K.P.Wars 或いは堂廻の目眩

木野目理兵衛

 ヤクザな蝶々が嵐を呼んで、桶屋の王が産まれ出た。
 これは経済学の話である。
 だが、マクロに過ぎて解り難い、そのご指摘は尤もだ。
 視点を少し、もう少しだけ、ミクロの方へ寄せて見よう。
 偶然と蓋然、この世の全てと言っていい〈運気〉に護られた王国の、白亜の壁に用は無い。その〈運気〉の大元を支える下々へ、戦場の過半、地上の過半と化した廃墟の群れへ、尖兵たる武装サラリマンの方へと向けて見よう。
 ヴィンス・ポンドが、片腕を抑えて呻いている。
 襤褸漆喰の物陰、彼は腰を降ろして身を隠しながら、溢れ出る鮮血を食い止めんと、強く強く、傷を抑え込む。
 それでも指の合間から流れ続け、シャツを汚しながら地面に滴り堕ちる赤に、お上の連中とは無縁の色彩に、悪態だって零れ出る。蝶々が何だ、クソッタレめ。
 大体そもそも、ヴィンスの身体に傷を負わせる、それ自体が可笑しいのだ。程度の問題等、問題では無い。彼の周囲を取り囲む不可視の障壁は、この世で最も堅牢な代物であり、それを突破し得るとすれば、同種の、だが、より以上のものしか有り得ない。脚元を見やれば、断片的に朱に染まる混凝土の断片が転がっている。これがその証左という訳だ。如何にして? そんな事は知ったこっちゃ無いし、知る気も無い。跳弾やら力学やら何やらを駆使した、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの一要素を検討したとて、詮無き事。重要なのはその基点、起点であり、要するに、奴さんの〈運気〉の方が上回っていた。それ以上でも以下でも無い。全く。蝶々が何だ、クソッタレめ。
 ニコチンとその他諸々で汚れ切った唾を吐き捨てながら(〈運気〉は傷病にこそ意味を持つ。肺がんの危険性? 元が零なら関係無い。お生憎様っ)、ヴィンスは薄汚れたビジネススーツの胸元を漁り漁り、まずは各種膚板の入った皮革のケースを、それから本物の兎より拝借したフワフワお守り付き円筒形プラスチックケースを取り出した。
 上着を脱ぎ、シャツを捲り、止血が主の応急膚板を傷口に張る。副作用や後遺症の類とは無縁の治癒に、痛みが波と引いていく様に人心地付けてから、円筒の蓋を慣れた手付きで外し、ラビット・フットが暗示するその中身、だがより以上のフワフワモコモコなる毛玉を掌の上に乗せる。
『ヤクザな蝶々が嵐を呼んで、桶屋の王が産まれ出た』
 その時、ヴィンスの脳裏に過ったのは、最上級のファウンデーションに寄って象られし天上のファウンデーション、盲る白の輝ける王国、株式会社〈華翁〉総務部調査課係長、つまりは彼氏直属の上司に拠る有り難い御言葉であり、
『下らない言葉遊び、けれど真理を示してもいる。学の無い貴方にも分かり易く言えばね、ヴィンス、誰かが蝶々に成らなければならないという事。そして王は一人では無い』
 積み重なる白粉の第一層、深層とは比べくも無い程に軽やかな存在、とは言え何の変哲も無い一介の武装サラリマンに取って、それは女神の託宣にも似た重きを誇るもので、
『一つでは、と、言うべきかしら? そんな事はどうでも良い事。良くない事は、蝶々もまた然りという事よ、ヴィンス、それが貴方のお仕事。分かっているとは思うけれど』
 銀の皿の上に山と盛られた運命入りクッキー、その中から幸運の予言だけを選び取りつつ、元そこいらの不幸難民は、分厚いナチュラルメイクに覆われた年齢不詳女のお話を、バリバリムシャムシャ、ゴックンと呑み込み、鷹揚に、と言うか、阿呆面で頷いていたものである。何も知らず、知る気も無く、秘める〈運気〉の埋蔵量に、開発されるに足る代物に我が眼と脳髄、自由意志とを奪われたまま、
『分かっているとは思うけれど、ね。詰まる所は、経済学。出すものを少なく、得るものを多くの、基本も基本。だから貴方を雇い入れ、だからお給料を支払います』
 そんな目脂バッチシの眼に飛び込むのは、化粧に縁取られた神仏の微笑みだが、その仮面の裏側には種々様々な嫌悪が、それと同じか、或いはより以上の憐憫が篭っていて、
『だからそう。余り無駄遣いはしない事よ、私の蝶々』
 クソッタレめ、と、声無き声でヴィンスは呟く。
 そして彼は、現在の彼は、最上級のケセラン・パサランを呑み込んだ。
 バリバリムシャムシャ、ゴックンと、だ。
 途端に広がる、見た目に反した金属質の味わいに、思わず総毛立たせながらも、同時に膨れ上がる多幸感(二重の意味だ)に、更に思わずニシャリと笑う。笑って見せる。
