私と物語

ちまみぃ

 みんなはなぜ小説を書いているのですか?
 書くのが好きだから。ただ書きたい、書かずにはいられないから。自己表現のひとつ。自己満足のため。自分の妄想を具現化したいから。自問自答するため。小説家になりたいから。
 きっと他にもたくさんの理由があって、たくさんの人が小説、物語を書いている。それが決してお金にならなくても、今、この瞬間にも物語が生まれている。
 例え、他人の真似事でも、既存のものに似てしまったとしても、他人の物語を片手に丸写ししていないのであれば、それはどれも素晴らしいオリジナルの物だ。他の誰でもない作者自身の大切な物語。本来、それにとやかく言うのは野暮なのかもしれない。
 しかし物語を、他人に見せて評価されたいとか、他人の心を動かしたいとか、出版して売ってお金にしたいと願ってしまうと、それは大きく変わってしまうのかもしれない。評価され、感想を言われ、売れるか売れないか審議にかけられる。そして、全く評価されなければ、感動できないと思われ、価値がないと言われてしまえば、物語のみならず、自分自身を全否定されたように感じてしまう人もいるかもしれない。
 それでも物語を書き続ける人がはたくさんいると思う。
 ところでというのはおかしいけれど、私も物語を書く。
 恥ずかしながら、私が小説を、物語を書く理由は現実逃避の為だった。
 まだ三十年程と、少ないながらも、それでも途方に感じる時間を生きてきて、その人生を振り返った時に良かったなーなんて微塵も思えない。
 親とも仲良しで、割りと明るくて、趣味があって、資格も持ってて、結婚もして何が? と思うかもしれない。
 しかし、それは現実社会で生きるための技術にすぎない。
 十代が一番最悪で、そこからどうしようもなく躓き続けてしまったので、いつまでも自分を好きにはなれないし、いつまでも過去に縛られたまま成長できずにいる。私の精神はまだあの十代と変わらず幼いと思う。子どもっぽいと言われるが、まだ子どもなのだと思う。トラウマと劣等感を克服できずに、ただ年齢を重ね、大人とはこういう感じの生き物と演じて、何とか取り繕って生きている。
 現実逃避を積み重ね、初めて長編の物語を完結させたのは小学五年生だった。
 長編と言ってもノート二冊程度なので長編と呼ぶには相応しくないのかもしれないが。数ページ程度の物語ばかりを書いていた小学四年生までを思えば、長編だった。
 初めて手にした自由帳は他のどの新しい文房具よりも群を抜いて輝いていた。好きなものを書くというのが、それこそ自由という響きが、私を幸せにした。
 嫌なことから逃げられる手段だった。勉強のこと、乱暴な男子のこと、怖いクラスの女子、気がつけば一人ぼっちなこと、身体が小さいこと。家のこと。
 そう、家のこと。
 学校から家へ帰っても誰もいなく寂しいこと。全ての部屋が泥棒でも入ったのかと思うように散らかっていること。毛玉のように転がる床の埃のこと。畳まれず、床に広がったままの乾いた洗濯物のこと。時には食べ終わった食器がそのままの机に宿題を広げて、一人で夜まで過ごすこと。
 朝は一人で起き、炊飯器から白米を茶碗に盛り、ただ摂取する。お腹が鳴ったのを男子に笑われて以降、お腹が鳴らないように何かをお腹に入れたいだけの食事を済ませ、寝ている親を起こすまいと、行ってきますも言わず、宿題の相談ができず白紙でも、親に見せなくてはならないプリントが入ったままでも、無駄に重たいランドセルを背負って、集団登校に遅れられないという理由だけで家を出る。
 こう語ってしまえば、保護者は何を、と思うだろう。
 答えはありふれた話で、親は共働きだった。子どものために働き、そして疲れていた。だから朝御飯がなくても、部屋が汚くても、仕方のないことだった。
 何かを要求したときに、自分が働いているのはお前のせいで、お前のせいで疲れているのに、なぜお前は疲れさせるのかと罵られた時は、そんな事は私のせいではないし、知ったこっちゃない。生まれてきたくて生まれたんじゃないんだから、だったら産んでくれなくて良かったと思うのだが。それでも、ごめんなさいとしか言えなかった私のような子どもは、案外多く存在すると思う。
