ビールとか吸血鬼とかお月様とか

ムラサキハルカ

 ある夏の日、大学のサークルの飲み会で訪れた飲み屋で、葉子は一人ビールを呷っていた。なんこつやら塩辛やらを挟みながら、数杯を飲み終えて、大分、ふわふわとした感覚が広がりはじめて気分が良くなりはじめた時、
「実は僕、吸血鬼なんだよね」
 いつの間にか、目の前の席に座っていた銀髪の男がそんなことを言いだした。はて、こんな人知り合いにいただろうか。葉子の記憶の中のサークルメンバーには、こんな目立つ色の髪をした白い顔の男はいなかった。とはいえ、アルコールで警戒心が薄れていたことや男の顔が好みだったこと、そして単純に男の与太話をおかしく思ったからか、葉子は特に躊躇うことなく、話しの続きを促した。男は雰囲気作りのためか、グラスに入った赤ワインに口をつけている。
「かれこれ四百年くらい生きてるんだけど、そろそろ新しくて可愛い眷族が欲しいと思ってね」
 話によれば先代の眷属がちょっとした事故で亡くなってから数十年間、その主である男は喪に服していたというわけではないものの、なんとなく後任を作る気にならなかった。それがつい先日、そろそろいいだろうと思い立ち、いい眷属になりそうな女を捜しはじめたという。本当に悲しそうにしているあたり、作り話だとしても、身内がなんらかの不幸にあったのは本当なのかもしれなかった。葉子はそう考えつつ、じゃあ私はあんたのお眼鏡にかなったわけ、などと聞き返す。普段だったら、我ながら図々しいと感じるような物言いをしてしまうあたり、少しばかり気が大きくなっていた。
「まあ、そういうことだね。それで、どうかな。それなりの待遇は保証するつもりだけれど」
 などと言い添えてから男は、眷属になった際の話しをはじめる。まず良い面として、住居はそれなりに大きな館であること、男とともにいるかぎり生活費や娯楽費は気にしなくてもいいこと、不慮の事故にでも遭わなければ死なず外見も若いままであること。逆に悪い面は、眷属になるためにはこの男に血を吸わせる必要があり、そうした場合に夜しか出歩けなくなること、三大欲求をはじめとした感覚が鈍るため以前ほど人間らしい行為に感動を覚えられなくなるかもしれないこと、寿命や外見が変化しない関係から人間社会で暮らしにくくなること、そして定期的に人の生き血を吸わなければならなくなること。
 あまりにもさらさらと話されるそれらしい事柄を葉子は面白おかしく思いながら、吸血鬼って欲しいものはもっと強引に手に入れるものだって思ってた、と口にする。男は、そういう吸血鬼もいるだろうね、と他人事のように前置きしたあと、
「ただ、何十何百年と一緒に暮らすことになる相手なんだから、ある程度納得してもらったうえじゃないと快くは暮らせない気がするんだよね。これも教えておくけど、僕が君の主になった場合、君に無理やり言うことを聞かせる能力や、君の記憶を自由に消すことができる能力を持ちもする。ただ、仮にそういった能力を使って、君の記憶には残らないようにしたとしても、僕の中に後味の悪さが残るから、たぶん、使わないんじゃないかなって思うんだ」
 そう言ってみせた。どことなく感情に乏しい言い方のせいで、いまいち本気なのかどうかはわからなかったが、吸血鬼にしてはえらく人間らしい考え方だった。たぶん、冗談だけど。そんなことをぐだぐだと考える葉子の目の前で、男はちびちび舐めていたワインを一気に飲み干してから、長く伸びた犬歯を剥きだしにする。
「それで、君はどうしたい。僕の方は不慮の事故でも起こらないかぎりたくさんの時間があるから返事は急がないよ。ただ、欲を言えば、若く美しいうちに眷属になってくれると嬉しいかな」
 付け加えられた男の言葉に俗物っぽさを感じながら、葉子は、さてどう答えるべきかと首を捻る。酒の席の冗談なのだろうから、さほど真剣に答える必要はないのかもしれなかったが、こういう場ではできうるかぎり愉快なままでいたい。そう思いながら、葉子は、男の言葉が本当であったらという前提で考えを進めていき、やがて、顔をあげて人差し指を立てる。
 じゃあ、お友だちからっていうのはどうかな。
 目を丸くする男に、葉子はほくそ笑んだあと、色々と相性をたしかめてからでないとなにが起こるのかわからないんだから何度か会って話してみるべきじゃない、と主張した。男は、すぐに、それもそうだね、と頷いてみせたあと、掌を差しだしてくる。
「じゃあ、お友だちからよろしくお願いします」
 薄い笑みを浮かべた男のどことなく畏まった口ぶりにおかしさを覚えつつも、葉子は、喜んで、と手をとった。