 神仏とは縁遠い、凶相に通ずる面構え。だが、構うものか。全ては帰ってから、帰れたらの過程で、内に満ちる〈運気〉を奮い立たせ、運命の女神の一人や二人、三人揃って激しくファックでもしてやらなければ、鬱陶しい廃ビルこそが墓碑と成るだろう。嵐を呼ぶにも億劫な、数十年間微動だにしない、石屑の塊。蝶々が何だ、クソッタレめ。
 彼はそっと立ち上がり、硝子無き窓の正面に堂々と立つと、外の様子を伺った。本来であれば、XD6=六面ダイスを気の済むまで振り続けて見る所だが時間が惜しい。
 経過したのはほんの数分かそこらか、だが相手も同じ、類稀なる〈運気〉の担い手ならば、何かをするには充分過ぎる。であれば寧ろ、我が身を信じて仁王立ち、その出方こそ伺ってやれ。そしてあわよくば、隙を突いてファックにもつれ込む。緑色に淀んだ瞳がくすりと微笑み、ヴィンスは周囲を見渡した。特別な物等、何も無い。何一つ無い。コピー&ペーストされた、かつてのジグラットをだ。
 その一つに、彼はお目当ての人影を目撃した。
 斜向かいの同じ階層、崩れた内装も殆ど変わらない、と、認めた所で別の物に気付き、ヴィンスは慌てて飛び出した。
 天上に瞬く僅かな輝き。普通であれば見落としていたに違いない。ファウンデーションの一つか、シャトルロケットか。だが違う。そうでは無い。窓から飛び出し、地面へ向けて墜ちながら、彼の脳裏に懐かしい名が蘇る。今やこの地上に無き国家の、地上に無き首都の数々。穿たれたクレーターの大きさだけが、在りし日の姿を証明する街並み。
 間に合うか? 分からないともっ。だが、既に大地は眼前に、ヴィンスの身体は我知らぬ五点着地を華麗に決め、その勢いのままに、入り口へと飛び込んでいた。
 どれ程の〈運気〉があれば可能か、想像も付かない。それだけ本気という事ならば、せめて近くに居た方が良い。
 三段飛びに階段を駈けずり、崩落する踊り場を、廊下を何事も無く超えて、目当ての部屋に一発で辿り着けば、無数の銃弾がその身を掠める。だが当たらない。一発たりとも。良い傾向だ。薄汚れたスラックスの後腰より、ナイフを抜く。目標は、黒フードの如何にもなる工作員。〈ビーナス〉生粋の信徒気取りか、クソッタレめ。
 ヴィンスは走る。走る。ただ、走る。この段階なら、下手な小細工等するだけ無駄だ。近付けた、それだけで〈運気〉の拮抗が窺える。後はそう、女神のみぞ知る事だ。
 銃口が向く。放たれる弾丸の一発が、頬を掠めて傷を作る。舌打ち。だが止まらない、止められない。チリチリと、脳の奥深くが怖気を感じている。狙い澄ました流星の気配。天上から差し迫る、強烈な死。石屑の塊。構うものかっ、構うものかっ。運が良い方が生き残り、悪い方がくたばるだけだ。特別な事等、何も無い。何一つ無い。
 クソッタレめ、と、声無き声でヴィンスは呟く。
 そして彼我の距離が僅かとなって、二つの視線が重なり、一方が銃口へと変わったその時。前方と後方、二つの死に挟まれ、脂汗が吹き出たその時。彼の片脚は己の片脚に、あっ、と躓き、均衡を失った。体勢が崩れる。中空の無防備。不味い、と、思った時には全てが終わっているものだ。
『ヤクザな蝶々が嵐を呼んで、桶屋の王が産まれ出た』
 溢れ出る鮮血、だが、やがて止まり行く流れを肌に感じながら、ヴィンスはその御言葉を思い出していた。
 脚元には、幾つかの空薬莢。一つは潰れひしゃげているから、これを踏んだのも一因か。だが、元を正せば、彼を殺す為に放たれたもので、と、考えた辺りで考えるのを辞めた。所詮はルーブ・ゴールドバーグ・マシンの一要素。重要なのは、運が良い方が生き残り、悪い方がくたばった。その端的な事実だけである。ヴィンスは立ち上がった。抜き終えた刃を拭い拭い、後腰へと戻して行く。
 いいや、そう、もう一つあるか。
 その過程を彼は思い直し、片手に残された感触にニシャリと笑う。
 屍体を見下そう。どれだけなのかは思いも寄らない。ほんの弾みで触れただけだし、フードを捲るまで気付きもしなかった(流石にもう一度は有り得ないし)。だが少なくとも、そこいらの娼婦より良いものなのは間違いない。あの厚化粧よりも、だ。その秘められし柔らかさをロハで味わえたならば、幸運だと言うより他にはあるまい?
 これは経済学の話である。誰が何と言おうとも、だ。

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