 また、家という完全密室の中は、子どもにとっては簡単に外に出れない牢獄のようなもので。その中で過ごす親との時間も、やはり現実逃避の対象だった。
 目に見えた傷や痣にならなくとも、暴力の躾は日常だった。平手打ちなら赤く腫れても朝には痕になりにくいし、頭を殴っても、背中を箒で叩いても、髪の毛や服が隠してくれる。一度だけ太ももの痣が担任の目に触れ、家で問題になったことがあったが、両親がお互いのせいにし罵り合い、だけどもどちらも手をあげるので私はどちらとも言えず、早く喧嘩を止めて欲しい子どもとしては、結局転んだということにした。
 親が頭を掻こうとか、目の前の醤油を取ろうとか、気が向いて頭でも撫でようかと手をふいに上げたなら、咄嗟に両手で顔を覆うような子どもだった。
 段ボールに入れられ、車の荷台に乗せられ、山に置き去りになった事もある。虐待だと、外部に助けを求めることができる今の時代が羨ましい。この怪我は虐待かもしれないと、想像してくれる大人が増えた時代が羨ましい。それでもきっと助けなんか求めなかったろう。自分が全面的に悪いと思って、親よりもこれは躾と思うのが子どもだ。
 でも私はそんなに強くはないので、物語が必要だった。
 それも特上のハッピーエンドの物語。苦しいことも悲しいこともあるけれど、最後は笑って幸せになる。勇気で困難に立ち向かう、希望を持って夢に向かう、自信を持って恋をする、喧嘩しても、すれ違っても、暴力があっても、人が死んでも、物語はハッピーエンドにすることができる。まして作者が自分なら、どんなハッピーエンドも可能だった。
 弱い自分を忘れるために物語に向かった。その時間は登場人物になりきっていればいい。どんなことも笑って乗り越える最強の自分になれる。
 子どもの稚拙な発想の、悪いやつをやっつける勇敢な少年少女の話。思い返せばヒーローものばかり描いていたが、そのハッピーエンドの物語たちの末路も結局、救われなかった。
月明かりを頼りに自由帳に描いていたある夜、親に見つかってしまった。夜八時に寝ろと言ったのに、言いつけを守らないお前が悪い。そう言って破り捨てられた。唯一の安らぎを失い、自分が悪かったから許して欲しいと懇願し、謝る子ども。今思えば、相当気持ち悪い子どもだ。
 大切な物を捨てられたのだから、怒って駄々をこねればいいのだ。眠れなかったんだからとか、大人ばかり夜遅くてずるいとか、屁理屈を言えばいい。子どもなのだから。
 救われない話をもうひとつ。私の書く物語には父親が書かれない。
 普通の父親という存在がよく分からないのだから描写できない。実の父親の顔は今でも思い出せないし、新しい父は暴力的で癇癪持ちで、十代の子どもに欲情する変態だった。
 放任と暴力とセクハラ。そんな状態だから、物語へ没頭する時間の長さはどんどん増えていった。寝ている以外、それこそ平手打ちをされて涙を流しながら、許しを懇願している瞬間でさえ、頭の中では物語のことを考え精神を保っていた。
 物語は私を幸せな世界へ連れていき、幸せを忘れないために書き記した。
 物語を書き続け。恥をさらして言えば、やはりというべきか、物語を作る仕事に就きたいと夢を見た。
 その夢を言葉にしたから出会いがあり、今がある。物語をきっかけに私は、家族以外の仲間を作ることができ、私はそこでちゃんとまともに正常に可愛がってもらえた。年齢差があっても対等に話してくれた。一人の世界に入るためと思っていたことが、人の輪に入るためへ変わっていた。
 もはやそれで十分幸せだ。
 なぜ小説を書いているのですか?
 理由を変えてもいいのなら、次は現実逃避ではなく誰かに読んでもらうために書き、一パーセント以下の確率でいいから、いいね! と言ってもらえたら、いいね!
 いつか誰かの心に少しくらいはヒットする物語を書いてみたい。
 みんなはなぜ小説を書いているのですか?

感想を投稿する
ログインする※ログインしなくてもコメントできます!
コメントするときにログインしていると、マイページから自分が付けたコメントの一覧を閲覧することができます。

名前は省略可。省略した場合は「匿名希望」になります。

感想の投稿には利用規約への同意が必要です。