 それから今日まで、葉子は男との逢引を何度か重ねている。季節は既に秋に移っていた。男が機械との相性が悪いだとかいう理由で携帯電話を持っていなかったため、約束の日取りは次の三日月の日だとか曖昧な口約束でかわされた。おかげで、今まであまり気にしていなかった月の欠け方に詳しくなったりした。
 今日も今日で、満月の下、最初に会った酒場の近くの公園で待ち合わせをしていた。
「待ったかな」
 いつの間にか、男は肩に小さな蝙蝠を乗せて葉子の隣に座っている。なにもないところに急に現われたように見えるため、いまだに少し驚いてしまう。その反応を隠そうとして、今来たばかり、などという決まりきった返事をしてしまい、よりぼろが出てしまった。
「そうか、それは良かった」
 男は薄く微笑んでから、ビニール袋をそっと差しだしてくる。受けとると、中には冷えたビールが入っていた。せっかくだから、お月見をしようというのが、今日の趣旨だった。葉子は袋の中から缶を一本受けとると、持ってきた鞄からお月見団子の入ったタッパーを取りだす。
「もしかして、葉子さんの手作りかい」
 期待しているようなしていないような問いかけに首を横に振ってから、近所のスーパーで売っていたと答えてプルタブを開く。男は葉子の返答に、そうなんだ、と応じたあと、缶入りの赤ワインを取りだし、
「乾杯」
 短く告げてから、ビール缶にぶつけた。缶越しに押された際の力強さから葉子は、やっぱり手作りにして欲しかったのだろうか、などと感じつつ、冷たいビールに口を付ける。その慣れ親しんだ苦味とほのかな甘みに頬を緩めながら、月光に照らされた男の顔を流し見た。
 お友だち、になってから今日までなんとなく付き合い続けてきて、冗談だと思っていた男の話が実は本当なのではないのかと、葉子は薄っすらと思いはじめている。少なくとも大きな屋敷はたしかにあり、その中でご馳走を振る舞われ、以前の眷属だという若い西洋人の女性の写真を見せられもした。突然なんの前触れもなく視界の中に現われたり、やたらと蝙蝠が寄ってきたりするあたりにもなんとなくそれらしさが漂う。少なくとも今のところの男の話に破綻はない。これでもしもスケールの大きな冗談であるならば、それはそれでよくやるものだと褒めたくなる。
 仮に話が本当だとして、あらためて男の問いかけについて考えてみる。もしも、出会った日の話が本当なのだとすれば、眷属になったあとのこともあの日の酒場で話した通りなのは疑いようがない。少なくとも、今まで付き合ったうえで男は無意味な嘘は吐いてこなかったのだから信じられる気がした。男と過ごすのは楽しいし、提示された条件もそれなりに魅力的ではある。ただ、今の人間生活を捨てるほどかといわれればそこまでではない。結論として、とりあえずはお友だちのままいましょう、というのが一番都合が良く心地良かった。
「今宵の月はいつにまして輝いて見えるね」
 そう言った男の犬歯から垂れる赤ワインが、月明かりに照らされ光る。その牙が首筋に突きたてられる妄想をしてから、痛いのかそれとも気持ちいいのか、などと考えつつ、ビールを一口含むと、その味はいつにもまして甘く感じられた。

感想を投稿する
ログインする※ログインしなくてもコメントできます!
コメントするときにログインしていると、マイページから自分が付けたコメントの一覧を閲覧することができます。

名前は省略可。省略した場合は「匿名希望」になります。

感想の投稿には利用規約への同意が必要です。