが、ぴくりとも動かない蛙はどうやら良くできた作り物のようで、矢次郎はほっと息を吐いた。
「なんでぇ、おどかすな」
 独り言ちて通り過ぎようとすると、ゲコ、と蛙の鳴き声がする。振り返っても大蛙は先ほどの姿のまま。気のせいかと思い、裏の長屋に続く木戸をくぐる。木戸の隣にある古手屋の前では店主と思しきずんぐりした男が浪人風の男と立ち話をしている。その店主の着物の裾から茶色いふさふさしたものがちらりと見えた気がして矢次郎はもう一度目を凝らしたが、店主の足が見える以外は何もなかった。井戸端では女たちが雑談に花を咲かせている。矢次郎は女たちと愛想良く挨拶を交わし、しゃぼんを吹いた。路地で遊んでいた子供たちが忽ちに寄ってきてしゃぼん液と藁管を買い求める。
 子らはその場でしゃぼん玉を吹き始めた。
 昼下がりのひととき、日の光に照らされて錦に輝く泡玉がふわりふわりと舞い上がる。清々しい風が吹いて、しゃぼん玉を青い空へと運んでいく。
 ふと気付くと、木戸の下に小僧が一人立っていた。筍の皮を編み込んだ笠を被り、縁起物の器物の柄の着物を着た、やけに頭の大きい子供であった。両手に持った盆には紅葉の柄を焼き付けた豆腐が一丁乗っている。しゃぼん玉を飛ばして遊ぶ子供たちから少し離れて、風に乗って流れる五色の泡玉を眺めていた。
「どうした、坊や。こっち来て一緒に遊ぶか?」
 矢次郎が声を掛けると、小僧は我に返った様子で首を横に振り、大通りの方へと踵を返した。

「そりゃ豆腐小僧だな」
 矢次郎の話を遮って、八助が訳知り顔で頷いた。
「たしかあの辺りにゃ妖町(あやかしまち)があるってぇ噂だからな。なぁに、豆腐小僧ってのは豆腐を運ぶだけの妖(あやかし)さ。大した悪さはできねぇよ」
 八助の言葉に、熊吉が訝しげに眉を寄せる。
「なんで妖って話になるんだよ、ただの小僧だろうが。おおかた小遣いが足りなくて、さぼんが買えなかっただけじゃあねえのか?」
「俺もその時はそう思ったんだよな……」
 矢次郎はそう言うと、深い溜息を吐いた。
 妖町は、「その町のものは皆、妖(あやかし)か妖憑き(あやかしつき)」と言われるほど、不思議な噂の絶えない町であった。正式な町名は別にあったが、妖町という俗称の方が話の通りが良かった。だが八助などは調子良く、「ろくろっ首の後家さんに油を売った」などと言い、一方で熊吉は納豆を売りに何度となくその辺りを歩いたが、一度も妖など見たこともないと鼻で笑ったりする。実体のよくわからない町であった。
 黙り込んでしまった矢次郎に、熊吉が声を掛けた。
「それで、この豆腐はその小僧のもんなのか?」
「ああ……」
 一つ頷くと、矢次郎はまた話し出した。

 日も傾き、その日の商売を終えた矢次郎は町を後にして元来た橋を渡っていた。すると向かいから先ほどの豆腐を持った小僧が、どこか気落ちした様子でとぼとぼと歩いてくるのが見え、思わず声を掛けた。
「どうした、坊や。まだおつかいしてんのかい?」
 そろそろ日も暮れようという刻限であった。二人の長い影が橋の上に横たわっている。
「おいらまにあわなくて……」
 小僧は消え入りそうな声で言うと、べそをかいた。
「もういらないって、すてちまえって」
 泣き出した小僧を宥めながら話を聞くと、祖父たちの寄り合いに豆腐を持って行く筈だったのだが、行ってみたら既に寄り合いは終わっていたので、持って行った豆腐も用がなくなったというのだ。どうやら話し合いが早々に物別れに終わって、小僧の祖父も機嫌が悪かったらしく、小僧はそれを自分が遅れたせいだと思ってしまったようだった。
「それじゃぁ、その豆腐はいらねえのかい?」
 頷く小僧に矢次郎は、一つ売れ残ったしゃぼん液を差し出した。
「じゃあ、このさぼん液と取り替えっこしてくんねえかい?」
 そう言うと、小僧はぱっと顔を輝かせ何度も頷いた。
 そこへ小僧を呼ぶ女の声がした。小僧は豆腐としゃぼん液を交換すると、急いで声のした方へ駆けていった。小僧の母親と思われるその女は矢次郎に会釈すると、小僧の手を引いて町の中へと戻って行った。
 己も帰りかけた矢次郎は、ふと小僧の名を聞こうかと振り向いて、見てしまったのだ。蛇のように長く伸びた女の首を。

「ひえっ、そいつぁろくろっ首じゃねぇか」
 八助がぶるりと身を震わせ、熊吉もむむ、と唸った。矢次郎は二人に縋るような目を向け、訊いた。
「この豆腐、食っても平気だと思うか?」
 三人は黙り込んだ。暫くそうしてから八助が、「よし」と、気合いを入れる。
「いいか悪いか、食ってみなけりゃわからねぇ!」
 己の分を取り分けて、思い切って口に入れた八助は、「こいつはうめぇ」と声を上げた。つられて熊吉と矢次郎もそれぞれ豆腐を口にして、なるほど美味と喜んだ。
 一度味わうと止まらなくなるのか、三人はあっという間に豆腐を平らげた。
「ああ、うまかった。これなら化かされても文句はねぇ」
 八助が調子の良い事を言い、熊吉は体のあちこちを触って確かめている。
「なんともねぇようだな。やっぱり妖なんていやしねぇのさ」
 どうやらなんともなさそうだと、三人はそれぞれの家に帰って良い気分で床についた。
 その夜遅く、豆腐を食べた三人の首から上が胴を離れてふうわりと長屋の屋根の上を飛んで行くのを見た夜鷹が腰を抜かした。

 その町には、奇妙な生き物と一寸変わった人々が住むという。誰ともなく、そこは妖町(あやかしまち)と呼ばれていた。



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